黄金の日輪*白銀の月2〜陰陽の寵賜〜
第1話/祝祭
Female Trouble
秋の豊穣を神々に感謝する大祭の日々が、今年もこのアーヴェンデールの街に訪れた。
およそ半月にもわたる祭の幕開けを祝うように、あちこちで爆竹が爆ぜる。
明るい喧噪がいや増す中、人々は街を南北に走る大路に沿って、中央広場にと足を運ん
でいた。感謝祭の初日には、アーヴェンデール神聖騎士団の閲兵式が、王家列席のもとで
とりおこなわれるからである。
人々が広場に集う前、すでに精鋭たる騎士20名は集結し、一糸の乱れもなく馬上に揃
って、東西に10騎ずつ、広場中央に設置された障壁に沿って、中央に向かい合うように
整列していた。遠巻きに見守る市民たちのさざめきが続く広場の空に、それを破るファン
ファーレが鳴り響いた。
人々の目が全て、広場に面した王城のバルコニーに集中した瞬間、その扉が開け放たれ
た。その奥から歩み出たのは、このアーヴェンデールを統べる聖王女、クレア・ボーソレ
イユ・デル・サン・アーヴェンデール姫だった。
豊穣の女神の祝福を示す赤いドレスの盛装に身を包み、日射しの下に黄金の髪を煌めか
せながら出御した可憐な姫君は、まさに神々しい日輪に比せられるに相応しい美しさであ
る。
代々、女王が統括するこの街を、早逝した両親に代わって王女の身分のまま統治の錫杖
を手にして3年。わずか16歳にして、すでに冒し難い気品に満ちた姫君は、全ての国民
の敬愛の的である。
その姿に市民が一斉に大歓声を上げる中、一歩遅れてその横に進み出るのが、王女の実
姉にして近衛隊長、しかも竜殺しの武勲も赫々たる姫将軍、アンヌ・クレセント・デル・
サン・アーヴェンデール護国卿である。
長らくこの街の脅威だった邪竜ゴデスカルクを、19歳の手弱女ながら、命懸けの戦い
の末に討伐して生還したのはわずか2ヶ月前だったが、すでに姫将軍アンヌの威名は広く
各国まで知れ渡っていた。
妹姫クレアとは対照的なプラチナの銀髪と、青い軍令服を凛と涼やかに着こなす男装の
麗人ぶりに、とりわけ広場の女性たちから黄色い歓声が起こる。
アーヴェンデールの象徴たる王女姉妹が市民に手を振るその背後で、バルコニーの隅に
目立たず立っている黒ずくめのマントに三角帽子の姿に気がついた者はあまりいない。し
かしそれこそは、この国の影の軍師にして古今比類なき大魔導師シーマである。外見は1
0歳そこそこの少女にすぎないが、その実体は無限にも等しい時間を生きてきた超越者な
のだ。
姉将軍の竜退治の直後、どこからかこの宮廷に現れ、王女姉妹の推挙によって客卿とし
て処遇されている。初めての朝廷においていきなり、精霊の四魔神を召喚して群臣の度肝
を抜いたが、それ以来は何をするでもなく、所在なく宮中に佇んでいることが多い。
今も、晴れやかな王女姉妹を横目に、バルコニーの窓枠に凭れつつ眠そうに生欠伸をか
み殺していた。だが、その不躾な態度をあえて指弾する者はいない。
人々の歓声が止まぬうちに、背後から二人の従者がそろそろと慎重に大剣を運んできた。
姫将軍アンヌが竜退治で用いた愛用のクレイモアである。元は普通の剣に過ぎなかった
のが、邪竜の血を浴びて強力な魔力を帯びた。その魔剣を、戦乙女の女神の神官たちが2
ヶ月の聖別の儀式を行った結果、剣は二つと無い聖剣として鍛え直されたのである。
伝説の処女英雄の名から新たに「ジャンヌ・ドゥ・アーク」と銘された聖剣を、アンヌ
は無造作に片手で持つと、その華奢な右腕で軽々と高く差し上げた。聖剣は陽の光を反射
し、刀身を虹色に閃かせ、眼下の広場をさらに眩く照らした。
「騎士たちよ!鎧に包んだこの血と肉を捧げ、アーヴェンデールの栄光を守らんと誓うな
らば、この我に続けっ!」
姫将軍アンヌが、朗々と響く澄んだ声で、騎士団に宣した。
その声に応じ、精鋭の騎士20騎は一糸乱れず腰の剣を抜き、高く掲げながら鬨の声を
上げた。同時に、雷鳴のような拍手が広場全体に沸き起こり、そしてまもなく足踏みをし
