お姫様舞踏会2
お姫様舞踏会2

 〜新世界から来た東洋の姫君〜(12話)
作:kinsisyou
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上映会と、舞踏会を明日に控え前夜会という名の軽めの晩餐会の後、ギネビア姫は一人自室に籠って考え込んでいた。その顔には、憂いというか悩みが浮かんでいた。そう、新世界を見てみたいとリクエストしたのは当人とはいえ、まさかあれ程とは思ってもいなかったからだ。

「まさか、あれ程とは私も予想していませんでしたわ」 

 聡明なギネビア姫も、新世界に対する漏れ伝わる情報やNIPPONなどの写真誌から旧世界の延長線上の風景を想像していた。まさか、摩天楼などの光景は本物だったとは。その上、馬車や馬とは比較にならない高速で移動する交通機関の数々に道路も隈なく張り巡らされ、高速道路まであるという非常に充実した交通網。

 どれも旧世界では今の所作れないものばかりであり、技術力や科学力、文化力、総合的な国力も魔法を使えない不利を補って余りある程遥かに隔絶している。パンパリアなど一部の国では日本皇国はトンデモな国だと噂にはなっていたものの、当初はギネビア姫も俄かには信じられずにいたが、この上映会で分かったことは、噂は本当だったこと、そして神秘の国の正体は、想像以上の超大国であった。

 こんな国を敵に回したくない。出来ればもっと交流を深め、友好条約を締結したいと考えていた。今思えば、リシャールに日本皇国の姫君の接待を委ねたことで、トンデモな荷を背負わせてしまったのではと後悔しかけてもいた。

「それにしても、偶然とはいえ新世界と繋がったことは、我が世界にもっと何かを学ぶべきという神のお告げかもしれない。だとすれば、まずは新世界の制度について学びつつ、誰を赴任させるべきか。既にグランディアは大使館を設けていますし、我がミッドランドも日本皇国との本格的な交流の足掛かりとして大使館を設けるとしましょうか」

 その際、誰を大使として赴任させるかが問題であったが、ギネビア姫は心中思う所があった。

「やはり、候補は彼しかいないのか。最終決定は、明日次第ですわね。はああ〜、このチョコレート、我が世界にはない神秘の味。その上和菓子は甘さ控えめながら芸術品。これ程の御菓子は見たことがない。この御菓子たちのためだけでも日本と友好関係を結ぶ価値はありますわ。チョコレートのお蔭で深く眠れそう」

 取り留めのない思考を重ねながら、ギネビア姫は束の間の床に就く。因みに、寝る前の一欠片のチョコレートは睡眠の質の向上に有効で、後に王侯貴族の間でまずは睡眠導入剤として普及したのであった。日本皇国でも子供に手の届かない値段ではなかったが週一程度の高価な御菓子であり、輸入する側のミッドランドでは更に高価になる上輸入量も初期は少量であったため、御菓子として普及するのは更に数年程先のことである。



 翌朝、今宵に舞踏会を控えている中、小ホールは女性が大勢集まってちょっとしたサロン状態になっていた。サロンとは応接間を意味するのだが、そこに王族や貴族、文化人などが集い知的な会話を楽しむようになると、一転して社交界のこうした集まりをサロンと呼ぶようになっていったという経緯がある。

 時代が下ると公共施設などで待ち合わせ場所や休息スペースなどにサロン、或いはラウンジが使われるようになっていくが、サロンの方がラウンジより格上と思ってよいだろう。

 女性の輪で囲まれたその中心にいたのは、飛鳥姫であった。話題の中心はというと、新世界のファッションについてのようで、いつの時代、そして世界は違えども若い女性にとってファッションは共通の話題になるようだ。無論、軸を為すかのように中心に位置している白絹のテーブルクロスが掛けられたテーブルにはお茶と各国が持ち寄って来たお国自慢のお菓子が並んでいる。その中で、やはりというか日本皇国が持ち込んだお菓子は旧世界から見て抜きんでて洗練されていた。ただ、何日か滞在する関係上、日持ちのするものを選んでるのでその中には日本だと何処でも買えるお菓子も少なくなかったが。

