●哀姫メルバ淫獄の虜囚●

小説:山崎いくお

・野卑な兵士に捕らわれた王女・

肌を空気に晒しているという事がこんなにも心細い事だとは考えてみたことも無かった。そうメルバ姫は思う。毎日の、侍女達にかしずかれての沐浴の時間には決して感じなかった事だ。しかし、肌着同然の湯帷子一つにかろうじて身を包まれた彼女が佇んでいるこの場所は、昨日までの王城の湯殿ではない。

ジメジメと湿った岩壁、苔むした冷たい石の床。明かり取りの小窓一つ無く、金属製の格子で出入り口を仕切られたこの部屋は、罪人や囚人を一時収監しておく為の牢獄だった。濡れたようにしっとりした長く美しい髪、雪のように白くきめ細かい肌、すらりと伸びた長い手脚、成熟しきらない若い曲線を浮かび上がらせる腰や胸元、そして何より、輝く大きな瞳が愛くるしい、しかし気品のある美しい顔だち・・・。既に廃都となった小さな城下町の朽ちた警護所の地下牢に、昨日まで神聖メロゥド王国の第一王女であったメルバ姫は監禁されていた。

(父様や母様は無事でいらっしゃるのかしら?一緒に逃げて来た侍女のリーナやシェリーは何処に囚われているのだろう?)

近しい人々の安否が気遣われて、メルバ姫の胸は痛んだ。しかしそれ以上に、メルバは自分自身の身にこれから降りかからんとする運命が見えない事への不安が大きかった。18年と余月の人生の中でかって感じ得なかった恐怖である。ともすれば心を押し潰されてしまいそうだ。他の者達の心配をする事は、自分自身の恐怖を少しでも和らげんとする無意識の所作であったかも知れない。

神聖メロゥド王国は此処から東に約10里のシヴォレー峡谷を越えた向こうにある、この大陸では中程度の規模の王国だった。経済の中心は農作物と織物などの工業製品による交易。国土の東側は海に面し、海上貿易の要衝の港町としても栄えた。しかし、永く平和だったこの国は軍の力があまり強くはなかった為、手工業者を束ねるギルドと、海上の交易での利権を握るハンザが同盟を結んで王国軍の圧力に対抗するようになると、急速に国家安寧の屋台骨が崩れていった。そしてついには1ヶ月前、隣国スードリィ王国の侵略を招いてしまったのであった。ハンザを抱き込み、艦隊をもって港から上陸を果たしたスードリィ軍は破竹の進撃で5日前には王城を包囲できる位置にまで詰め寄った。ここに至ってメルバの父である国王は篭城で時間を稼ぐ一方、一人娘である王女メルバを侍女2人と僅かな護衛の兵と共に密かに脱出させたのであった。もはや交渉の余地すらも無く、王国と自分たち王族の未来に希望は持てなかった。
ただただ、娘の命を永らえさせる事のみを願って・・・。

しかし、友好国へ逃れるべくシヴォレー峡谷をやっとの思いで越えたのもつかの間、山間部を斥候していた敵の遊撃隊に発見され、捕らえられてしまったのだ。彼らは斥候とはいっても、元は山狩りでアジトを失った山賊が傭兵として雇われているような連中だから軍の慣例もなにもなく、気が荒い。護衛の兵たちは問答無用でたちまち殺されてしまった。メルバと侍女達は商家の娘を装っていたが、メルバが唯一、友好国へ逃げ込んでかくまってもらう時の身の証の為に持っていた、小さなクラウン―但し高価な宝石がはめ込まれた―を見つけられ、身分がばれてしまったのだった。すでに王女メルバの逃亡はスードリィ軍に知れ渡っており、周辺地域のこうした遊撃部隊には懸賞金付きで捕縛命令が下されていたので、メルバと侍女のリーナ、シェリーの三人はその場で拘束され、スードリィ王国へ引き立てられる事になったのだった。今、メルバはその道中、夜営の為に立ち寄った廃都で地下室の牢獄を寝所としてあてがわれたというわけである。とても王族に対する処遇ではない。リーナとシェリーはメルバの傍から引き離された。堅く冷たい床に毛布すら無く、眠る事などできはしない。メルバはた だ、身を固くして不安に耐えているだけだった。

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