バラステア戦記
第7話
009
アイルランガの姫・リンスのことが忘れられないリュウは、王宮へ行って忍んで会いに
行こうと決めた。バラステア軍との戦争に備えて王宮の警備は物々しくなっていたが今や
王軍の1人であるリュウは、通行証を見せれば王宮内に入ることが出来る。しかし姫の寝
室までは流石にこっそりと忍び込むしかなかった。
リンスは寝着のままベランダへ出て、うつろな瞳を空へ向けていた。
(姫様)
「!?」
何か声がしたような気がする。リンスは振り返ると、1人の青年が部屋の中に立っていた。
「あなたは・・・」
「いつかお目にかかりました者です。アリア小隊のリュウと申します」
リンスの脳裏に、あの夜のことが蘇る。妹の誕生日の夜、妹と間違えて自分に一輪の花を
手渡して去って行った青年・・・
「あなたはあの時の・・・」
「姫様のことが忘れられずこうして会いにきてしまいました」
リュウはあの時と同じように緊張して姫の顔を見ることができない。リンスもまた同じで
あった。名もしらぬ青年であったがあの晩のことが忘れられず、いつも考えていた。そし
て夜は寝具の中で青年のことを考えながら自慰にふけっていたのだ。
「これを・・・」
リュウは一輪の花をそっと差し出した。あの時と同じ花であった。
「リュウ。ありがとう」
自分のことを忘れられずに会いに来たリュウ。リンスは感激で胸がいっぱいであった。二
人はしばらく見つめ会っていた。
(なんと美しい人だ。あらためて見とれてしまう。俺はバラステアと戦い、必ずこの人を
守る)
リンスの美しく長いブロンドの髪が風に揺れている。まさに天女のごとく光って見える。
「姫。私は必ずあなたを守ります。バラステア軍をうち破ってみせます」
「リュウ。気持ちは嬉しいが私はもうすぐバラステアへ行くことになるかもしれません」
王宮ではバラステアとの開戦に消極的な意見が多数を締めていた。開戦派はアリアとご
く一部の将軍だけであり、後は自分の身の安全を計る文官達だけである。
「バラステアの皇帝カルノアは私達姉妹を要求しています。私達がカルノアのもとへ行く
ことで国と民が守れるなら・・・」
「姫・・・ご心配は無用です。あなたは誰にも渡さない」
「リュウ・・・」
リンスは、自分の為に戦ってくれると言うリュウの気持ちが嬉しかった。が、自分の為に
リュウや国の民達を危険に晒すのは偲びなかった。
(アイルランガの神よ・・・どうかリュウと我々をお守りください)
「アリア様、ただいま戻りました」
ゼキスードへの潜入を終えたレイラとスーチェンがアイルランガへ戻ってきた。
「ご苦労であった。敵の様子はどうか」
レイラとスーチェンはゼキスードでつかんだ敵の情報をアリアに報告した。二人はバラス
テア軍の詳細な様子をつかんできた。
「やはりな・・・大軍の通りやすいカルム山道から侵攻する手筈か」
山岳地帯に囲まれたアイルランガには何本かの街道が走っているが、中でもカルム山道は
比較的道幅が広く大軍が進行しやすい地形であった。
「ここには王軍を配置すればしばらくは防げるはずだ。我々はカルム山道の脇道へ待機し
て奇襲をかける」
アリアはレイラ達が調べてきた敵軍の情報を王宮で説明し、自分の考えた作戦を伝えた。
「王!国と姫君達を守る為にどうか決断を!」
「勝機はあるのだな」
「勿論でございます。このアリア、今まで数々の戦でバラステア軍を破って参りました。
この度も自信がございます。何卒おまかせくださいますよう」
その時1人の男が進みでた。
「こやつは所詮流れ者にございます。王、信用してはなりませぬ」
宰相のゼルであった。
「アリアはバラステアと通じているのやもしれません。ここはもうしばらく様子を見守る
のが上策と心得ます」
「何と呑気なことを。バラステア軍10万騎が今にも攻めてくるのですぞ」
アリアはこの宰相のゼルが大嫌いであった。自分の意見にいつも必要以上に反論してくる
のである。小柄だが油太りをした男で、アリアのことをいつもいやらしい目つきで眺めて
いる。王の信頼は厚いが、アリアはこの男を全く信用していなかった。
「王、もし今奇襲をかけねば民や姫達も囚われの身となりカルノアの慰みものとなるでし
ょう。ゼル殿は所詮我が身のことばかりを案じているのです」
ゼルは歯噛みをしてアリアをにらんだ。
(流れ者の生意気な女め)
「よし、ここはアリアにまかせよう。王軍はカルム山道に待機させる。アリアは2千騎を
率いて敵に奇襲をかけよ」
「ははあっつ!」
アイルランガはついに開戦に踏み切った。国を賭けての戦が始まろうとしていた。
ゼルはさっそうと王宮を出ていくアリアを見送った。
(メス犬め。今に見ていろ)
リンスは開戦が決まってから、常に神に祈っていた。
(リュウと皆に神のご加護を)
妹のリリーはそんな姉を優しく見守る。
(お姉さまは恋をしている)
相手が誰かは知らないが、リリーはそんな姉が羨ましかった。自分は恋などしたことがな
い。このまま恋することも知らずにバラステア皇帝の慰みものとなるかも知れぬ。自由に
王宮から外へ出ることもできず、この広い外の世界を全く知らないのだ。
(何故私は姫として生まれてきてしまったのか。なんと不自由なことだろう)
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