 因みに飛鳥姫は私服姿、というより国防省での仕事着であった。国防省は日本皇国軍の最高機関であると同時に軍の機関でありながら中央省庁としての性格も持ち合わせ、職員は各軍からの出向である制服組と、高等文官試験及び国家公務員中級試験以上に合格し、且つ国防省が独自に行う研修を無事終えた背広組で構成されており、軍に所属する機関である以上、身体頑健であることも要求され、知性だけでは務まらない。国防省入省試験の合格率は概ね5%前後と言われており、内務省、外務省と並ぶ難関省庁として知られていた。

 その最高責任者である国防大臣は各軍の現役、及び予備役の中将、若しくは大将から選出することとなっており、基本的に陸軍から選出されるのが慣例となっていて、このため飛鳥姫も軍籍であり、軍での立ち位置は陸軍大将である。だが、大臣は制服組からの選出でありながら大臣である間は国会議員でもあるため、この間は背広組として過ごすのが慣例となっていた。だから普段国防省での仕事はスーツ姿である。尤も、女性の仕事着は男性と比べると比較的自由度は高かったが。

「これが、新世界でのファッションなのですか」

「う〜ん、ファッションと言えばファッションなんだけど、これは仕事着なの」

 そう言って少し照れくさそうな飛鳥姫。

「それにしても、新世界のファッションは随分とシンプルというか洗練されているように見えますわ」

 新世界のファッションの最大の特徴は、何と言ってもシンプルであることに尽きるだろう。およそ120年くらい前から旧世界とほぼ同じゴテゴテした装飾を削ぎ落とし、よりシンプルに、より機能的であることが求められるようになった。同時に着心地もこれまで以上に求められ、現代に通じる服装の原形が完成することになる。シンプルでも決してお粗末に見えないのは、それまでの歴史で紡がれた服飾デザインを各所で簡略化しながら受け継いできたからだ。

 また、服飾デザインのみならずこの100年は、あらゆるデザインに於いてシンプル化の波が押し寄せた時代でもある。特に建築デザインはその傾向が著しく、古来からのデザインも見直され幾分すっきりした形に纏められたり、それまでのゴテゴテした装飾も行き着く所まで行った感があったからか、やはり全面的に見直されその過程で生まれた新たな装飾様式がアール・ヌーヴォー、そのアール・ヌーヴォーを量産に適した、更に簡略化しつつ見直し洗練度を高めた装飾様式がアール・デコであった。

 こうして現代にまで続くシンプル・モダンの原形が出来上がっていった。日本皇国ではアール・デコは特に好まれており、都心部の建築には流行が過ぎ去った後もアール・デコ様式は定着しており、また、皇族を始め文化人の間でもアール・デコは好まれ、こうした方の家にはそうした装飾がよく見られた。

 尤も、アール・ヌーヴォー、アール・デコが日本で好まれたのもある意味必然で、というのもこちらの世界でも史実に比べかなり早かったがジャポニズムが興り、日本に入国した西洋人の中にはデザイナーも少なくなく、日本の家屋や建築デザイン、果ては装飾様式に感銘を受け、これまでゴテゴテと飾り立てることが当たり前だった風潮も次のデザインについて行き詰まり傾向を見せ始めていた中、本気で革新が求められていた時代に、日本では古来から当たり前であった簡素の美は彼らに衝撃を与え、そしてデザイナーの間では、次の時代はもっとシンプルに、もっと機能的に、が暗黙の合言葉となっていった。

 そして彼らがジャポニズムを採り入れつつも従来の西洋式装飾やデザインに融合を試み試行錯誤を繰り返した結果誕生したものであり、その原点が日本にあったことを考えればそれらが日本で受け入れられたのは至極当然の成り行きであったと言えよう。

 日本皇国が今回の旅で持ち込んだ備品にもアール・デコ様式の装飾は少なくなく、有璃紗姫が乗って来たリムジンの内装もそうだし、また旧世界の視点から見てシンプルながらもやや奇抜に見えるこの装飾デザインに興味を示した方もいた。

 旧世界の人々が新世界のファッションやデザインに興味を示すのは、どちらの世界もそうした方面である程度似たような歴史を辿って来たからであり、新世界はその延長線上にあるからだろう。そして、地味と言わずシンプルモダンを洗練されたデザインと認める方がいるのもその影響と言える。

