鞭と髑髏
Peitsche und Totenkopf /隷姫姦禁指令
Female Trouble
第6章・暗黒の隘路(下) Der schmale Weg der Schwaerzung(1)
数十分の飛行を終え、オートジャイロは再び垂直に近い角度で中庭に降下してきた。巨
大な回転翼が落下スピードを抑え、機体は正確に、臨時着陸ポイントに降りてきた。クラ
リスは初めて垂直離着陸する回転翼飛行機を目にして、帝国の最先端テクノロジーに驚愕
した。
漆黒に塗装されたオートジャイロは、ラナの言ったとおりエンジンの回転数を落とした
ものの停止はしなかった。そして、コクピットが開くと、ヘルガ少佐があの黒い飛行服姿
で姿を現した。兵士がステップ代わりに自分の肩を差し出すが、少佐はやはりその世話に
はならず、一気に軽々と地上に飛び降りた。
『少佐…!』
クラリスは、またも我が目を疑った。あの地下室で、同性愛と加虐の欲情に燃える姿と
はまるで別人のような、凛々しく、雄々しく、そしてきびきびと部下を指揮するカリスマ
に満ちたその姿に、公女は思わず釘付けになっていた。
そして、飛行帽を外してあの燦めくような黄金のロングヘアが流れると、公女の胸の奥
がきゅんっと高鳴った。
『私、やっぱり…』
クラリスは、自分でわからなくなっていた。あれだけ酷い仕打ちを受けているのに…。
やはり自分は少佐の言うとおり、淫乱な変態なのだろうか、と、公女は目を伏せた。
ラナも、そんな公女の姿に気づいていた。だが、今は何とかしてクラリスをこの地獄か
ら救い出さなくてはならない、と強いて気を張った。
降機したヘルガ少佐は、ゆっくりと手袋を外していた。陽光に眼鏡が反射する。
機体は二人の兵士が、ワイヤーで牽引して中庭の隅に向かって移動させていく。案の定、
移動の便のためかエンジンはかかったままだった。
そこに、そそくさと部下が歩み寄って、何かの封書を差し出した。
「何か?」
無表情にヘルガが言った。
「…総統府から、親書が」
はっと顔を上げたヘルガは、いきなり部下の手から手紙をひったくるように奪い取った。
そしてビリビリと封を切り、目を通した。
やがて、少佐は思わずその手紙を固く握っていた。
『…クラリス姫を、帝都に護送せよ、だと?!』
総統直筆の手紙には、大公夫妻が協力に消極的なため、それを懐柔するために公女を帝
都に呼び寄せる、と書かれていた。だが、ヘルガにはその裏の意味が手にとるようにわか
った。
『…誰が入れ知恵したのか…!どうせ、クラリスを我がものにする気に決まってる…っ!』
総統は下層の出身で、天才肌ではあるがコンプレックスの強い男で、上流階層に対して
強いルサンチマンを抱えている人間だった。そのせいか、貴族や王族といったものに奇妙
な敵意を持っていた。
そんなところにクラリスを送れば、どんなことになるか、火を見るよりも明らかだった。
いや、何よりもヘルガ自身にとって、それは首肯しがたいことだった。
『…色惚けの総統(フューラー)め!クラリスは私のものよ!絶対に渡すものか!』
「帝都と連絡を!通信班を!ことによったら帝都に戻って談判するっ!」
怒気を帯びた声をあげて、ヘルガ少佐が中に戻ろうとした。兵士たちも、指揮官のただ
ならぬ様子に駆け寄るか、または不安そうに目をやっていた。
「…今です!」
ラナがその言葉と共に、物陰から機体に向かって駆け出した。クラリスも一緒に走り出
した。
何があったのかは、二人にはわからなかった。ただ、明らかに兵士たちの注意が全て歩
み去るヘルガ少佐に向いていたのは間違いなく、これは絶好のチャンスだった。
裸の少女たちは、機体に一気に駆け寄ったが、整備員たちは背を向けていて気づかなか
った。コクピットは高い位置にあったが、近くに整備用の踏み台があった。ラナを抱え上
げて先に座席に乗せると、続いてクラリスが縁に手を掛けて一気に操縦席に身を滑り込ま
せた。
操縦席は単座だったが、クラリスが下になって、膝の上にラナを座らせると、二人とも
目の高さが同じになって、前が見えるようになった。
機械に強いラナが、スロットルのレバーを引き、落ちていたエンジンの回転数を一気に
