第一機動部隊(2)

kinshisho


ここで時系列を少し戻す。皇国の宮殿ともいえる京都御所に、あのオルフェ王太子からの電文が届いていた。それを執務室で真剣に見つめる将臣陛下。実は、将臣陛下もあの海域については気に掛けていた。オーロラ姫のことを危惧するのも当然である。彼女は結婚を2ヵ月後に控える身である。自分が皇帝に即位する際には国王の名代として参列したオルフェ王太子とファミーユ姫の兄妹。それにオーロラ姫。その返礼として参列するつもりだけに他人事ではなかった。そして、即座に決断を下す。
 返信を送るとともに、ある場所に電話を繋ぐ。
「わらわだ。将臣だ。瑞穂姫を直ちに呼び出して欲しい」

 その頃、連合艦隊司令長官、安芸宮 瑞穂こと瑞穂姫は鹿児島湾にて第一機動部隊旗艦『雷鳴』の艦上にいた。瑞穂姫は艦橋の最上部で部下たちの訓練を見守っている。
 烈風改、流星改の戦爆編隊が見事なまでに隊列を乱すことなく敵艦に見立てた機動部隊に突入してくる。烈風改が上空を掩護し、その間に流星改の爆撃隊が約60度の角度で急降下し、雷撃隊が高度を海面スレスレに保ちながら肉迫する。この間敵役を務めるベテランパイロットの操る烈風の部隊が必死で応戦し、敵艦役を務める第一機動部隊の各艦も右に左に必死で逃げ回るも、そんな状態を嘲笑うかのように流星改の編隊はそれぞれ必殺の爆弾と魚雷を放った。まるで吸い込まれるように爆弾と魚雷が雷鳴に向かってくる。刹那……
「命中!!」
 部下たちの叫びとともに次々と命中弾を浴びる雷鳴。因みに模擬爆弾は特殊強化紙製、命中すると破裂して先端に取り付けた着色寒天が甲板に付着する仕組みで、後で綺麗に拭き取れるのと海に捨てても無害な上魚の餌にもなる優れものである。魚雷は艦底を通過して命中とセンサーが判定すると赤く点灯する仕組みで浮上したところを後に駆逐艦が回収する。
 先の攻撃で雷鳴は15機の爆撃編隊から爆弾15発全弾、10機の雷撃編隊から魚雷9発命中の判定を受けた。これが実戦なら如何に防御の硬い装甲空母といえど沈没は確実である。その神業振りに瑞穂姫は確かな満足感を感じていた。というのも、第一機動部隊の搭乗員は航空機搭乗員のみならず乗組員も殆どが新米であり、鍛えに鍛えなければならなかったのである。1日5時間から場合によっては8時間、月150時間を超す目の眩むような猛訓練を1年半以上に渡って続けた結果、今や彼ら飛行時間は新米の頃から含めると3000時間を軽く突破していた。当時、3000時間以上の飛行経験を積んでいるパイロットとなると完全にベテランの域であり、だいたい1200時間あると一人前扱いというのが世界的な標準だったから、その錬度の高さが容易に想像できる。
 余談だが、空軍パイロットの平均が大体2000時間、うち富嶽部隊の平均が3000時間であり、搭乗員は富嶽だけでも1000時間以上の飛行経験があり、有璃紗姫の飛行時間が現時点で3200時間、うち富嶽での飛行時間が1100時間である。
「これならいつでもいけますわ。後は命令を待つばかりですわね。それにしてもびしょびしょですわ」
 瑞穂姫は訓練の度派手な飛沫を浴びるので服がびしょびしょになるためその際には特に夏は水着でいることが多い。案の定、今日は淡いグリーンに金の縁取りをしたチューブトップのビキニを着ていた。周りの部下は目のやり場に困るのが日常的な光景だった。
 訓練の結果に満足していた時、伝令兵が瑞穂姫に急用を報せにきた。
「長官、将臣陛下がお呼びです、すぐ京都御所に来るようにと……って、何て格好をしてるんですか」
 伝令兵はどうやら瑞穂姫のビキニ姿を見たのは初めてだったようで、目のやり場に困って狼狽するばかりだった。
「わかりましたわ。飛行機を準備するよう伝えてください」
 対する瑞穂姫は至って冷静である。
 30分後、瑞穂姫自ら操縦する烈風改が雷鳴の甲板から飛び立って行った。

 3時間後、瑞穂姫は京都御所にいた。白さが眩しい第二種軍装に着替え、先程までのビキニの痕跡は微塵もない。軍装姿も凛々しく直立不動の姿勢で次室にて待機していると、宮内省の職員が将臣陛下の執務室へと案内する。