 その後、新世界のファッションやデザインは旧世界にも影響を与えて行くことになるものの、一部の人には好評でもあまりにも隔絶していたことも事実で、そのまま受け入れるには奇抜に過ぎ、結果としてその中間へと落ち着いて行くことに。その過程でドレスも幾分簡略化されていくのだろう。

 女性の話は本当に長く、ファッションを巡る知的で洗練された談義は尽きることを知らない。

 他には、

「でも、一昨日の愛璃姫と飛鳥姫のフリソデというファッションも素晴らしかったですわよ。新世界にはシンプルなファッションだけでなく、我が世界と同じく煌びやかなファッションもございますのね。とても神秘的でしたわ」

 そう言った貴族令嬢は、日本から輸入されるファッション誌を取り出して振袖の写真のページを開いて見せた。因みにこれも日本が輸出を許可しているファッション誌で、主に和装を中心に取り扱っていた。我が国古来の服飾に興味を示す方を見て、飛鳥姫は誇らしげに話す。

「そうですね。我が国もほんの50年くらい前までそれが主流でしたわ。そんな我が国にもやがて外国から新たな服飾が齎され、それは洋装として区別されました。時代の移り変わりに従い、和装だけでは不都合なことも増えまして、我が国に於いて洋装も徐々に増えていきましたわ。私が着ているこれも洋装ですし。でも、昨日の映画のように和装洋装はそれが定められている場所やイベント、あとは慣習に基く暗黙の了解を除いて個人の判断や自由意思に任せていて基本は強制ではないので、日常では洋装の他に和装も健在ですのよ。我が国も女性はまだ和装の方が多いかもですね」

 洋装の普及が進んでいるとはいえ、未だ和装も健在、且つ着る機会の多い女性にとって、裁縫と並んで着付けは必須と言われ、着付け教室はどんな小さな町や村でも大抵はあったし、ない所では着付けの上手な人が集会所などで不定期で教えることも多い。親が娘に伝えることも少なくなかったが、何よち集まることの好きな日本人の気質から、そうした口実を設けて集まることが目的でもあったりする。

 因みに普段和装の女性も、日本の夏は高温多湿のため和装は時として茹だることがあるので、一部傷んで着られなくなったり、古くなった和装をアッパッパと呼ぶ簡易洋装に改造して夏に着ている方は少なくなかった。構造が単純なため、当時の女の子にとって裁縫は必須技能だったこともあって、少女誌ではアッパッパの作り方や型紙が付録の定番であり、母親からいらなくなった生地を貰ったり、或いは自分で購入してアッパッパを作り裁縫を覚えていった者も多いし、また、それを切っ掛けにして服飾の面白さに目覚め、自らファッションブランドを立ち上げ世界的に成功した方もいる。

 庶民層の間で生まれた女性の夏の装いであったが、程なく華族や皇族といった上流層にも広まって行った。

 他にも、映画を見て外の仕事に就いている女性が多いことに興味を持った方も多い。特に新幹線や列車の食堂車などで接客を務める女性が多いことが印象的であったようだ。尚、こうした接客はほぼ華族や名家出身の令嬢が大半を占めていた。立ち居振る舞いを実践の場で学べるし、給料は安かったけど金に困っている家ではないので修行と割り切って従事していた。また、庶民層でも彼女たちの優雅な立ち居振る舞いに憧れ、また、こうした所作を身に着けておくのは社会に出る上でも有意義なので、社会勉強の一環として志願、或いは夏休みの定番バイトとして高校生や大学生の娘にやらせる親も多かったという。

 まあ、これは旧世界でも貴族令嬢を侍女として王宮で一定期間従事させるのと似たようなものだろう。

 尤も、旧世界では女性が農作業を除いて外に出ることはそんなに多くないし、外に出るにしても遠くに行くことは稀であった。というのも、女性は子育てや家の番もあるし、女性が外で務まる職業なんてそんなにないし、それに新世界と比べると山賊が跋扈するなど治安の悪さの問題もあったため、そうそう外には出られないという事情もあった。そう考えると、女性が外に働きに出られることは、ある意味治安の良さの裏返しでもあったと言える。

