アルセイク神伝


第4話その3.フィオーネの愛

 「フィオーネ!!」
 妻の名を呼び駆け寄るカルロス。すると、ボーエンがフィオーネの顔を慌てて両手で隠
した。
 「だ、ダメだべ・・・御后様の顔を見ちゃダメだべ・・・」
 ボーエンは首を激しく横に振った。
 「?・・・どう言う事だボーエン。」
 ボーエンのうろたえ方は尋常ではない。フィオーネの身に何が遭ったというのか・・・
 「どけっ!!」
 ボーエンを突き飛ばしたカルロスはフィオーネを抱き起こして顔を見た。その途端、カ
ルロスの表情が驚愕に変わった。
 「こ、これは・・・ああ・・・フィオーネーッ!!」
 カルロスの絶叫が響いた。
 フィオーネの顔の左半分、正確には左頬から胸にかけて醜く焼け爛れたケロイドの痕が
あったのだ。
 ケロイドの痕は顔だけではなかった。体中の至る所にケロイドや切り傷の痕がある。
 この傷跡を付けた犯人は、今しがた倒したリザードマン3兄弟であろう。ラスに弄ばれ
たフィオーネは、リザードマン達の餌食にされ、溶解液で二目と見られぬ傷を負わされて
いたのだ。
 「うわあ・・・なんでこんな事に・・・可哀想に・・・フィオーネ・・・フィオーネエ
エっ!!」
 妻の身体を抱きかかえ、泣き叫ぶカルロス。その涙がフィオーネの額に滴り落ちた時で
ある。
 「へい・・・か?・・・へいか、へいかぁぁ・・・」
 まるで消え入るような微かな声がフィオーネの口から漏れた。ハッとしたカルロスはフ
ィオーネを見た。
 僅かに開いた目にカルロスの顔が写った。そして口元に笑みを浮かべ、フィオーネは愛
するカルロスを呼んだ。
 「へいか・・・へいか・・・」
 「フィオーネ・・・僕がわかるかい?助けに来たよ・・・もう大丈夫だ・・・」
 カルロスは、ふと、フィオーネの左手が固く握り締められているのに気が付いた。カル
ロスが触れると、その手はゆっくりと開かれた。
 血で汚れた左手の薬指には、カルロスが送った指輪が光っていた。その薬指には指輪の
周囲に無数の傷が付いている。まるで何者かが強引に指輪を外そうとしたかのような有様
だ。
 「フィオーネ・・・君は・・・」
 カルロスは全てを理解した。
 フィオーネは指輪を奪おうとしたリザードマン達に抵抗したため、辛辣なる拷問を受け
てしまったのだ。顔のケロイドも身体の傷も、その為であろう。
 しかもフィオーネが受けたのは拷問だけではなかった。
 フィオーネの秘部は、ラスやリザードマンどもに何度も何度も犯され、血と精液で悲惨
なまでに汚れていた。
 天使の様に美しかったフィオーネは、もはやボロ雑巾同様にされていた。それは身体だ
けではなかった。ラスの責め苦とリザードマン3兄弟の拷問によって、フィオーネの精神
はズタズタに引き裂かれ、彼女は完全に正気を失っていた。
 だがフィオーネは最後まで抵抗した。正気を失いながらも、カルロスとの愛の証である
指輪を守り抜いた。
 こんな目に遭いながらも、ひたすらカルロスを信じていた、愛していた。カルロスの目
から止めど無く涙が流れた。
 「ごめんよフィオーネ・・・僕が守ってやれなかったばかりに・・・君をこんな目に・・
・みんな僕のせいだ・・・僕のせいで・・・」
 嘆くカルロスを見かねたボーエンが、慰めるように話しかけた。
 「あ、あのカルロス王・・・御后様の傷は姫様に頼んで治してもらったらいいだ。姫様
ならそれぐらいの傷すぐ治せるだよ、だから・・・」
 「気休めを言うなっ!!いくらルクレティア殿に治してもらっても・・・フィオーネに
刻まれた心の傷は治らない・・・フィオーネの心は治せないんだ・・・」
 「カルロス王・・・」
 ボーエンはそれ以上何も言えなかった。
 そうなのだ。いくらルクレティアの癒しの力でも、ここまで無残に引き裂かれてしまっ
たフィオーネの心までは癒せない。
 「へいか・・・へいか・・・へいか・・・」
 安堵の笑みを浮かべ、壊れたレコードの様に何度も何度もカルロスを呼ぶフィオーネ。
カルロスは、そんなフィオーネを固く抱きしめ、ボロボロになった顔にキスをした。
 「どんな姿になっても、絶対に君を離さない・・・永遠に離すもんか・・・君は僕の妻
だ・・・」
 抱き合う2人を複雑な面持ちで見ていたボーエンは、我に返って声をかけた。
 「ゆっくりしている暇は無いべ、じきに魔族達が押しかけてくるだ。早く逃げないと。」
 ボーエンの声に答えるようにカルロスはフィオーネを抱きかかえて立ち上がった。
 「わかってる・・・でもなボーエン、僕達は逃げるんじゃない。立ち向かうんだ。アル
セイクとフィルの民を苦しめ、フィオーネをこんな目に遭わせたラスに・・・そして必ず
倒してやるっ、2度と復活できないように欠片も残さずこの地上から消滅させてやるんだ
っ!!」
 怒りと覇気に満ちた顔のカルロス。彼の手にした聖剣が真紅の光を放った。ラスへの怒
りが、民を思う心が、そしてフィオーネを愛する心が聖剣に輝きをもたらしたのだ。
 「一緒に戦ってくれるな?ボーエン。」
 「何言ってるだ・・・オラも戦うだ、姫様を、みんなを守る為に戦うだっ。」
