お姫様舞踏会2(第三話)
お姫様舞踏会2

 〜新世界から来た東洋の姫君〜
作:kinsisyou
     夜の帳がすっかり降りて星の光が瞬き街中は眠りに就こうとしていた頃、グランドパレスに合計4台の自動車による御一行が到着した。ヘッドライトが放つ眩い光がグランドパレス本体を白く映し出している。停止しても尚馬が怯えるほどの轟音がグランドパレスに響き渡り、さながら新世界の文明の利器の存在感を誇示するかのようだ。やがて荒々しい鼓動を停め、運転席から降りた侍女が恭しく客室の扉を開けると今回の主賓である姫君が姿を現す。
 聞き慣れぬ轟音に何事かと駆けつけてきた番兵などが、見慣れぬ自動車に驚き、そして現れた美しい姫君を見てまた驚く。
「こ、これはまたお美しい……」
 普段の私服や制服姿ではあったが番兵が一目見ても姫君であることはわかった。しかももっと番兵を驚かせたのは、このミッドランドを実質的に取り仕切る宰相でもあるギネビア姫自ら出迎えていることだった。
 何故ギネビア姫が直接出迎えているのか?それは国際儀礼上の歓待序列が大いに関係している。即ちミッドランドに馳せ参じる周辺国は下品な言い方をすれば属国。つまり格下であり、ギネビア姫に謁見するという形を取る。それに対して日本皇国の場合は対等な関係。いや寧ろ国力や軍事力の差を考えれば日本皇国のほうが格上かもしれない。だが相手は自分力を露骨に見せ付けるような下品な真似はしない。尤も、それは大国であることの余裕かもしれなかったが。また、ミッドランドの旧世界での立場を磐石なものとするギネビア姫の政治家としての思惑も絡んで日本皇国の姫君には好印象を持って帰っていただきたいと考えていたのだ。尤も、皇国の姫君はそんなことは気にもしないだろうが、舞踏会を主催する者の立場からすれば緊張するのは当然だろう。
 そして……ギネビア姫はある姫君の姿を認めるなりそれまでの威厳に満ちた表情を崩し駆け寄る。宰相としては少々はしたない行動かもしれないが、再会が嬉しくて堪らないのだろう。
「1年振りですわ、愛璃姫」
「こちらこそ、夜分遅くにこんな御無礼の中、わざわざ御出迎え申し訳ありません、ギネビア姫」
 と言って愛璃姫はギネビア姫に頭を下げる。その愛璃姫は紫を基調としたつぼ装束に身を包んでおり、旧世界の者から見ればまさにエキゾチックであった。ドレスとはまた違った趣の衣装は別の意味で美しく、衛兵や番兵もつい見蕩れてしまう。
 二人が会ったのは1年程前。オランやグランディアの外交ルートを通じて日本皇国と接触をはかったとき訪れたのが愛璃姫だったのである。会った瞬間から意気投合し、お互いの世界の話を色々交換しあったものだ。特にギネビア姫にとって新世界の話は聞くもの全てが新鮮だった。
 と、再会の喜びに浸る間もなく、同じく出迎えに現れた執事長のラムチョップが異変に気付く。
「おや?確か日本からいらっしゃる姫君は4人のはずですが……」
 と、探す間もなく先頭のとても低いシルエットの自動車の扉が上に跳ね上がり、運転席から現れたのは……
「夜分遅くの御無礼の中、御出迎え痛み入ります」
 と言ってギネビア姫に頭を下げるのは、今回舞踏会に参加する四姉妹の末っ子飛鳥姫であった。現れた末っ子の飛鳥姫に番兵一同……
「か、可愛い……」
 と、見蕩れてしまう。一方で呆気に取られるギネビア姫とラムチョップ、そして接待役を担当するリシャール。
「皇国では闊達な姫君が多いのですねえ……」
 ギネビア姫もその一言が精一杯で、お姫様の常識を覆す光景であった。何しろお姫様自ら自動車の運転など考えられないことだし、この旧世界では乗馬すらはしたない行為とされているのである(殿方にエスコートしてもらうのはアリだったが)。お姫様はあくまで守ってもらうのものであり、そして殿方にリードされるものだったのだから。しかし、そう言うギネビア姫だって宰相という枢要な地位にいること自体姫君としては珍しいことに違いなかったが。
