魔戦姫伝説(ミスティーア・炎の魔戦姫)第一話11


   闇の魔王と魔界八部衆
ムーンライズ

  魔界のゲートを通ったミスティーアは、上に上がるとも下に落ちるともつかない奇妙な
感覚に翻弄されながら、魔王の元へと進んで行った。
 彼女の前には、アドニスを念力で搬送するリーリアの姿がある。リーリアは無言で先を
急いでおり、その表情は険しい。ミスティーアは彼女に声をかけたいが、険しい表情のリ
ーリアに、ただ何も言えずに付いて行くしかなかった。
 やがて、進んでいく先に紫色の点が出現し、それが徐々に巨大化して異次元への入り口
に変貌した。
 その中へと進んだミスティーアの視界に、広大な空間が広がった。
 そこは魔界の最上部であった。
 「ここは・・・あっ!?」
 ミスティーアは声を詰まらせた。彼女の視線の先に、巨大な・・・黒い城が出現したの
だ。
 その城の周囲には黒々とした霞みが立ち込めており、不気味な空気が辺りに漂っている。
 不気味な空間にそびえる奇怪なデザインの巨城。それはミスティーアが子供の頃に絵本
で見た悪魔の城そのものだった。
 城の正面には鋼鉄の巨大な扉があり、何者をも拒絶するかのように硬く閉ざされている。
 戸惑いながらミスティーアはリーリアに尋ねる。
 「あの・・・ここはまさか・・・」
 「そのまさかよ、ここは魔王様の居城です。」
 平然と答えるリーリアは、アドニスの体を念力で運びながら魔王の居城へと進んで行っ
た。
 そして2人が鋼鉄の扉の前に立った時である。
 「グルル・・・」
 どこからとも無く凶悪な唸り声が聞こえてきた。その唸り声と共にズシンズシンと足音
が響き、狂暴な魔獣が姿を現した。
 それは魔城の門番である、三つ首の魔獣ケルベルロスだった。
 「ガウルル・・・」
 3つの狼の頭を持つ巨大な魔獣は、鋭い牙の生えた口を開き、リーリア達を威嚇する様
に唸り声を上げた。
 その凶悪な姿に声を失っているミスティーアを庇い、リーリアは魔獣の前に立った。
 「退きなさい。」
 リーリアはそう言いながら片手をケルベルロスに向ける。すると・・・
 「グッ!?グウウ・・・」
 リーリアを見たケルベルロスが、急に怯えたような顔で立ち竦み、尻尾を巻いて尻すご
みを始めたでは無いか。
 後退する魔獣に目を向けたリーリアは、口元に微笑を浮べてケルベルロスの頭を撫でた。
 「ヨシヨシ、いい子ね。」
 「クーン。」
 頭を撫でられたケルベルロスは、まるで従順な飼い犬の様に(伏せ)をすると、大人し
くリーリアに従って道を開けた。
 尾をヘコヘコ振っているケルベルロスを横目で見ながら、恐る恐るリーリアの後に付い
て行くミスティーア。
 リーリアが鋼鉄の扉に手を触れると、重厚な扉が苦も無く開かれた。
 扉の内側には、数人の屈強な衛兵が待ち構えていたが、リーリアの姿を見るや、平伏し
て彼女を出迎えた。
 「こ、これはリーリア様、ようこそいらっしゃいました。本日は如何様なる御用件で?」
 「魔王様にお会いしたいの、魔王様はいらっしゃるかしら。」
 「はい、魔王様は八部衆の方々と至高の間にいらっしゃいます。どうぞお進みください
ませ。」
 リーリア達を促し、魔城の奥へと案内する衛兵達。
 衛兵達の態度から察して、リーリアが魔界においてどれほどの(権力)を保持している
かが伺える。だが、等のリーリアは魔獣や衛兵達にいくら媚びられても、権力などに興味
は無いと言った面持ちで、ミスティーアを連れて魔城の奥へと進んで行った。
 2人が向かった先は魔城のほぼ中央、(至高の間)と呼ばれる場所だった。
 衛兵達は、リーリアよりも先に(至高の間)に入ると、跪いてリーリアの訪問を告げた。
 「魔王様、リーリア様が御越しになられました・・・はい・・・判りました。」
