アルセイク神伝


第5話その4.悲しき決意

 「傷はまだ痛むか?」  「う〜・・・ひめさま、ひめさま・・・」  猛毒で意識が混濁しているボーエンは、うわ言の様にルクレティアの名を呼んだ。  「1人で戦うしかないな・・・」  ボーエンがこの状態ではラスと戦えない。  カルロスは、一旦魔城の奥に退却して体制を立て直そうと考え、ボーエンを担いで歩き 出した。  「ん?」  部屋の奥に誰かいる。薄暗い部屋の奥から、2つの人影がカルロス達に近寄ってきた。  「ボーエン!!」  悲痛な声をあげるその人影は、ルクレティアとフィオーネであった。  「ルクレティア殿・・・それにフィオーネまでっ。逃げていなかったんですか!?」  女達と逃げていたはずの2人が現れて戸惑うカルロス。ルクレティアは申し訳なさそう にカルロスを見た。  「・・・ごめんなさいカルロス王。嫌な予感がしたんです、ボーエンに何かあったんじ ゃないかと。」  「あう・・・へいか。」  泣きそうな顔でカルロスに抱きつくフィオーネ。  「まったく・・・ごめんよ、心配かけて。」  カルロスはフィオーネの頭を撫でてそう呟いた。  「ボーエンは怪我をしてるのですか?」  「はい。」  ルクレティアの予感は的中していた。カルロスは毒矢で瀕死の状態になっているボーエ ンを床に降ろし、ルクレティアに見せた。  「ひどい・・・ボーエン、私ですっ、目を覚ましてっ。」  ルクレティアに体を揺すられたボーエンは、目の前にルクレティアがいるのに気が付い た。  「ひめさま?・・・よかっただ・・・無事だったべか?」  自分の事よりルクレティアのことを案ずるボーエンは、ルクレティアの無事な姿に安堵 した。身体中に毒が回り、命の危険すら危ういのに、ボーエンの頭にはルクレティアの事 しかなかった。  「ルクレティア殿、これを見てください。」  カルロスは毒矢をルクレティアに見せた。それを見るなり言葉を失うルクレティア。  「こ、これは・・・魔獣ヒュドラの猛毒・・・」  「ヒュドラ!?」  「ええ、9頭の大蛇ヒュドラの猛毒です。かつてラスと戦ったお父様・・・神王が最も 苦戦した魔獣です。その猛毒は神族の力を無力化しますが、まさか・・・ボーエンが・・・ 」  声を震わせるルクレティアに、カルロスは目を伏せて頷いた。  「残念ですが、そのまさかです。」  カルロスの絶望的な声に、ルクレティアは思わずボーエンの傷口を見た。  「早く手当てしないと・・・カルロス王、聖剣をっ。」  カルロスから聖剣を受け取ったルクレティアは、ボーエンの肩に首飾りと聖剣を当てた。 神力を無力化するヒュドラの猛毒に対向するには、聖剣の力を使わなければならない。  「少し辛いけど、我慢して。」  そう言うと、癒しの力を傷口に集中させた。  「う、うああーっ!!」  ボーエンの悲鳴が上がる。猛毒と癒しの力が拮抗し、激しい反応でボーエンの全身に激 痛が走った。  「ぎゃああーっ!!あうあーっ!!」  「我慢しろボーエン!!」  暴れるボーエンを押さえるカルロスとフィオーネ。聖剣の力と癒しの力が相俟って、つ いに猛毒を制した。  「あう、く・・・」  激痛から解放され、ハアハアと汗だくになって息をするボーエン。  「ふう・・・これで大丈夫です。完全とは言えませんが、何とか毒を中和させましたか ら。」  「よかった、ボーエンに万が一の事があったら貴方に合わせる顔が無かった。」  カルロスの口から安堵の溜息が漏れた。でも安堵するのは束の間だった。  「グワオオーッ!!」  ラスの雄叫びと供に辺りが揺れ、天井からパラパラとホコリが落ちてきた。  「まだ暴れてるのか・・・」  上を向いて呟くカルロス。聖剣を手に取り、戦いに備えた。  だが、ボーエンが負傷している今、ラスに対向できるのはカルロス只1人であった。  先程までは、ボーエンが首飾りを使って防御にまわってくれていたが、それが出来ない 今、ラス相手に孤軍奮闘するには余りにも無謀な戦いとなる。  カルロスの心に悲壮な決意が宿った。そして愛しい妻に振り返った。  「フィオーネ、笑ってごらん。」  「あう?」  「ほらっ、笑って。」  優しく微笑むカルロスに途惑いながらも、フィオーネは微笑み返した。そんなフィオー ネを強く抱きしめるカルロス。  「・・・ごめんね。」  カルロスの口から悲しい声が漏れた。そしてフィオーネから離れると、首飾りを持って 走り出した。  「あう・・・あっ!?」  カルロスの悲しげな後姿を見たフィオーネはハッとした。  ・・・まさか・・・  「あうっ、いやーっ!!へいかああーっ!!」  泣きながらカルロスを追うフィオーネ。だが瓦礫に足を取られ、転倒してしまう。カル ロスはフィオーネを省みる事無く、瓦礫の山によじ登って上へと登って行った。  「ああーっ、へいかーっ!!」  床に伏せて泣きじゃくるフィオーネを見たルクレティアとボーエンは、カルロスが何を しようとしているか理解した。  「か、カルロス王・・・死ぬ気だべっ。」  「そんな・・・待ってカルロス王っ、行ってはだめっ!!」  ルクレティアの声も空しく、カルロスは見えなくなった。  「あうっ、うああうっ。」  フィオーネが泣きながらルクレティアにすがり付いてきた。  「泣かないで。」  なんとかカルロス王を助けねば・・・ルクレティアは思った。  「こうなったら私も行きますっ、カルロス王を死なせるわけには・・・」  「ま、待つだ姫様っ。姫様が行ったって、だ、ダメだべっ。」  ルクレティアを行かせまいと苦痛を堪え立ち塞がるボーエン。  「1人で戦うよりマシですっ、行かせてボーエンっ。」  「ぼ、ボーエンっ、うーうーあぁっ。」  ルクレティアだけではない。フィオーネまでカルロスの元に行こうとしている。  「・・・姫様、御后様。お許しくだせえ。」  ボーエンが両腕をスッと後ろに引いた。そしてルクレティアとフィオーネのみぞおちを 殴った。  「あぐ・・・ボーエン、なにを・・・」  倒れる2人に背を向けたボーエンは、カルロスの後を追う。そして毒矢のダメージも抜 けきらないまま、ヨロヨロと瓦礫を登った。  「まって・・・だめ・・・」  呼び止め様とするルクレティアだったが、その声はボーエンに届かなかった。

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