上げた。
いきなり出力の上がった主エンジンの轟音に、異常を察知した整備員たちが振り返った
ときには、すでにメインプロペラは全開になっていて、機体は前に動き出していた。
慌てる整備員たちを蹴散らすようにして、オートジャイロはスピードを上げて中庭の広
場に疾駆し始めていた。
「姫さま、もうしわけありませんっ!、からだをおさえていてください!」
クラリスの膝の上で、どうしても体勢が不安定なラナだったが、必死で操縦桿を握る。
公女もラナの細い腰をしっかりと抱きしめた。
非常事態に、城内に入りかけていたヘルガ少佐と部下たちも、もとの中庭に駆け戻って
きた。
「あの娘たち…っ!」
コクピットに座っているクラリスとラナの姿を視認して、ヘルガ少佐は目を疑ったが、
すぐに軍人らしく状況を呑み込んだ。近くの兵士たちが銃を構えている事に気づくと、少
佐が咄嗟に殴りつけた。
「馬鹿者!機体を傷つける気か!」
だが、その言葉の裏で意識していたのは、もちろんクラリスのことだった。
上部の回転翼も回転を始め、すでにオートジャイロは離陸寸前にまでスピードを上げて
いた。しかし、いかに機械に強いとはいえ初めて飛行機を操縦するラナである。自動車と
は勝手も違った。小さな中庭はあっという間に尽き、まだ浮かび上がらないうちに、オー
トジャイロは城壁近くまで突進していた。そして、スピードを維持したまま機体は身投げ
でもするかのように宙に躍り上がった。
機体が一気に落ち、凄まじい落下感覚が少女たちを襲う。
「きゃあああああっ!!!」
初体験の恐怖に、クラリスが悲鳴をあげた。ヘルガ少佐も思わず惨劇を想像して身を固
くした。
だが、ラナがその小さな両手で必死に操縦桿を引いた。頭から落下しかかった機体は、
何とか上を向いた。オートジャイロ湖に墜落寸前、かろうじて体勢を取り戻し、水面すれ
すれに飛行を開始した。
「やりました、姫さま!」
「ラナちゃん!」
少女たちが初めて笑顔をこぼした。これで自由…!
『でも、自由って?』
互いに明かしはしないまま、クラリスもラナもふと思った瞬間だった。
エンジンがおかしい。
「え?ええ?」
慌てるラナ。エンジンの回転数が上がらず、安定しない。
「どうしたの?」
「エンジンが、どうして?…ああっ!!」
あまりにも大きな、おおきなミスだった。
燃料計の針が0近くを指していることに、ラナはこの時初めて気がついた。
考えてみれば当然のことだった。恒例のテスト飛行であるからは、燃料はそれに見合っ
た量しか補給されていない。まして、オートジャイロは燃費が悪く、すぐに燃料を使い切
ってしまう。
巧妙に占領軍の裏をついて考えついた計画だったが、やはりラナは子供だった。大きな
落とし穴が待ちかまえていた。
「ラナちゃん!」
「姫さま!つかまっていてください!」
幸い、オートジャイロはエンジンが止まっても、頂部の回転翼は下降に合わせて回転し、
ゆっくりと降りることを可能にする。ラナは機首のエンジンをあえて切った。着陸時に再
度エンジンをかけ、降下をコントロールするためである。
幸い、機体はそのまま浮遊するように降下スピードを抑え、じわじわ高度を下げていっ
た。
ラナは、市街地近くに着陸することを諦めた。燃料が切れた今は、最短距離で着陸でき
る湖畔を探すしかない。やむなくラナは目の前に見えてきた森の方に機首を向けざるを得
なかった。
「姫さま、あの森に降ります!」
「わかりました!」
こうなってはラナに任せるしかない。一蓮托生だった。
湖畔が近づいたが、高度はドンドン落ちていく。
「なんとか、なんとかもたせないと…!」
ラナは祈るようにして操縦桿を握り、高度を維持しようと何度も引いた。
クラリスも、この絶体絶命の状態に祈るしかなかった。
陽の傾きかけた湖の水面は、まるで実りの麦畑のような黄金色に映え、さざ波に照り輝
いていた。その湖面の上に、オートジャイロの黒い機体が反射し、回転翼が吹きつける風
が水を巻き上げ、城から一直線の帯のように波が広がっていた。
オートジャイロは機首のエンジンを切り、上部の巨大なプロペラが回って風を切る音だ