 2、3度頭を下げた衛兵は、リーリア達に向き直って入室の許可が下りた事を伝える。
 「リーリア様、魔王様の御許可が下りました。お入りください。」
 「ありがとう。」
 衛兵の言葉に、2人は(至高の間)に入る。
 広大な空間が広がる(至高の間)に入ったミスティーアは、そこの中央に、とてつもな
く巨大な人影があるのに気が付いた。
 その人影は座高だけでも数mはあろう巨体で、立ちあがれば20m以上は在るだろう。そ
れは黒いマントを羽織っているかの如く暗闇に鎮座している。
 そしてその周囲には等身大の人影が8つ、巨大な人影を守るかのように浮遊している。
 その人影に声を詰まらせているミスティーア。
 「あ、あれは・・・あれが・・・」
 あれが・・・それより先を言う事が出来なかった。それより先を言うのが余りにも恐ろ
しかったからだ。
 そんなミスティーアに、リーリアは静かに口を開いた。
 「そうです、あの御方こそ・・・闇の魔王様ですよ。」
 闇の魔王様、その言葉がミスティーアの胸に絶対的な恐怖をもたらした。
 幼い頃に寝物語で聞いた恐ろしい魔王、教会で神父様から人々を恐怖と絶望に陥れる存
在と教えられた邪悪な魔王。
 彼女にとって(魔王)と言う存在は恐怖の権化であり、究極の絶対悪であった。
 それが今、ミスティーアの目の前にいるのだ。
 その姿は、まさに(恐怖)そのものだった・・・
 暗闇に浮かぶ彫りの深い顔はいかめしく、角張った輪郭は筋骨逞しい。尖ったアゴの上
には真一文字に閉じた口があり、鷲鼻の上には・・・鋭い視線の双眸があった。その爛々
とした瞳には、如何なる者をも黙らせる強烈な光が放たれている。
 そして、魔王の周囲にいる8人の人物が、魔王直属の幹部である魔界八部衆である。
 魔王と8人の視線は、ミスティーアとリーリアに向けられている。
 闇の魔王を前にして、リーリアが恭しく跪いた。
 「偉大なる暗黒の支配者たる闇の魔王様。その御尊顔を拝する事をお許し頂けまして恐
悦至極に御座います。この程、我等魔戦姫は、闇の理を乱したる不貞の輩を成敗致しまし
た。その不貞の輩の魂魄を込めましたる魔酒を魔王様に献上致します。どうか、お納めく
ださいませ。」
 口上を述べるリーリアは、手にしていたワイングラスを魔王に差し出した。そのワイン
グラスはリーリアの手を離れると、真っ直ぐに魔王の元に向かって運ばれて行った。
 巨大な魔王に対してワイングラスは極めて微小であったが、魔王の手に渡ると同時に、
魔王の体躯に見合うサイズへと巨大化した。
 巨大化したワイングラスの魔酒には、ガスターク一味の恐怖に歪んだ(顔)が泣き喚き
ながら浮かんでいる。
 (ヒィー、ヒィー・・・タスケテ・・・)
 闇の魔王は、無言でガスターク一味の哀れな声に耳を傾けていたが、やがておもむろに
ワイングラスを口に運んで魔酒をグッと飲み干した。
 (ヒィー・・・)
 ガスターク一味の泣き声は魔王の喉元を通り過ぎて後、魂魄もろとも消滅した。
 哀れなる悪党の悲鳴を味わった魔王は、満足げな表情を浮べてリーリアに視線を移す。
そして、静かに口を開いた。
 『リーリア・・・これは中々に極上である・・・悪なる者の悲鳴こそ至上の美味ぞ。大
儀であった。』
 その声は低く、深い響きを伴っている。まるで地の底から響く唸りのような声であった。
 魔王の誉め言葉に、リーリアは深く頭を下げて感謝の意を示した。
 「お褒めの言葉を頂き、まことに嬉しく存じます。」
 その返答に頷く魔王。
 『うむ・・・ところで、今日お前がここに来たのは他でも在るまい・・・余に頼み事が
在っての事だな・・・』
 魔王は全てを見抜いていた。リーリアは静かに答える。
 「お察しの通りであります。じつは・・・ご無礼ながら魔王様にお願いしたき事を嘆願