 そして旧世界の住民にとり、新世界は興味津々の場所であったようだ。



 さて、その旧世界と新世界はどのように繋がっているのか、ここで説明しよう。

 今からおよそ10年程前、日本海沖で突如風景の一部がおよそ幅5q、高さ1qに渡り切り取られたかのように灰色にくすむ現象が発生した(後の海洋調査で深さは約1qあることが判明)。当然この現象に日本でも大騒ぎとなり、世界滅亡の前兆ではないかと言われたこともある。しかし、この灰色の風景は日本側、即ち北方向からしか見えず、南側から見た場合は色合いに何の変化もなかったが、後に巨大な障壁になっていることが判明すると、衝突事故防止のためその一帯が浮上式の囲いで被われることとなった。また、南側からだと注意深く見ればその部分だけ空間が揺らいでいるように見えるので、見分けはついた。

 因みに日本皇国では樺太から対馬、更に南側の一部が領土であり、大陸には日本皇室の分家によって建国された旭陽帝国があるので日本海は事実上の内海であり、交易目的以外の船舶は原則として通航禁止、また日本海上空も軍用機以外は原則として飛行禁止、日本海の一部には民間船も立ち入れない禁止区域が存在する。

 そして、その灰色の風景の正体が明らかとなるのは一件の偶発的事件によるものであった。

 突如灰色の風景から古めかしい木造の帆船が出現したのである。そのシルエットはスループ船に近く、攻撃力こそ低いものの軽量、快速で機動力が高く浅瀬も航行可能なことから大型のガレオン型軍艦などを易々と振り切ることが出来たし、逆に船速を活かしてガレオン型の商業船などを簡単に拿捕することも出来たので、攻撃力は低いと言っても商業船を襲うには十分だったことから海賊に好まれた船型である。スループ船の他、機動性、操舵性、経済性、汎用性の観点からも彼らの要求を満たしているキャラベル船も好まれた。

 突如現れた不審船に、すぐさま海上保安隊や海軍にも連絡が入るも、灰色の風景は佐渡島とは僅か5q程度しか離れておらず、程なくその帆船は佐渡島に接岸、すると現れたのは海賊であり、何と島民を襲撃し始めた。突然のことに島民はパニックとなり逃げ惑う中、上陸した海賊に次々と惨殺されて行った。しかし、すぐさま警察や駐留していた軍が反撃に出ると武器の差もあり多勢に無勢、海賊の襲撃は鎮圧され、島の奥に逃げた者も逃げ場のない島で逃げ遂せる筈もなく、僅か三日後には本土からの警察や兵士の増援が上陸したことによる大捜索で全員捕縛となった。

 この騒ぎで警察官や兵士には負傷者さえいなかった反面、民間人75名が犠牲となった。海賊側も31人が射殺され、船長含む10人が逮捕された。取調の際、言語はラテン語に近いことが分かり、ラテン語の出来る通訳立会の許で取調が行われ、当人らの目的は、自分たちの船の修理や補給のための拠点を築くのに上陸したに過ぎないと言ったが、当然新世界に於いてそんな常識が通用する筈もなく、その後船長たちに出た判決は……

 更に、彼らの乗って来た海賊船は海保によって臨検が行われ、何と船倉に於いて四人の女性が発見された。衰弱していたが命に別状はなく、事の重大性に鑑み報道管制を敷いて内密に佐渡島の病院で輸液やアドレナリン、栄養剤を投与するなど応急措置を施し、一週間ほど入院させて原状回復を確認後、政治的判断により皇国の首都である京都の宮内病院に移され、本格的な治療を受けることとなった。

 発見時、二人はボロボロではあったがドレス姿だったことから高貴な出身と推測され、もう二人はメイドを思わせる服装から侍女であると思われた。二週間に及んだ経過観察の後、高貴な生まれと思われる女性は、やはりお姫様と判明した。先に回復した侍女の証言から、小さな国の王女姉妹で、嫁ぐ途中海賊に襲撃され拉致されたのだという。そして、二人は船に乗っている間世話をすることになっていた。また、船倉からは嫁入りに際しての持参金と思しき金貨や、貢物と思われる金銀宝石も多数見つかっている。

 尤も、そのお姫様たちは原状回復後もかなり怯えていて、こちらの調査に対してもなかなか警戒を解こうとしなかった。後に当人の証言で、見たこともない場所に連れて行かれ、自国でも見たことがない上質の食事(といっても病院食でも重傷者用の高カロリーの特別食だったが)を提供されて自分たちを気遣う周囲の様子からも敵意はないことは早々に理解したけど、非常に戸惑ったことがなかなか警戒を解けなかった理由であった。