 拳を握り締め、ボーエンはそう言った。
 「ありがとうボーエン。」
 少し照れた顔で答えるカルロス。
 「・・・始めてだべなー、カルロス王がオラにそんなこと言ってくれたのは。」
 「な、なに言ってるんだ、当然じゃないか。」
 そんなカルロスにボーエンは笑いながら無言で頷いた。
 「さあ、行こうか。」
 カルロスが立ち上がった時であった。
 「あ、ひっ・・・ああー!!ひいいいっ!!」
 ボーエンの顔を見たフィオーネが恐怖に顔を引きつらせ、悲鳴を上げた。魔族の姿をし
ているボーエンに怯えたフィオーネは、泣きながらカルロスの首にしがみついた。
 「フィオーネっ、あいつは僕達の味方だ。落ち着くんだっ。」
 「あいーっ、いいい、あーっ、あーっ!!」
 泣き喚くフィオーネを宥めたカルロスは、慌ててボーエンに向き直った。
 「おい、顔を隠してくれ。フィオーネが恐がってる。」
 「あ、わかっただ。」
 すぐさま背中に背負っている袋からタオルを取り出して顔を隠した。ほおかむりをして
いるその様は、マヌケなドロボウを連想させた。それを見たフィオーネがようやく泣き止
んだ。
 「さあ、何も心配無いよ、僕がついてるからね。」
 「あう、あうう。」
 落ち着きはしたが、ボーエンを見ているフィオーネの目は怯えている。それほどまでに
フィオーネに刻まれた魔族への恐怖は大きかった。
 「悪いが聖剣を預かってくれ。このままでは剣を使えない。」
 フィオーネを抱き上げている為、両手が塞がってしまったカルロスは、聖剣をボーエン
に手渡した。
 「今は逃げの一手だべな。」
 「しかたない・・・」
 部屋を出ようとしたカルロス達だったが、周りの状況を見て思わず立ち止まった。
 部屋の中には、オブジェに塗り込められた女達がいる。彼女達を見捨てて逃げるわけに
はいかなかった。
 だが、オブジェに囚われている女の数は30人は下らない。1人1人助けるのは時間の
無駄だ。
 見捨てるしかないのか?・・・そう思ったカルロスの耳に、ボーエンの声が聞こえた。
 「オラに任せてほしいだ。」
 林立するオブジェの真ん中に立つボーエン。
 「何するつもりだ!?まさか・・・爆弾でオブジェをふっ飛ばすつもりじゃないだろう
な?」
 「ンなことしたら女の子がみんな死んでしまうだ。こうするだよ。」
 ボーエンはそう言うなり、聖剣を床に突き刺した。
 「さっきカルロス王が十字架を壊すのを見て要領がわかっただ。女の子を解放するくら
いの事ならオラにも出来るべ。」
 「?・・・まあ、やってみろ。」
 訝しげにボーエンを見るカルロス。ボーエンはポケットから首飾りを取り出し、聖剣の
柄に添えた。
 「姫様・・・オラに力を貸してくだせえ。」
 目を閉じて聖剣の柄を握る。すると、聖剣と首飾りが神々しい光を放ち、キーンという
音を立てて共鳴した。そして、部屋全体が激しく震動した。
 「こ、これは・・・」
 突然の事に言葉を失うカルロス。
 ビシッビシッという音が響き、オブジェの至る所で亀裂が生じ始めた。そして女を拘束
していたセメントが爆ぜ、全裸の女達が次々とオブジェから解放されて床に転がり落ちた。
 「やるじゃないか、見なおしたぞ。」
 「へへ、オラにだってこれぐらいできるだ。」
 感心するカルロスに、笑って答えるボーエンだった。だが、安心してはいられない。
 「みんな、目を覚ますだっ。」
 叫ぶボーエン。手にした首飾りの光が広がり、床に倒れている女達を照らした。
 「う・・・う。」
 呻き声を上げて女達は起き上がり始めた。足元がおぼつかない様子だが、どうやら歩け
るだけの気力は回復しているようだ。
 「さあ、早くここから逃げるだ。」
 近くにいる女の手を取って逃げるよう促すボーエン。女達の全員が魔族から逃れる事は
出来ないだろうが、運が良ければ何人かはドサクサに紛れて魔城から脱出できるかもしれ
ない。
 1人でも多く忌まわしい魔族達から逃れる事を祈るボーエンだった。
 「長居は無用だべ。すぐにここを・・・カルロス王?どうしただ?」
 ボーエンはカルロスの様子がおかしいのに気が付いた。ボーエンや女達に背を向け、入
り口付近を凝視している。
 カルロスに抱きかかえられているフィオーネも様子がおかしい。瞬きもしないまま、じ
っと入り口を見ている。その目は恐怖に怯え、声を失っていた。
 「ボーエン・・・すこし遊び過ぎた様だ・・・」
 失意を隠せない目をして答えるカルロスに、ボーエンはハッとした。
 「まさか・・・」
 慌ててカルロスの傍に駆け寄るボーエン。そしてボーエンは入り口を見た途端、絶句し
た。
 入り口には、大勢の魔族が手に武器を持って待ち構えている。そして、集まった魔族達
の中から現れた黒服の男は・・・
 「ククク・・・女なんぞ見捨てればいいのによ、余計な情けをかけてこの様か・・・お
笑いだなまったく、てめえ等はバカの上に超がつくぜ。」
 嘲るような声で笑うその男は、ボーエンにとって、最も憎むべき男、ヒルカスだった。





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