アルセイク神伝
第三話その1.地下牢からの脱出
圧倒的な兵力を誇る魔族の軍隊を率いて神都アルセイクを、そしてフィル王国を制圧し
た魔王ラス。
アルセイクの平和を司っていた神姫ルクレティアは、ラスの手下である魔導師ヒルカス
によって捕らえられ、フィル王国の若き国王カルロス・ランスフィールドは魔王ラスに敗
北して地下牢に幽閉されてしまった。
指示していた指導者を失い、魔王ラスによって支配されてしまった両国の民達は、ラス
の率いる魔族達の奴隷として使役され、恐怖と絶望に苛まれる生活を送っていた。
人間の恐怖と絶望を糧としている魔王ラスは、もはや自分に敵対する存在など無いと確
信し、悪夢の支配を民達に強制していた。
だが、ラスは気付いていなかった。彼等の希望の光は潰えていなかった事を。
かつての指導者がまだ生きていると民達は信じていた。そして、いつの日か奇跡が起こ
り、暴君ラスが倒される事を神に祈り続けていたのであった。
魔王ラスの居城奥深くに設けられた地下牢の一室に、1人の若い男が幽閉されていた。
かつてフィル王国の国民に双賢王と呼ばれ、熱い指示を受けていた若き国王、カルロス・
ランスフィールドその人であった。
挙式を迎えたばかりの愛する王妃フィオーネをラスに奪われ、ラスとの戦いに敗れたカ
ルロス王は、絶望と屈辱に塗れたまま、虜囚の辱めを受けていた。
日の光の射し込まぬ陰鬱とした地下牢。そこはラスに歯向かい、敗れ去った者の行き付
く最後の地であった。
地下牢からは、敗北者達の呻き声と泣き声が途切れる事無く響いている。
そんな地下牢の最も奥まった場所にカルロスはいた。
「・・・うう、う。」
微かに声を上げながら目を覚ますカルロス。両肘の筋とアキレス腱を切断されているカ
ルロスは、裸のまま、うつ伏せ状態で転がされていた。
「く、ううっ・・・くそ・・・だめか。」
なんとか起き上がろうと足掻いてはみるが、手足に響く鈍痛がカルロスを苛み、起き上
がるどころか、寝返り1つ出来ない。
手足の傷はロクな治療も受けないまま放置されている為、傷口が開いたままになってい
る。このままでは傷口が膿み、命の危険性さえ及ぼしかねない。それに、たとえ傷が癒え
たとしても腱を切断されている為、イモムシの様に這いずり回る事しか出来はしないであ
ろう。
「なにが双賢王だ・・・なにが国一番の剣豪だ・・・今の僕は生きる屍じゃないか・・・
」
惨めな境遇を呪い、悔しさに涙するカルロス。
「フィオーネ・・・今どうしているんだろうか・・・」
ラスに辱められ、囚われの身となっているはずの愛妻フィオーネの身を案ずるカルロス。
ラスに敗北してから何日が経ったのだろうか。ラスの辱めを受けた彼女が無事であると
は到底思えない。だが、フィオーネの存在は、惨めな境遇であるカルロスのたった1つの
希望であった。
フィオーネが生きてさえいてくれれば・・・
「こんな傷がなんだ・・・たとえ這いずってでもフィオーネ、君を助けに行く・・・ま
っていてくれ・・・」
唇を噛み、そう呟いた時である。
「?・・・だれだ。」
牢屋の鉄格子の外で誰かが鍵を開けている音がした。
「またブタ男か・・・」
牢屋に幽閉されてから、男色のブタ男が再々カルロスをいたぶりに来ていた。うんざり
とした顔で呟くカルロス。だが、予想に反して、鉄格子の鍵を開けて入ってきたのはブタ
男ではなかった。
「誰もいねえだな、よし。」
入ってきた男は、周囲に誰もいないのを確認すると、倒れているカルロスに近寄ってき
た。
カルロスは謎の男を確認しようと頭を動かした。薄暗がりの中、カルロスの視界に写っ
たその男は小柄な魔族だった。それも魔族の最下層に位置するゴブリンであった。
「ブタ男の次はゴブリンか。ラスの奴、どこまで僕をいたぶれば気が済むんだ・・・」
忌々しそうに呟くカルロス。だが、牢屋に入ってきたゴブリンは意外な行動をとった。
「・・・!?、なんだ・・・これは。」
不意にカルロスの左の踵を蝕んでいた鈍痛が嘘の様に和らいでいった。傷口が見る見る
うちに塞がり、切断されていたアキレス腱が接合したのだ。
見るとカルロスの足元に跪いたゴブリンが右手を踵に翳している。その右手から柔らか
な光があふれ、傷ついた踵を癒していた。
「なんて暖かい光なんだ・・・」
カルロスは我が目を疑った。まさに奇跡だ。
ゴブリンは左足の踵を癒すと、右の踵、そして左手、右手の傷を治した。
「はは・・・動く、動くぞ!!」
歓喜の声を上げて再び動くようになった両手を見るカルロス。
カルロスを悩ませていた苦痛が癒され、自由を奪われていた手足に再び躍動感がみなぎ
った。
「お前は何者なんだ?うわっ・・・」
急に立ち上がろうとしたカルロスがバランスを失って倒れた。
「まだ傷が治ったばかりだべ。無理したらまた傷が開いてしまうだ。」
倒れこんだカルロスの腕を取って助け起こすゴブリン。
「あんた、フィル王国のカルロス王だべ?」
「そうだ。お、お前ただの魔族じゃないな。一体何者だ。」
「こんな格好してるだども、魔族じゃねえだ。おら人間だべ。名前はボーエンっていう
だ。」