 御所の奥にある執務室では将臣陛下が直立で待っていた。自分より年下であるにも関わらず、その威厳溢れる姿に気圧されてしまう。しかし、威厳溢れる姿とは対照的に、執務室は皇帝には不釣合と思いたくなるほど質素である。ここ百年の西洋の導入の影響で、アクスミンスターの毛足の長い絨毯とクルミ材の執務机、絹張りの椅子、西陣織のテーブルクロスが追加されてはいるが、その他の調度品は至って質素そのものである。普通、皇帝といえばもっと豪華な調度品に囲まれていても誰も文句は言いそうにないものだが、それでも敢えて質素を貫き通していた。尤も、殆どの調度品が1000年以上も前から代々使われ続けてきた年代物なので、その意味では価値物に囲まれていると言えなくもないのだが。執務机の後ろには日本皇国建国の祖である初代皇帝、今上 靖仁(やすひと)の肖像画が飾られている。
「瑞穂姫、訓練中に呼び出して済まない」
 その言葉とは裏腹に、将臣陛下の眼光は鋭い。これは自分に対して何か重要な軍事作戦を命ずるときだ。瑞穂姫はそう直感した。
「手短に言おう。貴官の機動部隊で、オーロラ姫を救ってほしい」
 オーロラ姫を救ってほしい?瑞穂姫はきょとんとなった。一瞬何を言っているのかわからなかった。
「それはどういう意味でしょうか」
「実は、オルフェ王太子から依頼があったのだ。我が妻となるオーロラ姫に迫る海賊どもを殲滅してくれとな」
 瑞穂姫は即座に理解した。オランとグランディアの海域は海賊が出没する危険海域。一応周辺に大国が多いこともあり海軍が押さえているので辛うじて安全が保たれているのだが。しかし、海賊の拠点であるシアン湾は操鑑困難な場所のため迂闊に近づけない。それ故海賊を殲滅することができないでいる。そうすればオーロラ姫にいつ危険が及ぶか知れない。という訳である。特に海賊の中でもバラクーダ一味の凶悪振りが突出しており、一味の殲滅、或いは最低条件として無力化は達成せねばならなかった。
「期限はいつまでに」
「後2ヶ月だそうだ。二人の結婚が間近に迫っている」
 2ヶ月と聞いて、かなりの強行軍になると抗議したくなったが、すぐに思い直した。
「わかりました。既に錬度も十分です。後は陛下の御下命あるのみです。ただ、三日だけ休暇を下さい。将兵は訓練で疲労の極みにあります」
 瑞穂姫の承諾に、将臣陛下は口元に笑みを浮かべた。
「休暇については貴官の裁量に任せる」
「了解しました」
 瑞穂姫は海軍式の敬礼をすると、すぐさま御所を後に、機上の人となった。結局雷鳴に戻ってきたのは夜になってからのことだった。
 その後、瑞穂姫は乗組員に三日間の休暇を命じた。その間瑞穂姫も海水浴を楽しんでいたが、どシアン湾を攻略すべきかで頭が一杯であった。作戦自体は楽である。シアン湾の周辺もどうなっているか知り尽くしている。だからといって、ただの攻撃で終わらせるのも勿体無い。できれば訓練の総仕上げになるような作戦にせねば。その時、ふと瑞穂姫の頭に妙案が浮かんだ。
 あそこは規模こそ小さいもののハワウイ諸島に構成がよく似ている。既にアスメイラ合衆国との対立は日増しに深刻さを増しており、万が一戦端を開くことになった場合、あそこは何としても押さえたい。これまでの訓練について目的は一切知らせておらず、真の目的を知るのは海軍の上層部でもごく一部。あそこでの作戦は、その後のハワウイ攻略の可否を計る上で格好の条件を備えている。それから瑞穂姫一人徹夜で作戦の詳細を練った。普段部下を散々扱き使っているのである。こういう時くらい自分がしっかり働かねば。
 それから三日後、遠洋航海訓練の名目で連合艦隊司令長官、安芸宮 瑞穂元帥率いる雷鳴級空母六隻を中心とした第一機動部隊は黎明の鹿児島湾を滑る様に出航した。今回、新世界の海軍が初めて旧世界で軍事作戦を行なうのである。できれば周辺の住民を騒がせないためにも攻撃は黎明の短い時間に限ることにしていた。彼らが第一機動部隊の威容を目にすればそれだけで大騒ぎとなるのは確実だった。何しろ普段帆船しか見ていない彼らである。静かに生きている彼らを騒がせたくはなかった。大きくても2000トンくらいまでがせいぜい。12万トンもある空母を見た日には大騒ぎどころでは済まない。