 彼女たちが何処から来たのかなど、一通りのことが分かるようになるのは、入院から1ヶ月後のことになる。また、この間警察関係者や政府高官などが次々と訪れるし、その上皆さん所謂背広姿だったので、自分が詰問責めになるのは止むを得ないことも理解していたとはいえ、暫くの間背広姿に苦手意識を持つことに。

 また、身体には特に問題はなかったものの、この間の定期的なリハビリも苦痛だったとか。

 結局、病院には2ヶ月入院し、退院後は迎賓館に滞在するも実質軟禁状態で、それは豪華な牢屋も同然であった。たまに気晴らしにリムジンに乗せてもらって町中を観光させてもらった。馬もいないのに動いていることに当初恐怖を感じていたものの、凄く発展した街並みであったことは、はっきり覚えてるという。当人曰く、物語に出てくる摩天楼そのものであったと。まあ、考えようによっては旧世界の住民の視点からすれば、新世界こそがファンタジーな訳で。

 そして、献身的な介抱などが功を奏して彼女が平静を取り戻して来ると、灰色の風景の正体が明らかとなっていった。それは、互いの世界を繋ぐ出入り口なのだという。つまり、海賊とお姫様は自分たちとは異なる別の世界から来たということになる。当初は信じ難かったが、自分たちの世界では異世界の存在を当たり前に認識しているという。この辺の意識は、ある意味こちらよりも進んでいると言えるかもしれない。

 また、今いる世界と自分たちの世界は、同じ場所に位置しており互いが重なり合っていて、何らかの理由により互いの世界を繋ぐ穴が開くらしく、それは何処に開くかについては分からないとも。主に海に開くことが多いが、場合によっては陸に開くこともあるという。また、穴は1000年以上の長期に渡って安定的に開いているものもあれば、1年に満たない内に閉じるものもあるなど、その性質は千差万別であった。その証言から、彼女たちの世界は過去にも異世界とを繋ぐ穴が開いていたらしいことが窺えた。そして、向こうの概念で、その穴を門という。

 最終的に彼女たちはおよそ4ヶ月に渡りこちらに滞在し、自分の帰属する世界に帰ることとなったのだが、その間の証言から穴の正体が明らかとなって以降、何度か穴を越えての海洋偵察や上空偵察が行われており、異世界についても少しずつ明らかにされ始めていた。だが、この時点ではまだ異世界の住民との接触はなかった。

 その際、姉姫の提案で、自国の旗を目印として掲げることで相手に見つけてもらうことになった。というのも、彼女も大まかな方角は分かっていたけど、海洋や航海の知識には疎く、国のある位置なんて分かる筈もないため、自国の旗を掲げて国がある方向に沿岸沿いに進むしかなかった。尤も、彼女の国に対する大まかな証言と、事前の航空偵察や海洋調査などから大凡の位置は掴んでいた。

 後に明らかとなったことだが、意外にも国のある位置と、互いの世界を繋ぐ門を介して日本本土から僅か150q程度しか離れていなかった。快速船だと精々5時間程度である。まあ、僅か150qと言えるのは、こちらは動力船が主流だからで、帆船だと順調に進んだ場合で2日は見なければならない。実際、嫁ぐ予定の国には最低で一週間掛かる予定だったという。尤も、相手が見つけてくれるまでに三日を要したが。

 他にも、後に交流を相次いで結ぶことになる主要国の大半が、門より50〜300qくらいしか離れていなかった。

 また、お姫様たちを何に乗船させるかとなった際、見つけてもらうためにも相手に目立つようにした方がいいだろうということで、日本皇国が誇る巨大豪華客船である新浅間丸級でも取り分け美しいシルエットで知られる秩父丸が動員されることとなった。

 新浅間丸級は13万トンの排水量を誇る当時世界最大の豪華客船で三隻建造され、秩父丸は三姉妹の中で最も大きな船でもあった。皆さんにとっては鉄の船自体初めてのことだし、ましてや13万トンとなれば海に浮かぶ巨大な宮殿であり、圧倒されたのは言うまでもない。