するべく参じました。それは・・・」
 リーリアが事の次第を述べようとするが、それを魔王が制した。
 『お前の願い事ではあるまいリーリア・・・余に頼み事があるのは、その娘であろうが・
・・娘・・・表を上げいっ・・・』
 魔王の鋭い視線が、リーリアの傍らで頭を下げているミスティーアを射抜く。
 「は、はいっ。」
 魔王の声にミスティーアは震えながら顔を上げた。そして重厚な声が響いた。
 『娘・・・名は何と言う・・・』
 「あ・・・あの・・・み、ミスティ・・・あ・・・」
 ミスティーアは余りの怖さに声が出ない状態だ。
 『なに?聞こえんぞ、もう一度言え・・・』
 「みみ、みすてい・・・あ、あっ?」
 不意にミスティーアの声が詰まり、彼女の体が目に見えない巨大な(手)で鷲掴みにさ
れた。体が硬直したまま魔王の元へと連れていかれる。
 突然の事にリーリアが驚いて立ち上がる。
 「ミスティーア姫っ!?」
 そのリーリアの前に、2人の八部衆が立ち塞がった。
 1人は赤紫の長いストレートヘアーに造形的な美しさの顔立ちをした女で、両手を腰に
当てたその姿は、いかにも権力者といったイメージの女だ。
 女の名は魔界貴婦人ヴァルゼアと言い、魔王の側近を務める八部衆の1人である。
 もう1人はスキンヘッドに2本の角を生やした男で、浅黒い顔に不気味な刺青を施した
異様な面構えには、どこか抜き身の刃を思わせる危険な雰囲気が漂う。
 その危険な雰囲気を印象付けるかのような、赤い刃を持つ長さ2m弱の(ナギナタ)を、
男は背中に背負っている。
 このスキンヘッドの男は魔界鬼王ガロンと言い、魔王の忠実な部下であると同時に、魔
界の戦闘集団(鬼の一族)を率いる戦者である。
 その魔界貴婦人ヴァルゼアが、ふてぶてしい目でリーリアを見る。
 「あの娘を助けようというのかしら?あなたの出る幕ではなくってよ、リーリア。」
 ヴァルゼアに言われ、リーリアは悔しそうに立ち止まった。
 「くっ・・・」
 魔王の手前、逆らう事も出来ずに引き下がるリーリアを見て、ヴァルゼアはニヤリと笑
う。
 「そうそう、あなたは魔王様に口出し出来る立場ではないわ、大人しく見てなさい。」
 そして魔界鬼王ガロンも口を挟んだ。
 「貴様は、先程の戦闘で我等の許可無くフロイライン・ギャラホルンを人間相手に使用
した。後ほどその審議を行なう、控えていろ。」
 リーリアに一瞥をくれた2人は、クルリと身を翻し魔王の傍らに戻って行く。
 この2人の態度から、リーリアはヴァルゼアとガロンに快く思われていない事が伺える。
 一方、魔王に捕らわれたミスティーアは、抵抗できないまま魔王の恐ろしい顔の前に引
き立てられる。
 『娘・・・お前の名はミスティーアか・・・・フッ、いい名だ・・・』
 身動きできない状態で宙に浮いているミスティーアに、魔王の鋭い眼光が向けられる。
 『して・・・お前の望みとは如何なる事か?』
 魔王の問いに、ミスティーアは震えながら答えた。
 「あう、あ、あ・・・アドニス兄さんを・・・た、た、助けてほしいので・・・す・・・
や、闇に堕ちた兄さんの魂を・・・救ってほしいのです・・・」
 顔を引きつらせて答えるミスティーアを、魔王は恐怖の目をくわっと見開いて睨んだ。
 『なにぃ〜、今なんと言った?余に、人助けをせよと申すのか・・・貴様・・・余を魔
王と知っての上でほざきおるかっ!!』
 魔王が一喝すると、ミスティーアの両腕が見えない力で水平に引っ張られた。
 「はうっ!?」
 彼女の体が、十字架に磔られたかの様に両手を広げたまま硬直した。腕だけではなく、
両足も地面に向けたまま動けなくなる。
 絶体絶命のミスティーアに、リーリアはうろたえた表情になる。そしてそれを見たヴァ
ルゼアが勝ち誇った様に薄笑いを浮べた。