て大地を揺らすほどのリズムをとりだした。
歓声に包まれた王女姉妹がバルコニーの椅子に腰掛けたのを合図に、騎士たちは各々の
従者を呼びつけながら配置につき、市民が楽しみに待つ騎乗槍試合の準備を始めた。
騎士たちは皆、一騎当千の強者ではあるが、この街を他国の侵略から守りきるほどの戦
力ではない。そもそも、このアーヴェンデールが栄えているのは、各国に通じる交易路の
要衝に当たった商業都市だからである。人々は王家を尊崇してはいるものの、王家に強大
な軍事力を支える財力はない。税を極力抑え、人々の日々の営為を妨げる介入をできる限
り抑えていたことで、強欲な他国の重税を嫌った人々が集まってくるのだ。
だから、市民には己れの財産や一族を自らの手で守ろうという意識が高い。この街の富
を狙った侵略の戦があった時も、騎士たちと同じくらいに勇猛に戦ったのは市民の自警団
だった。
馬上槍試合は佳境にさしかかってきた。まだ19歳とはいえ、早くから戦士の技を好み、
ついには王位継承権を妹に譲渡して騎士になった姉王女アンヌが、手塩にかけて鍛えた
子飼いの精鋭である。実に緊迫した好試合の連続であり、しかも無事これ名馬、負けを喫
しても負傷する者はほとんど無い。
人々は思い思いに贔屓の騎士を声援し、またある者は勝敗の賭けに興じていた。明るい
陽気な空気が、広場を包み込んでいる。
平和な祭りの日。しかしこの平和が極めて危ういことを、王女姉妹はその身に滲みて感
じていた。
この小国が独立を維持しているのは、まさに僥倖と言うしかない。四方を十指に近い国
々と国境を接している豊かなアーヴェンデールは、戦略上でも財政上でも、各国にとって
やはり極上の美味である。この要衝の地を手に入れた国が、多くの利権を手に入れること
は間違いない。
しかしそれは同時に、危険な蜜の味でもある。豊かな交通の要所であるアーヴェンデー
ルの存在自体、各国の微妙な力のバランスを計っている。ここがどこか一国に占有された
ならば、富と戦略上の要衝を巡ってすぐにでも血で血を洗う戦乱が起こりかねないのだ。
その事を最も熟知しているのが、他ならぬ王家の二姫であった。大陸全土に波及する戦
乱を防ぐためにも、何としてもアーヴェンデールの独立は守らなくてはならなかった。そ
れが、彼女らの使命でもあった。だがそれを最も理解していないのが、周辺諸国の王や領
主たちであった。その近視眼で節操のない貪婪な欲望に、王女姉妹はさすがに辟易してい
た。
トーナメントが終わり、優勝の騎士へにこやかに報償を授けながらも、聖王女クレアの
心は沈んでいった。感謝祭の間に、周辺各国の大使たちが踵を接して表敬訪問にやってく
るのが習慣なのである。しかしその訪問は、直裁にまた遠回しに、脅しすかしを織り交ぜ
た婚姻要請の一大大会になってしまうことは明らかだった。
それを思うと、クレアは深い溜息をつかざるを得ない。もちろん、私利私欲にまみれた
政略結婚を承諾するつもりなど毛頭無い。しかし、自分が未婚の乙女である以上、この求
婚攻勢が終わることもあり得ないのだ。
まして、クレアが心に抱いている唯一無二の愛が、公になどできないことも、聖王女の
心を暗澹とさせていた。
その愛の対象…。
美しく、凛々しく、愛おしい、たった一人の、姉。
アンヌの顔を見上げたクレアは、ハッとした。
アンヌもまた、その瞳に愁いを湛えながら、熱く妹を、クレアをじっと見つめていた。
妹の憂愁を、アンヌが気づかないはずがない。なぜなら、アンヌほどクレアを愛してい
る存在はないから。
「クレア、あんまり悲しそうな顔をしちゃいけないよ。祭は始まったばかり。みんなが不
安がる」
妹の肩を抱き寄せ、しかし視線はまっすぐ前の広場に向けたまま、アンヌは妹姫を励ま
した。
「…はい、お姉さま。だいじょうぶです」
気丈に答えたクレアが、肩にかかった姉の手を握りかえした。
光の下、視線を交わそうともせずに気丈に振る舞う王女姉妹を、背後から眠そうに見や
るシーマが、所在なげに杖でコツコツと軽く床を突いた。