 そして、リシャールは何故自分に彼女たちの接待役が回ってきたのかを悟った。
 つまり、ギネビア姫からすれば新世界にもコネのある父親の広い人脈を活かして自分を接近させ一種の親善大使的な役目をしてもらうことで日本との外交関係を築き、その後ろ盾をもとにミッドランドの地位を磐石なものとすること。これは間違いないだろう。そしてもう一つの理由は、未だ爵位を持たないとはいえ台頭著しい我がフルア家の追い落としを画策する貴族勢力の思惑があるに違いない。それにこうしてギネビア姫がわざわざ直接出迎えるということはそれほどの大物であるということ。なので有力貴族の子弟は接待役を担当したときの万が一のリスクを鑑みフルア家に押し付けたと見ることもできる。仮に接待役の自分が失敗すればフルア家の権威は地に堕ちることとなる。そう考える有力貴族がいたとしても不思議はない。
 それなら尚のこと、この接待を何としても成功させねば、とリシャールは意気込むのであった。華麗な舞踏会も、一皮剥けば水面下ではこのように様々な政治的、私的思惑が複雑に交錯しているのである。
 リシャールがそんなことを考えていると、綾奈姫が切り出す。
「そういえば、早速ですがギネビア姫に、我が皇国から貢物がございまして、こちらになります」
 と言って綾奈姫が指差したのは、シルクのベールに覆われた馬車であった。車輪が見えているので馬車なのは明らかだった。ベールをスルスルと剥ぎ取ると、これまで見たことのないフォルムの馬車が現れた。
「こ、こ、これは……何と表現すべきなのでしょう。言葉が見つかりませんわ」
 ギネビア姫さえ言葉が見つからないと表現するほど、その馬車は変わっていた。
 馬車は木製の車体に塗装仕上げの後、金箔や螺鈿など様々な細工が施される煌びやかに飾り立てられるのが普通である。しかし、この馬車はそういった派手派手しい煌びやかな飾りとは無縁であった。だが、灯りに照らし出されたシルエットは全体に銀メッキでも施したかのように光り輝いている。
「これは、もしかして銀で作られているのですか?」
 ギネビア姫がそう思うのも無理はない。有璃紗姫が説明を加える。
「これは銀などではなくてジュラルミンと呼ばれる新素材でできてますわ。私たちが乗ってきた富嶽と同じ材質ですのよ。そのジュラルミンを磨き上げているだけでこのように光り輝くのです」
 ジュラルミンで出来た車体は流線型に成形されており、全体に曲線美が際立っている。また、旧世界のC板バネではなくスイングアクスルを用いているため構造上必要な車体下の連結棒が廃止され、その分高さが低くなっている。サスペンションは車体に直接取り付けられ、コイルスプリングと油圧ダンパー、スタビライザーで支持されたスイングアクスルは勿論四輪独立懸架だ。四輪独立懸架の馬車など前代未聞であろう。
 どんなに速くても30km/h程度が限界の馬車では流線型にするメリットなどまったくないのだが、優美さを追求した結果であるのとこちらの技術力をアピールするのが狙いであった。スイングアクスルは以前にも説明したようにジャッキアップ現象という欠点があるが、低速の馬車ではあまり問題にならなかった。それより独立懸架とすることによる乗り心地の向上と、改良スイングアクスルと比べ構造が単純なことによる保守整備のしやすさを選んだのであった。
 ホイールはアルミ合金製で、これに空気タイヤが組み合わされている。更にブレーキはフット式で液圧式の四輪ドラムが採用されていた。しかも放熱性を高めるためアルフィンドラムである。低速の馬車を停める分にはまったく問題なかった。御者はペダルを踏むだけでコントロールでき、手から鞭などを離す必要がない。車輪上には泥はねを防ぐフェンダーが取り付けられている。