 因みに旧世界の住人が新世界の船舶を目にする機会といえば、豪華客船か貨物船が主で、軍艦を見ることなどまずない。そんなものを見せれば新世界による単なる砲艦外交だと大騒ぎになってしまい友好関係が崩れる危険性もあった。その意味でオルフェ王太子の決断が周辺国との友好関係も崩しかねないことをも懸念していたとみて間違いなかった。相当な覚悟だったろう。そんなオルフェ王太子の覚悟に報いる意味でもこの攻撃は是が否でも成功させねばならなかった。
 仮眠のため長官室に戻ってベッドの上に転がると瑞穂姫は目を閉じ、ふと二人の幸せな光景に思いを馳せる。国中から祝福を受け、純白のドレスに身を包んだオーロラ姫と軍の正装に身を包んだオルフェ王太子が礼拝堂にて永遠の愛を誓う。その後……
「あなた……」
「いくよ、我が妻オーロラ……」
「き、来て……」
…………………………………2時間経過、5ラウンド目……
「僕も、もう限界だ、イクぞ」
「ああ……あなた……お願い、膣内(なか)に、膣内(なか)に射精(だ)してえぇ、私も、もう、イク、イク、イクウぅウゥウウウウウ……」
 こうして二人は晴れて夫婦となった……。
「いいなあ……」
 甘い光景を思い浮かべ、瑞穂姫は聞こえるか聞こえないかの微妙な声で呟く。
 波音が響く以外、比較的静寂な航海。空を見上げると星が輝き、作戦時であることを忘れてしまいそうな穏やかな時間が支配していた。目を閉じると、聞こえてくるのは航行で生じる波が艦体に反射する音だけ。
 戦闘態勢に入るまで、乗組員にも可能な限り英気を養うよう指示を出しており、動いているのは上級将校を除けば酒保と炊事部隊くらいか。皇国の軍艦では自動化が大幅に進んで機関室も夜間は最小限度の監視要員を除けばほぼ無人である。二段に分かれた格納庫では、艦載機も出番あるまで翼を折畳んで只管休んでいる。夕方頃まで張り付いていた整備兵も今はいない。戦闘時は一切の妥協を許さないが故に部下を扱き使う瑞穂姫だが、それ以外の時は遠慮なく遊び、休む。部下にそう命じている。何よりも時間を割り切るメリハリを大切にするのが彼女の方針であった。
 ラジオから流れてくる歌謡曲に耳を傾けながら、船窓から星空を見つめる。ああ、これが戦いの時に見る星空でなければどれほどいいものか。いや、戦いの時だからこそ平和を象徴する穏やかな光景が余計素晴らしく見えるのかもしれない。
 それにしても、長官室でも空母では狭い。下手な旧式戦艦よりも狭く、重巡とほぼ同じ大きさといえばどれほどのものかが知れる。空母は航空機のために多くのスペースを必要とし、そのため贅沢は言っていられない。それでも日本海軍は居住性の向上には力を入れており、駆逐艦ですら超自動化の恩恵を受けて乗組員の数が減ったので下級の乗組員でもベッドで寝ることができる。また、アスメイラの軍艦に倣って快適装備の導入にも積極的で、空調は無論、まだ珍しかったアイスクリームメーカーをも導入し、手の空いている者は将兵問わず好きな時に食べることができた。瑞穂姫もその恩恵に預かっている。特に瑞穂姫が着任して以降、食事に関する差別は二度の命令で完全に廃止された。このため連合艦隊司令長官といえどもセルフサービスである。実際には司令官や艦長ともなると自室で食べることもできるが、瑞穂姫も着任以降は食堂に赴くようにしている。その代わり、食堂は24時間操業となりいつでも好きなだけ食べられるように改めた。ただ、数少ない弊害としては、士官だけしか問われなかったテーブルマナーが下士官兵にも導入されたことで、特に兵士たちの場合本格的な洋食は海軍に入って初めて知ったという者も少なくないため、新兵教育の項目にテーブルマナーが追加された。それでも堅苦しさはなく、雰囲気としては高校の食堂に近い。
 面白いのが、士官食堂が廃止されたことで、士官以外もトレイではなく食器類を用いるようになったのだが、その食器類の柄は艦ごとに様々な意匠が凝らされるようになり、年一度の海軍祭及び総軍大演習ではこの食器類は大人気となり買う一般市民が後を絶たない。
 余談だが、海軍では管理及び調理が楽なこと、大量に用意するのに都合がよいこと、カロリーが高く厳しい生活の慰めになることなどから洋食が多い。但し、主食はパンではなくご飯が多く、この辺は絶妙な和洋折衷である。