 秩父丸は、数隻の護衛を伴い旧世界へと向かった。

 そして帰ってきた際、海賊の襲撃現場と思しき海域で彼女たちの国の軍船と遭遇。あまりの巨大さに、一時はこちらが敵視されたが、相手国の旗を掲げ、お姫様の無事を見るや態度を翻した。尤も、お姫様は亡くなったことになっていて、既に葬儀も行われ墓まであったのだが。当然国内は大騒動に。

 しかし、お姫様が無事帰還したことで送り届けた一行は国賓として大歓迎を受け、そしてこれを切っ掛けにして互いの世界の交流が始まった。その際、国王が各国に色々と口利きをしてくれたお蔭で日本皇国の地質及び資源調査などに何処も好意的で(娘の奇跡の帰還に大喜びの国王は、当然のことながら願うままに褒美を取らせると言ったが、こちらが望んだのは異世界に対する全面的な調査権であった。金銀財宝を予想していた国王は呆気にとられたものの、喜んで応じてくれた)、やがて自分たちの世界を旧世界、こちらを新世界と呼ぶようになった。因みに旧というと見下したイメージで捉われる恐れがあるが、旧とは向こう側が自ら名付けた相対的な概念に過ぎず、向こうから見れば文明も文化も違う未知の世界なので、敢えて新世界と呼称したのであった。また、こちらでも旧世界・新世界がほぼ呼称として浸透定着していった。

 また、新世界に属するこちらにとっても、驚きは少なくなかった。まず、帰還の際に姉姫が得技としてヒーリング系魔法を披露し、送り届けた乗組員の一人が勤務中にケガを負っていたのだが、全治一週間の傷が、あっという間に完治した。実は、当人は旧世界の医学知識に精通しているのだという。新世界側の人間にとって、所詮はファンタジーでしかなかった魔法に実際に遭遇した瞬間であった。

 そして、妹姫は音楽を奏でるのが得意で、チェンバロにも似た弦楽器で一行にミニコンサートを披露した。まるで妖精が踊っているかのような軽快なリズムにしばし耳を傾け、新世界では聴いたことのない音色は非常に新鮮であった。

 因みに、帰国後にややワガママな姉妹であることも判明する。尤も、王族なんて誰でも多少なりともそういう側面はあるものだが。また、奇跡の帰還から3ヶ月後、今度は護衛付で正式に嫁いで行った。

 新旧世界が交流を本格化するにあたり、互いにとって幸運だったのは、双方が話せる国であり、基本的に侵略的野心もなく平和主義的で信用を重んずる国柄であったことだろう。だからこそ結果としてこちらがお姫様を救ったからというのもあるが、すぐさま友好関係が締結できたとも言える。友好条約締結後、お姫様の命日と、こちらでお姫様を救出した日が一致していることが判明し、その日が互いの世界が結ばれた記念日に制定され(世界結合記念日、日本では世結(よむすび)記念日という)、毎年この日には海賊によって犠牲となった日本の民間人の慰霊祭にも旧世界側から参列し訓辞を読むのが慣例となった。

 そして、異世界交流は現在に至る。



 さて、互いの世界のファッション談義で華やいだサロンも御開きとなり、皆さんメインイベントである舞踏会に向けて準備に入る。それに伴い、グランド・パレスはちょっとした喧噪に包まれた。それもそうで、晴れの舞台のために用意したドレスに着替えるのは時間の掛かる行為であり、舞踏会を支える執事のラムチョップ以下メイドなどのスタッフ、周囲を警護する衛兵なども大忙しとなる。同時に張りつめた空気が漂う。それもそうだろう。舞踏会とは国の威信を賭けた外交に他ならないのだから。

 その中で最も神経を尖らせていたのは誰であろう、ギネビア姫であった。尤も、内心は気を張っていても、顔にはおくびにも出さない。何故なら主催者である自分が憂いていて、賓客は楽しめるだろうか。そもそも賓客に楽しんでもらわねば舞踏会は失敗も同然なのである。

「さて、私も楽しむとしましょう」

 そう独白して自らに言い聞かせるギネビア姫。



 飛鳥姫たちも部屋に戻り、準備に入る。そして、リシャールもメインイベントを目前にして窓に向かい、祈りを捧げていた。

「神よ、我がミッドランドに、ギネビア様に、そして我がフルア家に栄光と繁栄のあらんことを……」


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