 モノコックの車体に四輪独立懸架とアルミ合金ホイールに空気タイヤ。実は馬車に航空機の構造をそのまま応用しており軽く、そして乗り心地は折り紙つきであった。
 意外に思うかもしれないが、王族や貴族が乗る席が向かい合わせになっている典型的な馬車で重量がどのくらいあるか御存知だろうか。飾りの程度や様々な条件にもよるが概ね1トン前後あるのが普通である。馬車は案外重たいのだ。それに対してチタンビスやジュラルミンの他フレームを兼ねるフロアにアルミハニカムなどを積極的に用いたこの馬車は非常に軽く、550kgまで抑えることに成功していた。通常の馬車の約半分の重量だ。因みに4頭立てで牽引する。
 他にも割れると危険な並ガラスではなく割れても粉々に砕けて怪我が少なくまた通常よりも強度の高い安全ガラスを採用し、そのガラスには紫外線や陽射しを和らげるための金が溶かし込まれていた。他に王族の馬車としての証としてラ=ユミレーヌ王家の七宝焼きの紋章が扉などに飾り付けられていた。御者席は水牛の革を二重張りとし、雨天時には幌を展開し庇が下がるようになっていた。吹き曝しなので完全防護とはいかないがこれでも大きく違うであろう。
 灯火類は電気式で車輪が発電機を回して点灯するようになっており、停止しているときはバッテリーから電源を得て点灯するようになっていた。バッテリーは当然走行中の車輪の回転によって充電することができる。他にも予備バッテリーと予備灯火として従来通りオイルランプと蝋燭ランプも備えてあった。
「早速ですが、乗り心地を確かめて御覧になりますか?」
 と言って綾奈姫が扉を開けギネビア姫を内部に案内する。これまでの馬車より大幅に車体が低くなっているので乗り降りしやすくステップは1段で済み、ステップの位置自体も低く、また足をかけやすいよう幅広にされていた。
 新世界の技術で作られた馬車というだけで興奮気味のようで、ギネビア姫はその言葉に甘えるように乗降性を向上させた観音開き扉を開け内部に乗り込む。裾の長いドレスでも足をかけるのが楽に感じ、観音開きのお陰でこれまでの馬車より出入り口も広いので乗り込むのもそう難しくない。そして、乗り込んだギネビア姫は絢爛豪華な内装に驚く。
「まあ、これは貴国自慢の西陣織ですわね」
 そう、内部は西陣織による厚手の緑色のビロード。ソファと窓より下は同じく緑の波紋染めにした西陣織の二重張り。窓の周囲を被い囲むようにニスとラッカー仕上げの後丁寧に磨き込んだマホガニー材の化粧羽目板が嵌め込まれ金で縁取りがされ、螺鈿細工が施されていた。天井はクリーム色の西陣織の二重張りである。また、扉には七宝焼きによるラ=ユミレーヌ王家の紋章が飾られていた。他にもマホガニー材の高級家具が備え付けられている。
 照明は白熱電球で、万が一に備えオイルランプも装備されていた。内装は遮音を兼ねた断熱材が二重で入っている他、扉や窓もゴムパッキンが二重で入っており快適性に抜かりはなかった。カーテンも装備されている。扉の窓は昇降ハンドルで開閉できるほか換気用の窓も設けられている。馬車としては珍しく天井側の前後に通風孔もあり、必要に応じてぶら下げられた紐で開閉可能だ。内部は思った以上に広々している。内部には通常で向かい合わせに6人、中央のキャビネットに格納されている補助席を引き出せば8人が乗ることができる。軽くなっている分だけスペースを拡大し、その分乗れる人数を増やしているのだ。
「これは気に入りましたわ」
 御満悦の様子のギネビア姫。と、直後に轟音が響き、巨大なトラックがグランドパレスの門を潜った。
「ようやく来ましたわね」