 仮眠もそこそこに執務机に向かい事務処理を済ませる瑞穂姫。お姫様といっても日頃の激務、それも厳しい生活の続く海軍での仕事は省力化が進み女性進出が進んだ現在にあってもまだ少女には違いない彼女にとって相当にしんどい筈なのである。しかし、お姫様という立場がそうさせるのか、彼女がそれをおくびにだしたことは一度もない。
 これから先、途中補給と上陸が何度かあるので戦闘海域まで約二ヶ月に渡ってこうした生活が続く。オーロラ姫が嫁ぐために出航する日も掴んでいた。ほぼギリギリの日程である。
 空母六隻を中心とし、輪形陣を組んだ第一機動部隊は一路シアン湾を目指す。
「それにしても、どうしてこの世界はこんなにも大きな隔たりがあるのでしょう」
 瑞穂姫は半ばウトウトしながら呟く。確かにそうである。自分たちのように近代社会に生きる者がいる一方、ファミーユ姫たちのように中世から時が止まったかのような社会で生きる者もいる。しかし、その社会に生きる者たちは何処か幸せそうに思えた。別段便利な物に囲まれているわけではないにも関わらず。もしかしたら、彼女たちの世界というのはある意味そうした物を必要としないほど成熟した社会の一つの姿といえるのかもしれない。
 瑞穂姫はふとそんなことを考える。それに比べて自分たちはどうだろうか。確かに進歩は歓迎すべきことだし、魔法が使えなくても大したハンデではないことを証明した近代化の功績は誰にも否定できないだろう。それでも旧世界を見るにつけ思う。
 どのような形にせよ、自分たちも成熟していくべきではないのかと。特に、アスメイラ合衆国の存在が気に掛かっていた。皇国の方針としては、基本的に国毎に異なる文明文化を持ち、互いが互いを尊重すべきであると考え、旧世界に新世界の価値観を無理矢理押し付けるべきではないと考えているのに対し、アスメイラは自らの巨大な国力を背景にその優位性を見せつけ旧世界に近代化を要求している。恐らくは旧世界を遅れた国々として見下しているに違いなかった。以前、オランにアスメイラから特使が派遣されて近代化を迫ったという情報を耳にしてもいた。その間、空母を中心とした艦隊がオラン周辺海域を遊弋していたという。特使を海賊から守るのがその理由とのことだが、力を誇示しての脅迫であることは明らかだった。
 瑞穂姫にはそんな行動が幼稚に見えて仕方なかった。周辺諸国にとっては相当なトラウマとなったのは確実であろう。それだけに、同じ近代産業国家であり、軍事大国でもある我が日本皇国には好意的に接してくれることに想いは複雑だった。
「はあ……私も早くこの任務から解放されて何処かの国に嫁ぎたいですわ……誰か私を娶ってくださる殿方はいらっしゃらないのでしょうか」
 再び二人の幸せそうな光景を思い浮かべ、瑞穂姫は呟く。そう、瑞穂姫とて夢見るお姫様である。やはり人並みの結婚願望はあった。

 そして二ヶ月。オラン公国ではオーロラ姫が嫁ぐための準備に追われていた。多くの求婚者があった中、彼女を射止めたのはオルフェ王太子。当初、身分違いの結婚だとさえ思っていたのだが、グランディア王室も賛成してくれたことで当時としては破格だった恋愛結婚が成立することになった。ただ、この結婚にもそれなりの裏事情があった。というのも、オルフェ王太子もまた大国の、それも未来の国王であるがゆえ、やはり多くの求婚者があった。しかし、大国の王女との結婚となると絶妙な勢力の均衡が崩れる可能性があった。その意味で小国オランであるなら影響もないので諸外国もこぞって賛成に回り、結婚が成立したのである。それに、オランも大国グランディアの庇護を受けられることになるので賛成しないはずがなかった。
 しかし、そんな幸せ一杯で平穏な旧世界とは裏腹に、新世界情勢は緊迫していた。
 既にグレーシャー第三帝国はオイローパを席捲し、ブレフテン王国がアスメイラと旭陽帝国からの支援を受けて辛うじて抵抗している状態。その上グレーシャーはルスランにも軍勢を差向け遂にエスクワが陥落。政府機能と軍最高司令部はウラルに亡命政府を樹立して抵抗している。あのルスランまでもが屈服してしまったのだ。
 更に、遠く離れているとはいえ友邦である日本皇国とアスメイラ合衆国との間でも対立が深まっており、いつ戦端を開いてもおかしくない状態。もしこの二カ国が戦争となれば、その戦いの規模はオイローパ戦線の比ではない。もしかしたらアスメイラはその強大な力でここにも侵攻してくるかもしれない。
