黄金の日輪*白銀の月
第3話喪失Female Trouble
その時だった。 二人の笑い声をいきなり吹き消すような突風が、幔幕を翻させた。重厚な窓が軽々と 開き、バタンッと音を立てた。宵闇の冷気が一気に室内に充満する。 弾かれたようにアンヌは幔幕を押しのけて、クレアを守るように背後にかばい、貴婦 人のたしなみとして持つ短剣を構えた。油断なく、姫将軍は周囲の気配を探る。 いる。 なにか、とてつもないものが、いる。 姉の後ろからこわごわと窓を覗き見た王女は、窓辺に立つ人影を見つけた。 だか、それは「立って」いるのではなかった。満月を背に長いマントを纏ったその姿 は、何か細長いものに腰をかけて、宙に浮かんでいた。 「見つけた、ドロボウ猫!」 その姿が声を発した。意外にも、幼い少女の声で。 幻のように軽やかに床に降りたその姿が、室内の灯明に照らされた。漆黒のマントと、 やはり黒一色の鍔広三角帽子をかぶり、宙に浮くために腰をかけていた杖を手に持ち替 えて立つのは、どう見ても12、3歳にしか見えない少女だった。マントの下はどんな 格好かはよくわからないが、帽子からはこれもまた緑の黒髪が腰にまで伸びている。 だが、その実体が外見通りの子供でないことは、その身からあふれる霊気が痺れるほ どに室内を満たしていることからも明らかだった。いったいどれだけの魔力を秘めてい るのか、推し量ることもできない。クレアはもとより、百戦錬磨の将軍アンヌさえも、 思わず膝が震えるほどの恐怖を感じていた。 「…魔道士…!」 「そんなけちな呼び名は嫌い。あたしは、シーマ。それ以外の何ものでもないわ」 シーマと名乗った少女は、つかつかと近寄り、手にした杖を突きつけた。 「あたしのかわいいペットを殺したのは、あなたね。アンヌ・クレセント・デル・サン ・アーヴェンデール!」 「ペット?」 その言い方に、アンヌは面食らった。なんのこと? 「そうよ、あのゴデスカルクはもう飼い始めて二百年、最近はようやくかわいい芸も見 せるようになっていたのに。それをちょっと留守にしていた間に、勝手に殺すなんて!」 邪竜ゴデスカルク!あれが、この少女のペット?それに、あのドラゴンが人々を襲い だして十年になる。それを、ちょっと留守の間?二百年前から飼っていた?二人はまる で夢物語を聞いているような気がした。 「とにかく」 シーマはさらにかさにかかって詰め寄る。 「あたしのペットを殺したことは認めるのね。それなら、あなたたち、アーヴェンデー ル王家を告発するわ。他者の所有物を奪い、もしくは損壊した者は、同等の物品で賠償 しなければならない。復讐法の基礎よね」 「…あのドラゴンが、お前のペットだなんて話が、信じられるはずがない!」 「あれえ、盗人猛々しいとはこの事ね。いいわ、犯人に反省の色がないんなら、罰を与 えなきゃ」 シーマは手にした杖を振る。そのとたん、アンヌの身体は木の葉のように宙に舞い、 そのまま床にたたきつけられた。 「あぐっ!!」 「お姉さま!」 「ドラゴンを殺すように教唆したあなたも同罪、クレア・ボーソレイユ・デル・サン・ アーヴェンデール」 アンヌに駆け寄るクレアを見つめながら、シーマは微笑みを浮かべて言い放った。 「…あのドラゴンの代わりに、あなたたち二人には、あたしのペットになってもらうわ」 「くそっ!何でそんなことが…!」 立ち上がって反撃しようとするアンヌだったが、手に短剣一本ではどうにもならない。 愛剣がここにないのが悔やみきれなかった。それでもなお、クレアを守ろうとする勇気 だけで、アンヌは幼い魔女に反撃した。 「ずいぶん元気。でも、あなたみたいな娘を調教するなんて、ドラゴンを飼い慣らすの に比べたら、あっという間よ」 杖を振り、何物かを一瞬で「召喚」すると、シーマはその物体をアンヌに投げつけた。 「!!!」 その物体が一瞬に巨大化した。一抱えもありそうな、黄色いゼリー状の不定形生物。 「うわああああ!」 スライムがアンヌの身体にまといついた。動きのとれなくなったアンヌの鼻腔に、甘 ずっぱい香りが染みこんでいく。スライムの粘液が気化した催眠性のガス。ゆっくり膝 から崩れ落ちていく姫将軍は、もう意識を失っていた。 「お姉さま!おねえさま!!」 かまわず駆け寄った聖王女にも、容赦なくスライムは矛先を変えた。だがクレアは、 汚らわしい怪物の存在にも躊躇せず、スライムまみれで倒れている姉に抱きついた。ひ とたまりもなく、王女もたちまち昏倒し、二人は折り重なって倒れた。 たやすく捕らえた獲物を前に、幼い大魔導師は会心の笑みを浮かべた。
(つづく)