 と愛璃姫がトラックのほうを見やる。ステンレスの波打ち板に囲まれた荷台には何が入っているのか。扉を下ろすと中から現れたのは……。
「こ、これは……」
 それを見て衛兵の一人が絶句する。
「な、何てデカイ馬なんだ……」
 それは何と、見たこともない巨大な黒馬であった。これには誰もが圧倒され呆然。そこへ愛璃姫が説明を加える。
「これは我が国自慢の馬である北海道青毛和種ですわ。馬車を牽引するために用意させていただきました」
 そう、皇国が誇る名馬、北海道青毛和種。その名の通り馬としては白馬よりも希少な黒馬であり、体高は2.2mを超え馬体重は1500kgを超える世界最大の馬であった。寒国生まれであることと極めて大型であることから冷血種に分類される。因みに大型の馬は冷血種、小型の馬は温血種に分類され、能力的分類であり原産地の寒暖は基本的に関係ない。解剖学的には東洋種に属する。鬣や尻尾の房は金色をしており瞳の色は青。道産子とは別の種でもある。
 元々寒い地である北海道を原産地とし、このためベルクマンの法則により極めて大型の体格をしている。一説にはロシア産種を原種に持つとされるが詳しいことは不明である。馬にしては飼い易くまた大人しく習慣に慣れやすいという特徴を持ち、非常に太く力強い脚もあって1頭でも2トン近い重量物を平然と牽引できるといった長所のため原産地である北海道では牛以上に重宝がられた。走るとスピードも速く最高速度は95km/hにも達する。また、餌の少ない土地でも飼うことができる。持久力も非常に高く時速20km/h前後で丸一日走り続けることも可能だ。あまりの巨大さと力強さのためヒグマでも返り討ちに遭うことが度々あり、殺されたケースも少なくない。
 北海道では主に農耕や粉挽き、重量物の牽引に使われ馬車の牽引はお手の物であった。乗馬として使うこともできるが使用例は少ない。しかし、サラブレッドを凌ぐ速さと道産子の力強さを併せ持つこの馬は世界中の王侯貴族の憧れでもあった。寿命は約65年と馬としては長い。
 また、馬としては珍しく一夫一婦制をとることで知られているが、これは繁殖力の弱さによる近親交配の可能性とそれによる遺伝子の劣化をを避けるためであろうと思われる。
 その一方で欠点として成長が遅く成体になるのに8年前後を要し(通常の馬なら3〜4年前後で成体となる)、その上繁殖力が弱い(恐らくは大型であることにより生態系の上位に位置することとの関連が考えられる)という欠点があり他の繁殖力の強い馬種に押され、また皇国の急速な機械化も追い討ちをかけた。この結果一時期は1000頭余りにまで減少、このため皇国では絶滅を危惧し特別天然記念物に指定され努力の甲斐あって現在は3000頭余りまで回復している。
 旧世界にもその存在を知られ、大型で力強く優美なシルエットは各国の王侯貴族の間でも憧れの的であり、幻の名馬として知られていた。
 ミッドランドにオス4頭、メス6頭の計10頭が献上された。
 その幻の馬が今、目の前にいる……それだけで皆さん感慨も一入であろう。
「早速ですが、この馬車を試すことはできませんか?」
 ギネビア姫にしては珍しく興奮気味で、新世界の先端技術で作られた馬車の乗り心地を試さずにはいられないのだろう。その上世界中の王侯貴族が一度は飼育してみたいと憧れる幻の名馬が牽引するのである。興奮するなというのが無理であろう。
「何と、ギネビア様がこんなにもはしゃがれるとは珍しい……」
 ラムチョップも滅多に見られないギネビア姫の様子に複雑な表情を浮かべている。ギネビア姫の様子はまるで新しいお人形さんをプレゼントしてもらった少女のそれに等しい。