 「ウフフ・・・バカね、魔王様を怒らせるなんて。あの小娘も一巻の終わりだわ・・・」
 その嘲笑には、リーリアに対する対立的感情が込められていた。
 魔王から最も信頼を受けていると自負している彼女は、魔王の寵愛を受けているリーリ
アに激しい嫉妬を抱いている。
 それぞれの思惑が交錯する中、身動きの取れないミスティーアに魔王が迫る。
 『小娘が・・・リーリアに力を与えられて自惚れておるのか?悪党どもを成敗して、余
と対等に口が効けるようになったとでも思ったか?・・・甘いわ・・・貴様如きが余に頼
み事をするなぞ100年早いわっ!!』
 魔王の怒声と共に、ミスティーアのドレスが引き破られ、彼女は一糸まとわぬ姿にされ
た。
 「あひいっ!?ひっ・・・」
 全裸のミスティーアの前に、巨大な魔王の手が近寄る。その指先には鋭い爪が光ってい
る。
 『兄の魂を救って欲しいとかぬかしたな・・・然らばもう一度願うがいい・・・余を納
得させることが出来れば願いを叶えてやろうぞ・・・』
 有無を言わさぬ魔王の口調に、ミスティーアは恐怖した。だが、ここで引き下がるわけ
には行かない。魔王にしかアドニスを助ける事は出来ないのだ。
 恐怖を堪え、ミスティーアは口を開いた。
 「お、お願いです・・・アドニス兄さんを・・・たすけてくだ、さい・・・私の命と引
き換えてもいい・・・アドニス兄さんを・・・たすけて・・・」
 ミスティーアの言葉に、魔王は眉を吊り上げた。
 『ほほう・・・命と引き換えにしてもいい、か・・・よかろう・・・貴様の心の臓を抉
り出し、アドニスとやらの魂の肩代わりにしてくれるわっ。』
 魔王は手を振りかざし、その鋭い爪の先をミスティーアの胸元目掛けて下ろした。
 「に、兄さんっ。」
 目を瞑り、覚悟を決めるミスティーア・・・
 彼女の脳裏に魔王の爪に引き裂かれる自身の姿が浮かぶ。そして、それが速やかに現実
のものとなるはず・・・だった。
 だが、いつまでたってもその気配は無い。
 「?・・・う・・・」
 恐る恐る目を開けるミスティーア。彼女の目の前には魔王の巨大な手があった。その手
は彼女の胸元の寸前で止められており、魔王は微動だにせずミスティーアを見ている。
 そして、魔王は静かに呟いた。
 『・・・貴様、余に命を捧げる覚悟であったな?兄を助けるために、命を差し出すつも
りだったのだな・・・』
 重圧的な声であったが、先程までの威圧感が失せていた。
 ミスティーアはハッとする。
 もしかして・・・魔王は・・・自分を試していたのではないか?そんな思いが彼女にも
たらされた。
 魔王の指が僅かに動き、ミスティーアの胸元を爪で少しだけ傷つける。
 「あっ?」
 胸の谷間に赤い血が流れる。そして怯えるミスティーアを見つめて魔王は再び口を開い
た。
 『お前の体は闇に侵食されているが、心は光を失っておらん・・・その純真な魂・・・
滅するのは惜しい・・・』
 魔王の手がゆっくりと下ろされ、それと共にミスティーアを捉えていた(目に見えない)
呪縛も解かれる。
 「は?・・・たすかった?」
 呆然としているミスティーアの体が、ゆっくりと床に降りていった。その彼女の元に、
リーリアが駆け寄る。
 「ミスティーア姫っ、よかった。」
 全裸のミスティーアを受け止めたリーリアは、安堵の声を上げてミスティーアを抱きし
めた。
 そんな一糸まとわぬ姿のミスティーアの元に、破れた彼女のドレスがどこからとも無く
飛来し、元の形に自己修復してミスティーアの胸に覆い被さった。
 「元に戻ってる・・・」
 復元したドレスを見て驚くミスティーアに、ドレスの説明をするリーリア。
 「そうです、このドレスには自己修復機能が備わっています。どんなに破られても自動
的に修復して貴方の元に返ってきますよ。」
 「・・・そうだったんですか。」