けを発していたため、あたりは奇妙なほどの静けさが支配していた。機体に乗っていた二
人だけでなく、城から見つめる兵士たちも為すすべなく、黒い飛行物体の逃避行を息を呑
んで見つめていた。
そして、ヘルガ少佐もまた、機体が飛び立った城壁の際まで駆け寄り、おのれに抗った
逃亡奴隷たちの航路を凝視していた。
ラナが再びエンジンをかけた。凄まじいエンジン音が静かな湖面に響き渡り、機体は再
びわずかに上昇した。湖畔が崖になっており、このままでは激突する、と判断したのだ。
だが、それがこの機体に残された燃料の最後だった。一瞬、力を取り戻したエンジンは、
再び排気をかすれさせて今度は完全に停止してしまった。
あとは、この機体を維持しながら、無動力で回転し続ける巨大プロペラの揚力に頼って、
どこかに軟着陸するしかない。ベテランの飛行士ですら難しいことを、いくら機械に慣れ
ているとはいえ飛行機操縦は初体験の、しかも12歳足らずの少女には重すぎる荷だった。
『でも、やらなきゃ…!』
ラナは必死で操縦桿を引き、落ちていく高度を維持しようとした。後ろで抱きかかえて
くれているクラリス姫の両腕の力と、そして背中からお尻に接する素肌の柔らかさと体温
が、少女には何よりも心強く思えた。
湖畔の崖の上には、すでに青々とした森がせり出していた。鬱蒼とした湖畔の森には着
陸に必要な広さの平地はあまりないはず。燃料もなく、見落としたら、旋回するだけの余
裕はない。着陸点を探す集中力と、決断力が必要だった。
「ラナちゃん、右に!」
クラリスが叫んだ。見ると、確かに森の中にわずかに空間がある。公女の観察力と助言
に感謝して、ラナは操縦桿を右に倒した。
右旋回した機体はぐっと高度が落ち、プロペラの回転も遅くなりつつあった。このまま
一気に着陸するしかない。着陸点の安全を確認する余裕はなかった。
少女たちにできるのは、神に祈ることだけだった。
機体はゆっくりと降下していく。巨大なプロペラの回転で、地上の草むらが水面の波紋
のように波打って同心円状に広がっていた。幸い邪魔になる岩場や段差はそれほど無さそ
うだったが、周りから迫るように伸びてくる木の幹や枝が不安だった。プロペラが太い木
に当たれば、機体が木っ端微塵になる危険もある。
だが、他に選択肢はなかった。
ラナはできるだけ垂直に、その空き地に機体を降ろしていった。オートジャイロは明ら
かに降下速度を緩めてはいたが、しかし、機上の二人にはどうしても自由落下に等しい体
感だった。恐怖と絶望に身をすくめながらも、二人は必死だった。クラリスはラナをしっ
かり抱きかかえ、ラナは操縦桿を押さえ続けた。
一瞬、全身が浮き上がるような感覚があったと思うや、すぐさま凄まじい衝撃が二人を
襲った。バキバキバキッ!と激しい音が響いた。回転するプロペラが近くの木の枝に当た
ったのだ。プロペラは枝を両断したが、自分もまた衝撃を受けてねじれ、大きくしなった。
そのはずみで、さらに別の枝を剪断し、機体は何度も跳ねるように揺れた。
ついにプロペラの一枚が鈍い音を立てて割れるように折れた。吹っ飛んだプロペラが弾
けるように跳んでいき、そして機体は一気に地上に落ちた。着陸用の車輪脚3基が機体の
自重を支えきれず、潰れるようにいっぺんに全部折れ、胴体がドーンっ!と地上にぶち当
たった。
激しい衝撃にクラリスもラナもミキサーの中のように跳ね、何度も頭をキャノピーにぶ
つけた。流血しなかったのが不思議なくらいだった。だが、その途端、二人は同時に気を
失っていた。
オートジャイロが途中で墜落せず、湖畔の森の中に降りていき、爆発も炎上もしなかっ
たのを双眼鏡で確認して、ヘルガ少佐は眼鏡の下に安堵を隠し、踵を返して追跡の指示を
出すべく、部下たちのもとに戻っていった。
「探索班を組織して、脱走者を確保せよ。ただし、絶対に殺してはなりません。衛生兵も
同行させなさい」
そう命じた少佐は、如才なく付け加えた。
「整備兵は、機体の回収準備に当たること」
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