 すぐさま牽引用にと送られたオス4頭に牽引具が取り付けられ、大急ぎで御者が呼び出され巨大な馬と見たことのないフォルムの馬車に御者が仰天する一幕も。牽引具はチタンで作られ非常に軽くできていた。この時代、馬は口内に二つハミを嵌めこむのが普通であったが馬への負担が大きいので皇国ではハミが二つのフランス式から一つのドイツ式に改め採用していた。旧世界でも二つのフランス式が主流であった。恐らくこれを機にドイツ式が主流となるだろう。尚、馬車を牽引する際ブリンカーと呼ばれる装具を目を被うように取り付けることで前方に集中できるようにすることができ、尚且つ急に飛び出してくる自動車や通行人に驚かないようにすることができるが、北海道青毛和種はある程度の知能を持ち空間認識能力が高いことから一定の段階まで自らの判断で冷静に対処できるため、ブリンカーはそうした判断力を阻害するだけなので装着してはいけない。 
 御者が鞭を振るうとブヒヒ〜ンという雄叫びとともに馬車は軽やかに出発していった。
「あ〜あ、行っちゃった……」
 もともと馬車と幻の名馬の献上を提案したのは綾奈姫であるが、まさかこれほどお喜びになるとは予想外であった。
「ギネビア様はしばらくは戻って来られないでしょう。この後謁見を予定していたのですが、仕方ありません、翌朝に延長しましょう」
 ラムチョップはスケジュール帳をめくりながらスケジュール調整の算段をしていた。ここで機転を利かせリシャールが動く。
「姫様方、もう遅いことですし、これから遅い夕食などいかがでしょう。簡単なものしか御用意しておりませんが宜しいでしょうか?」
「構いませんわ。長旅でお腹が空いておりましたので喜んで頂戴します」
 飛鳥姫はリシャールの提案に賛成の意を示した。飛鳥姫の他の姫君も同調する。どうやら好感触のようだ、とリシャールは胸を撫で下ろす。何しろ相手が相手なので実はこちらも緊張しっ放し、その上馬車の献上という姫君たちの予想外の行動のためその先をどう動いていいかわからなくなりかけて声をかけるタイミングを逸してしまった。とりあえずその後をフォローできて一安心というのがリシャールの偽らざる本音だった。それはこういう状況下で数多くの場数を踏んで冷静なラムチョップも同じであろう。
 この後遅い夕食を摂る姫君たち。簡単なといっても食前酒、スープ、前菜、メイン、デザート、コーヒーか紅茶、食後酒という基本は押さえられており満足いくものであった。
 食事の後、隣のラウンジで寛いでいるとリシャールが控え室へ案内するため姿を現す。
「姫様方、控え室の用意が整いましたので御案内しましょう」
 と言って我が庭とばかりにこの広いグランドパレスを迷うことなく控え室へ案内する。グランドパレスのあまりの広さに圧倒される姫君たち。
「それにしても噂に違わぬ広さですわね。京都御所だってここまでではありませんわ」
 有璃紗姫は初めて来たグランドパレスの広さに迷いそうだと言わんばかりの不安そうな表情を浮かべる。その様子を察してすかさずフォローを入れるリシャール。
「御安心を、有璃紗姫。案内して欲しいときはこの私に遠慮なくお申し付けくださいませ」
「そう言っていただけるだけでも安心ですわ」
 やがて姫君たちが使用する控え室の扉の前に着いた。重厚な扉が四つ並んでいる。
「今回まことに申し訳ありませんが、各国から王侯貴族が大勢参りますので一人一人に部屋を御用意することは叶いませんでしたので、二人で一部屋をお使いくださいませ。両端に姫君の部屋を用意致しております。真ん中の二部屋は随行なされた側近の部屋としてお使いください。全ての部屋は中で扉によりつながっておりますので何かあったときの連絡も容易です。
「お心遣い感謝致しますわ」
