『魔戦姫伝説』


 魔戦姫伝説〜鬘物「ふぶき」より〜第1幕.16.完
恋思川 幹

 土地の老人と別れた了慶は荒れ寺に戻ると、自分の手荷物や荒れ寺に放置されていた道
具などをかき集めて、ふぶきを供養するための支度を整えた。
 そのまま日が暮れるのを待って、読経を始めた。
 荒れ果てた寺に読経の声が聞こえる様は余人がみれば、さぞ不気味なことであっただろ
う。
 だが、了慶はそんなことは気にせずに、一心不乱に読経を続ける。
 やがて、灯していた蝋燭がだいぶ短くなった頃、どこからともなく女性のうめき声が聞
こえてきた。
「参られましたな。ふぶきさま」
 了慶が暗闇を見据える。
 蝋燭の光が届かない闇の中に、ぼんやりと女性の姿が見える。
「了慶上人さま。まことにありがたきご厚情に感謝いたします」
 ふぶきが深々と頭を下げる。
「されど、もはや私は往生することは叶わぬようでございます。ありがたき経文も、この
鬼の身にはただただ苦痛にしかなりませぬ。
口惜しきは女であるこの身でありまする。勝敗は兵家の常と申しますれば、勝つも負け
るも、武家である以上は避けられぬこと。されど、女の身ではただその宿命に流さるるの
みなれば、その歯痒きことに耐えられず、さながら男のように生きてまいりました。され
ど、最期の時は女ゆえの苦しみをこの身に刻み込まれて果てました。
 この遺恨、海よりも深く山よりも高いものなれば、それは激しい煩悩に他ならず、それ
ゆえに彼岸へ赴くことも叶わぬのでございましょう」
 自嘲する声が聞こえた。
「申し訳ありませぬ。私の力が及ばぬばかりに」
 了慶が無念そうにつぶやく。
「いいえ、了慶上人さまほどのお方でも無理だったのであれば、この上は鬼として生きて
いく覚悟もつきましてございます。
 さて、了慶上人さまにはお礼を差し上げねばなりますまい。
 拙いものではございますが、ひとさしの舞を持ちまして御礼とさせていただきまする」
 蝋燭の灯りの中に、美しい女がすぅっと優雅な動きで入り込んできた。
 艶やかな流れるような黒髪と緋色の華やかな振袖は、薄暗い蝋燭の灯りの中でなお、輝
いて見えた。
 ふぶきは扇を広げると、優美な舞を披露した。
 その美しさはまさしくこの世のものではなかったが、しかし悪しきものとも了慶には思
えなかった。
「これはまさに、この世のものならぬ美しさ」
 了慶が当然と舞を眺め続けていると、すでに残り少なかった蝋燭が一際明るく燃え上が
った。
 それにあわせる様に舞が終わり、ふぶきはもう一度深々と頭をさげた。
 そして、蝋燭の灯が消えさった。
 辺りは闇に包まれ、すでにふぶきの気配は消えていた。
「行かれたのございますな、ふぶきさまは。怨霊となって、この世を彷徨い続けるために」
 了慶は静かに合掌した。

 これが人間の世界に伝わる姫武将、いや、怨霊ふぶきの物語である。
 もとより、魔戦姫のことは秘事であれば、人間の語り伝える物語の中には残されること
はない。
 人間たちの知らない物語は、それに相応しい場で語ることにしよう。
(了)



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