 リーリアの説明を聞きながら、ミスティーアは元に戻ったドレスを身に付ける。
 そんなミスティーアを見ていた魔王が、静かにそして厳かな口調で告げた。
 『ミスティーア・・・お前の兄を思う心に免じ、願いを叶えてやろう。』
 その告知を聞いた魔界八部衆達の間から、ざわめきが起きる。
 「まさか、魔王様があの娘に慈悲を!?」
 「信じられん・・・」
 それはまさに驚愕の事であった。闇の魔王が脆弱な一介の小娘に慈悲を施そうと言うの
だ。
 そして、先程リーリアに立ち塞がっていた八部衆の1人、ヴァルゼアが血相を変えて魔
王の元に駆け寄った。
 「ま、魔王様っ、何を言われるのですかっ!?人間の小娘の願いを叶えてやるなどと・・
・」
 うろたえる魔界貴婦人に、魔王は平然と言い放った。
 『・・・小娘を助けたら何か困る事でもあるのか?』
 「いえ、そのような事は・・・」
 呆然とするヴァルゼアを押し退け、魔界鬼王ガロンが姿を見せて魔王に進言した。
 「ご無礼ながら魔王様、この度の戦闘でリーリアは我等魔族の究極兵器であるフロイラ
イン・ギャラホルンを人間相手に、しかも我等に許可無く使用致しました。これは明らか
に違法行為に他なりません、人間に我等の存在を知られるような行いを放任いたせば、魔
界の秩序に著しい混乱をきたします。どうか魔王様の賢明なるご判断のほどを。」
 頭を下げるガロンの胸中には、リーリアを蹴落とそうとする意図が渦巻いている。
 彼は人一倍プライドが高く、魔王から高い評価を受けているリーリアを快く思っていな
いのだ。
 その事から、フロイライン・ギャラホルンを人間相手に使用した事を言い掛かりにして、
魔王にリーリアの処分を促そうと企んでいる次第だ。
 いかに魔王でも、リーリアの行為を見過ごす筈は無い・・・
 ガロンはそう思った。
 だが、魔王の口から漏れたのは、彼の意図を覆すものだった。
 『その件については、すでに余も知っておる。リーリアがフロイライン・ギャラホルン
を使用したのは余儀なき事であり、人間どもに我等の存在が知られる事もなかった。よっ
て・・・今回の件については不問といたす。』
 魔王の意外な返答に仰天するガロン。
 「お、御待ちくださいっ!!リーリアを許すおつもりですかっ!?」
 驚いているのはガロンだけではない。傍らのヴァルゼアも同様だ。
 「魔王様の御言葉とは思えませんわ・・・御気は確かなのでありますかっ?」
 ヴァルゼアの言葉に、魔王は怒りの表情を浮べる。
 『気は確かか、だと?・・・貴様・・・誰に向かってそのような事を言っているっ・・・
余の決定は絶対である、口出しは許さん・・・』
 魔王の意思は絶対だ。いかに八部衆であろうと、その決定を覆す事は出来ない。
 だが、今だ納得できない2人は不満の篭った顔で魔王に言い寄った。
 「し、しかし・・・このような事をなされては、他の者に示しが付きません。いくらな
んでもこの様な御決定を納得など・・・」
 「そ、そうですわ。リーリアに寛大過ぎます・・・」
 不服を言う2人に、魔王の鋭い叱責が飛ぶ。
 『やかましいっ!!問答は無用だっ、下がっておれっ!!』
 それは魔城を揺るがすほどの怒声であった。凄まじい怒声に、ヴァルゼアとガロンは腰
を抜かさんばかりにたじろいだ。
 「は、ははっ・・・も、申し訳ありません・・・」
 一喝された2人は、スゴスゴと引き下がった。
 2人を下がらせた魔王は、再びリーリア達に向き直る。そして、リーリアの後ろに横た
わっているアドニスを見た。
 『・・・そ奴がアドニスか・・・』
 呟いた魔王は、片手をスッと上げ呪文を唱える。
 『・・・闇をさ迷いし純真なる魂よ・・・我が元に来れ・・・』
 魔王の目が暗黒の虚空に向けられる。すると、その暗黒の中から青白い光が出現し、ゆ