 一堂を代表して愛璃姫が返礼に丁寧に頭を下げる。姫君たちは扉の向こうに消え、とりあえず無事に姫君をエスコートできてホッとするリシャール。それにしてもこんなにも緊張する相手とは。道理で有力貴族の子弟は接待役を断るはずである。何故だかわからないのだがそこにいるだけで圧倒されてしまう。無論どの姫君でも相手が相手なので緊張は当然なのだが、発散しているオーラが違いすぎるというか、また姫君にしては珍しく長身なのもその原因の一つかもしれない。リシャールの推測だが四人とも身長は概ね170cmは優に超えているだろう。有璃紗姫に至っては180cmはあるかもしれない。堂々としていれば諸外国の高官とも引けをとらないだろう。
 実はこのときリシャールは知る由もなかったが、日本皇国は建国から一万年余りの歴史を持ち新旧世界で最も古い歴史を持つ国の一つであり、それも現在まで歴史が途切れることなく継続している国なのである。纏っている歴史のオーラが段違いなのだ。しかも、皇国の皇族は国際儀礼上に於ける歓待序列で数少ない第1位とされており、言わば世界最高の賓客でもある。皇族は基本的に王族よりも格式では上の存在であり、ミッドランドの実質上の国家元首であるギネビア姫が直接出迎えたのは最高の格式で以って持て成さなければならないことに起因している。これだけの歴史的、儀礼上の背景を考えると緊張するなというほうが無理であろう。
 
 無事到着した一行はグランドパレスの奥にあるスパで寛いでいた。以前愛璃姫が訪問したことがあるので場所を知っていたのだ。
「まさか旧世界に来て温泉にありつけるとは思わなかったわね」
 湯船に浸かりすっかりリラックスモードの綾奈姫。彼女の外見上の特徴であるシニヨンを解き長い黒髪が水面上に漂うように浮かんでいる。これまで戦争など色々なことがありすぎて多忙すぎる1年を過ごしていただけにのんびり温泉に浸かる間もなかったのだから今はまさに至福の時間だ。
 今は戦火も多少落ち着いているとはいえ何かとゴタゴタしている新世界と違いこちらはのんびりしたものである。
「私も憑き物が全て洗い流されるようですわ」
 飛鳥姫もスパをすっかり堪能している。飛鳥姫の場合は特に世界の海千山千の高官を相手の政治折衝が多いため別の意味で修羅場に身を置いている。彼女も疲れきっていたのだ。特に飛鳥姫は幼少期と比べれば格段の健康体になったとはいえそんなに身体が丈夫なほうではない。
「確かにそうですわね。私なんか国の存亡を左右する作戦も多かったしホッとしておりますわ」 
 有璃紗姫は特にこの1年は忙しかった。国の死命を左右する作戦も多く、特に失敗が許されなかったのだから。プレッシャーも相当なものだったろう。自慢の栗色のしっとりした髪をターバン状のタオルに託し込んでいる。
「他国の姫君と違って私たちは軍人ですから仕方ありませんわ」
 愛璃姫は悟りきったような物言いである。自慢の黒髪は水面に漂わせている。その漂い方が愛璃姫がすっかり寛いでいることを物語っているかのようだ。
 湯煙の間から微かに見える曲線美の白い裸体が悩ましい。
 
 姫君たちがスパで寛いでいる頃、控え室に戻ったリシャールは中々寝付けないでいた。本来ならこんなことではいけないのだが、明日からいよいよ本格的な接待がスタートするのである。一瞬たりとも気の抜けない時間。舞踏会は二日後だが、既にフルア家の存亡を賭けているといっても言い過ぎではない戦いが始まっているのである。今日はまだ前哨戦。明日はどうなることやら。人生で最も長い日になりそうだ。

 同じ頃、すっかり新型の馬車に御満悦のギネビア姫。
「これが新世界の技術力なのですか。実に素晴らしいですわ」
 コイルスプリングに支えられたスイングアクスル式四輪独立懸架と空気ゴムタイヤがもたらすソフトな乗り心地は素晴らしく、通常の馬車と比べると明らかに伝わるショックは少ない。旧世界の人の感覚からすれば魔法の絨毯に乗っているかのような乗り心地であった。その上軽く作られていることもあって動きも全体に軽快そのものである。強力ば北海道青毛和種が牽引しているのだから尚更だろう。 
