魔戦姫伝説異聞〜白兎之章〜
第1話 パート1
Simon
白兎之章
第1話 白い少女
part1
――…
……
――……
――――…カララ…
…………?
――――ガラガラガラ……ガクンッ!
……!
「ぅ……なに?」
微かな身じろぎをして、少女が目を覚ました
意識がはっきりしないまま、ぼんやりと目だけを動かして辺りを見渡す
硬い板敷きの床 粗雑な板壁 低い天井
微かな揺れが背中越しに伝わってくる
「?」
――船?――馬車?
起き上がろうと身体を支えた腕が震える
ふらつく頭と微かな吐き気
かなり長い間、揺られていたのかもしれない
それでも2、3度頭を振ると、幾分すっきりとしてきた
たった一つあるきりの小窓からこぼれる弱い光
なんとなく夕方のような気がした
――でも
「………………ここ……どこ?」
見回しても答えは出ない
――まだ…あたま…ねてるみたい……
わが身を振り返れば――シンプルなようでいて随所にレースをあしらったエプロ
ンドレス
寝巻きにするには少し厚手で、無意識に擦った腕からも、汗で貼りついていた砂
がこぼれおちた
「……おふろ、はいりたいな」
ぽつんと呟いて、首をかしげる
「おふろ」
もう一度口にして
――おかしい
こう言えば、すぐに彼女が湯浴みの準備を――いや、周到すぎるほど周到な彼女
のことだ
――おもいついて…くちにしたときには、もうせなかをあらってくれてて……
相変わらずぼんやりしてるって、いつも言われてるのに
――ガチャッ!
考え事に気を取られていたからだろう
突然の物音に背筋がピンとなる
陰になっていて気がつかなかったが、振り向いた先には扉があった
――ガ…ンッ…ジャラ……バンッ!
見た目よりも厳重なのか――それとも操作が乱暴なのか――思いのほか大きな音
を立てて扉が開く
「おう、起きてたか」
がっしりとした(少女にすれば見上げるような)体つきの中年男
見覚えはない……はずなのに、この男は当たり前のように自分に話しかける
――???
いくつもの疑問符が浮かぶが、なぜか言葉としてまとまってくれない
「ふん……その様子じゃ、ただ目が覚めただけってことか」
それでも何か訊ねようと思ったのに
「手間が省けた さ、こっち来な」
――どうしよう
この人の言うこと聞いてもいいんだろうか
いつもそういうことを決めてくれる人が、なぜか今は隣にいない
それが心細くて、つい視線をさ迷わせる
「チッ、薬が効きすぎてんじゃねぇか?――聞こえてんだろ! いいから早くこ
っちに来い!」
――よくわからないけど、しかられるのは怖い
少女はおずおずと立ち上がると、男の後について外に出た
心地よい風に乗って届くざわめきと森の匂い
やはり自分が乗せられていたのは貨物用の連馬車だった
しかし、記憶ははっきりしないものの、自分はこんな風に運ばれる覚えはな…い
…?
――あれ?……なかったっけ?
なんだかますます分からなくなってしまった
それにここは――一見、荷物の集積所
――でも、よく分からないけど、何かへん
さっきからそんなことばっかり
少女は半ば引きずられるようにして、一際大きな倉庫のような建物に入っていっ
た
中は妙に細かく仕切られていて、人の気配はするものの、どこにどれだけ人がい
るのか見当がつかない
やがて少女が連れ込まれたのは、物らしい物のないガランとした広間だった
換気が行き届かないのか、篭った空気は生暖かく
それが絡み付いてくるような気がして、少女は足を竦ませた
部屋の中にはまだ若い男が一人、壁にもたれて立っていた
扉の開く音に慌てたように見えたのは、うたた寝でもしていたのだろうか
「遅かったじゃないすかぁ兄貴 あれ? 二人って言ってませんでした?」
「ああ、ちょいと……しくじっちまってな それよりほかの連中はどうした?」
「え〜と……今日はもうないだろうって、そんで……」
「ったく しょうがねぇな、あいつらは」
あきれたように言うが、それほど怒ってもないらしい
「仕方ねぇ、明日にするかな――ヴィン、こいつはまだ睡魔香が効いてる 手間
は掛からんから、その辺で寝かせとけ」
「へい――で、兄貴は?」
「一応ガッシュさんには報告しとかんとな――分かってるだろうが、余計な手ぇ
出すんじゃねぇぞ」
男がそう言い置いて出て行くのを、少女はただぼんやりと眺めていた
自分にどう関係するのかも、まだよく分かっていないらしい
「ほら、こっちに来いよ」
若者――ヴィンがそう呼びかけても、少女はとろんとした目で首を傾げるばかり
――なんでぇ ここまで自分の足で歩いてきたってのに、まだボケてんのか?
女――そう呼ぶには細すぎる肢体
どんなトラブルがあったのかは知らないが、これは明らかにクスリの使いすぎだ
ろう
壊れはしないだろうが、下手をすると後遺症が残るかもしれない
もっともそんなことを気にするような者は、ここにはいないだろうが
――本命はもう一人だって言ってたくせに、ラムズさんもこんなガキなんぞ連れ
てきて、どうしようってのかね……そりゃこういうのが好きな客もいるけどさぁ
俺だったらもっとこう……
さっきまで眺めていた濡画に意識がいきそうになるが、気がつけば少女はまだ突
っ立ったままだ
――しょうがねぇな
まだ下っ端とはいえ、ヴィンもこの世界の住人だ
休ませるときにはしっかり休ませるのが、商品を長持ちさせるコツだということ
ぐらいは知っている
少女の手首を握って――予想よりも細くて、つい力を緩めてしまいそうになった
――寝床と言うのもお粗末なシロモノに向かおうとして
――クンッ
微かな――力を抜いていなければ気がつかないような、本当に微かな抵抗
苛立ちよりも、こんなに弱い力があるのかという――そして自分がそれに気がつ
いたという驚きが勝った
「…………は」
「ハァ?」
少女の菫色の瞳に揺れる戸惑いと躊躇い――もっと複雑な何か……
「…………ゥナは?」
はっきりとは聞き取れなかったが、何を尋ねているのかは分かってしまった
『――二人って――』
「あ……あ? ああ! もう一人のことか?」
コクン
そんな仕草が少女をますます幼く見せ、柄にもなく胸がドキドキする
「そいつだったら――」
『――しくじっちまってな――』
一瞬で頭が冷めた
「…………多分……別便で、こっちに向かってるんじゃ……ないかな」
嘘は言っていない
生きてさえいれば、商品を逃すような彼らではないのだから
――知るかよバカ! とっくにくたばったに決まってんだろう!
安心させようなんて、そんな媚びるなんてこと、俺がするはずがねぇんだ!
自分自身に裏切られたような衝撃に、思わず力が篭る
「……ぃ」
震える声
見下ろせば、うっすらと涙を浮かべた少女
細い手首に自分の指が食い込んでいる
痛いはずだ
小さな手で引き剥がそうとしているが、その力は悲しいほどに弱い
――弱さは悪だ
なにかがヴィンの脳裏で囁いた
自分が殺した誰かの声のようでもあったし、知らない誰かのようでもあった
血反吐を吐いていたヴィン自身のようでもあり、殴っていた男たちの声のようで
もあった
床と壁がゆっくりと傾いていく中で
すべての声が叫んでいた
この少女が悪いのだ――と
ヴィンの視界が朱に染まった
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