 実はグランディアは石油の一大産地。このため日本の20万トン級スーパータンカーが出入りしており、旧世界では石油など何の価値もないのだが、新世界では血の一滴にも等しい重要資源。グランディアが日本に石油を供給しているということはアスメイラから見れば、これは後方支援も同様であり、十分戦争の口実になり得る。
 余談だが、採掘権を買えば後の利益は全て独占してしまうアスメイラと違い、日本は採掘によって生じた利益の一部を産出国に支払っている。
 そんな世界情勢をよそに、オーロラ姫は幸せの絶頂であった。今日はドレスではなく、皇国からもらった陸軍の正装を着ている。最近、これを着ていると元気が出るのだ。このため病弱な姫君とは思えぬほどはしゃがれていることも多い。そんな姿を見て親衛隊長のトパーズも嬉しくないはずがなかった。
 ただ、別の意味でトパーズには心配の種が増えたことも事実だった。
「姫、あまりはしゃがれると、御身体に障りますよ。いくら元気になったとはいえ、それは精神的なもので、本質的に病弱なことには変わりないのですから」
 嗜めるトパーズであるが、嬉しさ半分心配半分といった複雑な感情である。トパーズもオーロラ姫に合わせてやはり皇国から貰った騎兵服を身に着けている。内心、トパーズもこの服は気に入っていた。
「私はもうすぐオルフェ王太子の許に嫁ぐのですよ。これがはしゃがずにいられるはずはありませんわ」
 内心をストレートに吐露するオーロラ姫。出会ったのはあの舞踏会の一度きり。しかし、会った瞬間から互いに惹かれあい、そして、終生添い遂げることを誓った。オーロラ姫は、結婚してからの自分たちの姿を思い浮かべていた。愛する夫と、そして、多くの子供に囲まれ幸せな日々。この二つさえあれば、後は何もいらない。愛は時として、人をここまで強くする。ただ、唯一心残りなのは、オランにはオーロラ姫以外の嫡子がいないため、自分の結婚を期にグランディアの保護領となって国そのものの歴史に幕を降ろすことであった。一応、向こうから王子が養子に入ることにはなっているので国名が消滅するわけではないが、それでも支配下に入る事実には変わりない。
 しかし、それでも両親は結婚に賛成してくれた。民衆も喜んでくれた。オルフェ王太子との結婚が決まって、改めて嬉しく思う。
 だが、そんな幸せの絶頂にいるオーロラ姫をよそに、トパーズはあることが気懸かりであった。というのも、最近、海賊の姿が殆ど見られないというのである。海賊が殲滅されたためか?いや、海賊は神出鬼没で、捕縛は困難である。従って、それは考えられない。一瞬、希望的観測で、海賊が何らかの理由で解散したのかもしれないと考えてみたりもしたが、海賊稼業からそうそう足を洗えるはずもなく、それもありえない。
 もしかして、何らかの大規模な準備を控えているのか?それに相応しい獲物といえば、ここ最近では間もなく嫁ぐオーロラ姫以外には考えられない。嫁ぐ当日、オーロラ姫を乗せた船は高価な貢物を満載することになっている。海賊にとって、ここ最近では一番の獲物ではないか。あの海賊が全兵力を以って襲撃してきたら、オランの小規模な海軍力では手に負えない。グランディア海軍が出てくれば撃退はできるだろうが、どちらにしろ大きな損失を覚悟せねばならない。
 間違いない。海賊の狙いは我が主、オーロラ姫だ。先日、豪商を名乗る男が求婚を願いに宮殿を訪れたことがあったが、丁重に断った。しかし、何処か見覚えのある顔だったが、どうにも思い出せない。ただ、その雰囲気は海賊や山賊に限りなく近かった。例え豪商といえども姫君との結婚など筋違いであることがわからぬはずはない。これが、もし海賊や山賊のボスが豪商に成りすまして内偵を進めていたとしたら?そうすれば結婚の日取りなどが筒抜けとなり、海賊どもがそれに合わせて襲撃を準備しているとしたら……最近の静けさも説明がつく。
 トパーズの懸念は確信に変わった。しかし、国家行事であるため日程はそう簡単に変えられるものではない。どうしたらいいのか……。もう、歯車は一度動き出したら終わるまで止まらない……。



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