っくりと魔王の手の平へと引き寄せられた。
 その光の中には、膝を抱えた姿勢の人影が浮かんでいる。その顔を見たミスティーアが、
あっと声を上げた。
 「あ、アドニス兄さんっ。」
 その光はアドニスの魂魄であった。悲しそうに、そして苦しそうに顔を引きつらせ、ガ
スタークに対する憎悪に翻弄されている。憎悪は黒い影となってアドニスの魂魄を苦しめ、
その度にアドニスは苦悶の声を上げている。
 『・・・まだ完全に闇に堕ちておらんようだが、危ないところだった・・・あと少しで
手遅れになるところだったな・・・』
 魔王はそう言うと、もう片手を魂魄にかざし再度呪文を唱える。
 すると、アドニスを苦しめている憎悪が打ち払われ、魂魄に浮かんだ苦悶の表情が安堵
の表情に変わった。
 『・・・さあ、己が肉体に帰るがよい・・・』
 青白い魂魄は魔王の手を離れ、床に横たわる肉体に吸いこまれた。
 「アドニス殿下・・・」
 心配げに見守るミスティーアとリーリア。魂が戻ったアドニスの肉体に生気が戻り、ス
ースーと呼吸を始める。
 アドニスは復活した。その顔には、もはやガスターク一味に対する憎悪は無かった。安
らかな表情で眠っている。
 魔王の力によって、全ての憎しみから解放されたのだ。
 それを見たミスティーアが、喜びの声を上げる。
 「あ、アドニス兄さん・・・よかった・・・元に戻った・・・」
 彼女の両目から涙が溢れ、ミスティーアは両手を覆って泣き出した。
 アドニスを抱きしめて喜びたかった・・・でも今の彼女にはアドニスに指一本触れる事
は出来ない。
 それを見た魔王は、僅かに指を動かしてリーリアに何かを投げてよこした。
 「?・・・これは・・・」
 魔王がよこした物は小さな宝石であった。
 リーリアはそれが何かを知っていた。リーリアが魔王に視線を向けると、魔王は無言で
うなずいた。
 「・・・判りましたわ・・・」
 暗黙の了解が2人の間で交わされる。その一連の行動は他の者には察知される事は無か
った。
 アドニスが無事復活したのを見届けた魔王は、ミスティーアに視線を向ける。
 『・・・これで満足か?』
 魔王の声に、ミスティーアは顔を上げて涙を拭った。
 「は、はい・・・ありがとうございます・・・本当に・・・」
 心から感謝を述べるが、魔王は感謝など無用だと言わんばかりにミスティーアを睨んだ。
 『・・・勘違いするな・・・貴様は利用価値のある存在と見なしたから手を貸したまで
の事・・・貴様に感謝される筋合いはないっ、わかったなっ!?』
 目をクワッと開き、ミスティーアを一喝する。
 「ひっ、はい・・・」
 魔王の叱責に、ミスティーアは平に頭を下げる。そして、リーリアも魔王に平伏した。
 それを見ながら魔王はクルリと身を翻し、肩越しに2人を見た。
 『フン・・・ミスティーアとやら、お前はこれから余の為に存分に働いてもらうぞ、覚
悟しておけ・・・』
 厳しく言い放つ魔王だが、その目には、どこか寂しさと悲しみが漂っている。
 そして、呟くような声でリーリアに向けてこう言った。 
 『・・・良い娘ではないか・・・さすがにお前が見込んだだけの事はある、大切にする
がよい・・・』
 リーリアに語り掛ける魔王の口調は優しく、そして穏やかだ。
 「魔王様・・・ありがとうございます。」
 喜びの声を上げるリーリアに背を向けた魔王は、すぐ傍らにいた3人の八部衆を引き連
れ、皆の前から姿を消した。
 黒い霞みに包まれて消え行く魔王の背中から、リーリアに向けて囁くような声が響いた。
 『・・・また会おうぞ・・・我が愛しき妻リーリアよ・・・』
 その声はリーリアと、ミスティーアにのみ聞こえた。




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