『騎士で武士な僕と皇女様002』(5)
小さい人間
歴史ある名門ヨーク王朝の第一王女にして、軍事総司令官を務めるカトリーヌ姫は一人頭を悩ませていた。
「全く……父上も貴族どももいったい何を考えている!」
後ろに纏めた見事な銀の髪に手をまわし、櫛をほどく。
右手に持つ櫛をその手できつく握り締める。
彼女は近く行われるであろう、アングリア皇国との戦争に反対だった。
確かに、マーシア軍と組めば総兵力四万、アングリア軍の二倍になる。しかし、戦というものは数だけで勝敗が決まるものではない。
カトリーヌが警戒しているのは、近年急速に発展したアングリア皇国の国力と常備軍の機動力であった。 傭兵制のヨークは軍を派遣するのに最低一月はかかる。一方アングリア皇国軍は三日足らずでマーシアに大軍を展開できた。
「各個撃破されれば不利だ……ヨークはアングリアに最低十年は遅れをとっている……」
カトリーヌとて、この戦争の意味ぐらいわかる。これ以上南の脅威が増せば、不穏な動きを見せる国内の貴族派が行動に出るかも知れない。
が……。
カトリーヌに言わせれば、もう既に遅いのだった。 何年も前から軍制改革を上申し続けたが……貴族たちにそのつど潰されてきた。
「御姉様? どうしました?」
そのやわらかい声の主、妹でヨーク第二王女のアリス姫が心配そうにカトリーヌを見ていた。
まだ幼いアリスには、難しい政治の事など解らない。 今起きているこの深刻な国際情勢にも無知なのだ。
もし負ければ、自分は勿論のこと、彼女もただではすまない……。
「いや……大丈夫、アリスが心配する事じゃないよ」
我ながら説得力の無い言葉だと思った。 戦争に負ければまっさきにアリス姫が敗戦国存続のための生贄になることは火を見るよりも明らかであった。
カトリーヌはアリスの綺麗に整った銀髪と幼さの残る小さく丸めの顔を見ながら思った。
やるからには負けられない……。
大国の名の下に、胡座をかいてきたヨーク軍でいかに戦うか……。
アリス姫は不思議そうな顔でカトリーヌの顔を覗き込み、何かを閃いた様に話しかけた。
「御姉様……あの、もうすぐ私の誕生会が催されるのですが……」
「ん? すまない……今考え事をしていて……」
「あ……いいです」
そう言ってアリス姫は行ってしまった。 国家のためにも、彼女のためにも、妹にかまっている暇はなかった。
ヨーク領内某所……。
蝋燭の灯がその丸いテーブルに集まった者たちの表情を照らす。
なかなか立派なものを着ているのが解る、見る人が見ればそれがヨークの貴族派……つまり、反王政派の集まりだと悟ることができた……。
「このたび御歴々の方々にあつまって頂いたのは他でもない……この戦争に対する我らの方針についてである」
貴族の中で一番の高齢、この集まりの長らしい貴族が口を開く。
「対アングリア戦争、これに王が積極的だとか?」
最初に口を開いた男の隣にいた中年の女性が憎々しげに発言する。
「だとしたらこれはゆゆしき事態です。王は我らが進めてきたアングリアへの権益を無になされるおつもりか!」
……ヨークには海岸はあるが、整備された港がない。 そこでヨークの貴族たちは代々アングリアの港を経由し、各国と交易をしていた。
「数の上ならこちらが有利、しかしマーシア公などあてにならぬ、単独でアングリアを攻め落とせると本気で王は考えているのか?」
どこかから王を非難する言葉が飛ぶ……そこは忠臣とは名ばかりの者たちが多くいた。
「どのみち、開戦は避けられん……が……ある意味好機ともとれる」
長の貴族が力を腹に込め、一気に言う。
「今戦争は王族と国王派貴族主導で行われたものだ。 もし、万が一戦で勝てば王に逆らうものはいなくなる、目障りな我らを一網打尽にするだろう。 我らの資金源を最初に絶ったのもおそらく……」
テーブルが静寂に包まれた……。
「失礼します」
貴族たちのテーブルに恭しく一礼をし、一人の男が入ってきた。 男は他の貴族と比べるといかにも粗暴な感じを受け、どちらかというと盗賊の頭のようだった。
「なんだ、マーティンか……」
貴族たちの長は男を一瞥し、興味のなさそうな顔で迎えた。
「何のようだ……いま大事な話し中だぞ?」
「へへへ……旦那さま、実はわたくし、アングリアの皇さんの書状を預かりまして……」
「何だと?」
書状……という言葉で、そこの全員が顔を見合わせる。 正式な書状ならばわざわざこんな男に渡さず、正使を直接王宮に派遣するはずである。
つまり……
「アングリアの皇は我らに話があると?」
「ヘイ! さようで……」
「見せろ!」
貴族たちの長が書面に目を通す……。
その口元が、薄らと歪んだ……。
「諸君、我らの考えはアングリアの参謀にすべて見抜かれていたようだ!」
その一言で……長い年月を大国として存在したヨーク王朝の歴史が動いた。
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