ゴブリンの正体は、アルセイクの神姫ルクレティアに仕えていた下男のボーエンであっ
た。
「お前が人間?嘘つけ、その姿の何処が人間なんだ。」
「信じてもらえねえかもしれねえだが。本当だべ。」
ボーエンはアルセイクで起きた経緯を話し始めた。
アルセイクが魔族に襲撃された事、裏切り者ヒルカスの策略によってルクレティアが囚
われた事、そしてルクレティアを助けようとして返り討ちにされ、ヒルカスの呪いで魔族
にされてしまった事など、一部始終をカルロスに話した。
「そんな事があったのか、どうりでアルセイクと1年以上連絡が取れなかったわけだ。」
「んだ。裏切り者のヒルカスがラスを復活させてアルセイクをメチャクチャにしちまっ
ただ。そんで、オラもこんな姿に・・・」
悔しそうに呟くボーエン。
「ヒルカスって、ラスに仕えていたダニ野郎か。」
「知ってるだか?」
「ああ、少しばかりね・・・」
ラスの手先となり、カルロスを散々痛めつけたヒルカスの忌々しい顔がカルロスの頭を
過った。
「ところで、さっきはどうやって私の傷を治したんだ?あれほどの癒しの力、お前にそ
んな力があるとは思えないが。」
「これを使っただ。」
ボーエンは右手を広げてカルロスの前に差し出した。その掌の上には、青く光る宝石が
乗っている。
「これは?」
「姫様の、ルクレティア様の首飾りだべ。姫様の癒しの力が宿っているだ。これさえあ
れば大抵の傷や病気は治せるだ。姫様が連れ去られる前にオラに授けてくれただ。」
「なるほど・・・」
納得して頷くカルロス。だが急に怪訝な表情を浮かべてボーエンを睨んだ。
「で、お前は私に何をして欲しいんだ?」
ビクッとするボーエン。
「な、何をって?」
「とぼけるな、ただ私の傷を治したわけではあるまい。私に見帰りを望んでいるだろう、
顔に書いてあるぞ。」
図星をつかれたボーエンは少しうろたえた。
「あはは・・・さすがだべ、じつは、あんたを高名なカルロス王と見込んでお願いがあ
るだ。」
「やっぱりな、お願いとはなんだ?」
「実は、ヒルカスに捕まっている姫様を、あんたの力で助け出して欲しいだ。姫様は捕
まる前、共に戦ってくれる同士を探し出せって、オラに言い残されただ。その同士と一緒
に姫様の持つ神の力でラスを倒さなきゃいけねえだ。」
「同士?私がか?他にも大勢いるだろう。」
眉をひそめてボーエンの申し出を聞いているカルロス。ボーエンは溜息をついて首を横
に振った。
「もう何人も姫様を助ける為に協力してくれただ。でも、だめだったべ・・・みんな返
り討ちにされてしまっただ。もう、他に頼める人はいねえだ。頼むだ、オラと一緒に戦っ
て欲しいだ。」
ボーエンは真剣な眼差しでカルロスに訴えた。だが・・・
「・・・悪いが、お前と手を組む気は無い。」
カルロスは素っ気無くボーエンの申し出を却下した。
「そんな・・・」
「私にはやらねばならない事がある。お前の用事に付き合っている暇など無いんだ。」
カルロスに見放されたボーエンは、カルロスの前で土下座した。
「お願えだっ、どうか、姫様を助けて欲しいだっ!!オラ1人じゃどうにもならねえ・・
・どうしてもカルロス王の力を貸して欲しいだっ、お願えですだ!!」
ボーエンは、床に頭をつけて何度も何度も懇願した。そんなボーエンの姿に複雑な顔を
するカルロス。
「・・・わかった、力を貸そう。傷を治してもらった借りがあるしな。」
カルロスが小さな声で呟いた。
「・・・え?、本当だか!?」
喜びの表情を見せて顔を上げるボーエン。
「勘違いするなよ、ルクレティア殿を助けるのに手を貸すだけだ。それが終わったら私
は妻を、フィオーネを助けに行く。それでいいな。」
「あ、ありがてえだっ、これで姫様を助けられるだ!!本当にすまねえだっ。」
頭を下げ、感謝を示すボーエン。
「そうだ、あんた腹が減っているべ?飯を持ってきただ。」
ボーエンはそう言うと、奴隷の食事である残飯を盛った器を
カルロスに差し出した。
「なんだこれは・・・こんな物食えるか!!」
腐った臭いのする残飯を差し出されて文句を言うカルロス。
「これでもまだマシな方だべ、文句言わねえで食って欲しいだ。食わねえと力が出ねえ
だよ。」
「ふん。」
カルロスは顔をしかめながら器を受け取った。
「それじゃあ、また明日来るだ。それまでゆっくり養生しててほしいだ。」
ボーエンはそう言いながら部屋を後にした。
「・・・すまんな、ボーエン。」
カルロスは窮地を救ってくれたボーエンに冷たい態度を取った事を詫びた。
器を片手に床に座るカルロス。
「体力をつけておかないとな。」
器に盛られた残飯を手に取って口に入れようとするが、手が震えて残飯がこぼれてしま
う。傷が癒えたばかりなので力が入らないのだ。
「くそっ。」
仕方なく器に顔を突っ込んで残飯を貪った。すえた残飯の臭いで思わず吐きそうになる
が、なんとか堪えて喉の奥に流し込んだ。
「何としてでも生き延びてやる。フィオーネを助ける為なら、どんな事にも耐えてやる!
!」
もう恥も階分もない。ラスを倒し、フィオーネを助け出す。今のカルロスにはそれしか
なかった。