 比類のない乗り心地に酔い痴れるギネビア姫が戻ってきたのは約2時間後のこと。

 余談であるが、自家用馬車と自家用自動車。一体どちらがお金がかかるか御存知だろうか。
 答えは馬車の方である。というのも馬車は本体だけでなく馬も必要だが、馬の餌代は無論、馬の世話をする人や蹄鉄や馬具などを作る専任の鍛冶屋、馬車の保守整備を担当する整備士、場合によっては馬の健康を管理する獣医師、御者も一人だけではなく少なくとも2、3人は待機している必要がある。また彼らの食事なども作るメイド、それらのまとめ役である執事などで一大家臣団を形成しなければならず、当然彼らの住居も必要になるし毎月の人件費や生活費の負担もある。車庫と馬小屋、馬車を保守点検するためのちょっとした工房なども必要である。
 しかも当時の馬車は専門のコーチビルダーと呼ばれる業者に発注し、大きさからタイプ、内外装などに至るまで事細かな打ち合わせが行われ自分だけのオリジナルの馬車が作られる。このため一台作るのに日本円で最低でも1000万円前後は確実にしたはずである。ましてや大貴族や王室ともなると更にお金がかけられ億単位のものも珍しくなかったであろう。しかも一台だけでなく予備も最低一台は必要だったはずだ。
 このように自家用馬車を持つということは相当な物入りで合計すると億単位の出費は当たり前の世界であった。その自家用馬車を所有することができたのは王族や貴族、更に上流階層といった大体上位5%程度の人々である。また、自家用馬車のレンタルも当時からあったがそのレンタル料がまた非常に高く、主な顧客は中産階層であった。この中産階層も所謂裕福な人々に属し上位10%くらいの人々だ。そう考えると自家用馬車と縁があったのは上位15%程度の人々ということになる。
 因みに昔の高級車も馬車と同じ手法で発注が行われており、自動車メーカーは主にシャシーと呼ばれる動力部分のみを作り、その上に載せる車体はコーチビルダーが製作し架装するという方式を採った。このためコーチビルダーと自動車メーカーとの双方でどのような仕様にするか事細かな打ち合わせが行われ、最終的な仕様が決定するのである。言わば完全オーダーメイドだったので昔の高級車は同じ車種であっても同じ内外装のものは2台として存在しない。
 自動車の場合は馬車と違ってここまで大掛かりな家臣団はさすがに必要ない。せいぜい運転手と敢えて雇うにしても整備士程度であろう。自動車は専門的な知識が必要な関係から修理や保守整備は大抵自動車メーカーなどが行ってくれるし、持つにしても車庫とちょっとした工房程度だろう。これら小規模な家臣団であれば自分の住居内の一室を割り当てれば済む話である。
 このため自動車のほうがはるかに安くつくのがお分かりいただけるかと思う。また、馬車の場合は馬の機嫌が悪かったり体調不良などで思ったように動いてくれず言うことを聞かせるのに手間取ることだってある。それに比べれば暖機さえしておけば機械は文句も言わずきちんと動作してくれる。新世界で馬車が王侯貴族や上流階級から駆逐された理由がわかるだろう。意外かもしれないが日本皇国は世界で最も早く馬車を捨て自動車を採用した王室の一つでもある。
 
 さて、皇国の姫君も無事到着、そしてリシャールもこの前哨戦で好い第一印象を持ってもらったようだ。次の日はギネビア姫との正式な謁見を始め僅かな緊張の緩みも許されない前哨イベントが目白押しである。  

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