白鳥の歌 1

藤倉 遊(ふじくら・ゆう)


時は暗黒の中世……大自然へのおおいなる畏れが人々の心を支配していた頃。

ドイツのある湖のほとりに一匹の悪魔が棲みついていた。

彼の名はロットバルト。

彼は湖の近くの洞穴の奥深くに居をかまえ,たくさんの美しい娘たちを従えていた。

この娘たちはロットバルトによって,昼は白鳥に変身し,夜は人間の姿に戻るという奇妙 な呪いをかけられ,魔力によってその体を支配されていた。

ある日のこと。

夕暮れが近づくにつれて,洞穴の近くに白鳥たちがつぎつぎと降り立った。

日が沈むと同時に,白鳥たちは一瞬青白い光につつまれ,薄衣の純白のドレスを着けた若 い娘の姿に戻る。

そのいでたちは妖精を思わせるような可憐なものだ。

両肩と背中をあらわにした胴着と裾が高く釣り上がったスカートが一体になっており,脚 は薄生地の白いタイツにつつまれている。

娘たちは洞穴へ入ってゆき,ロットバルトのいるいちばん奥の「部屋」に集まった。

「オデット」

ロットバルトは彼の周囲に集まり,ひざまずいている美しい娘たちの一人に呼び掛けた。

「そなた,夕べは私が留守をしているのを良いことに,ずいぶんと勝手な真似をしていた ようだのう?」

「…………」

「返事をせんか」

ロットバルトはうつむいているオデットの下あごをつかみ,ぐいと引き寄せた。

「何のことでございましょう」

「とぼけては,いかん」

ロットバルトは,低い,しかし凄味のある声でオデット姫に迫る。

「湖に白鳥狩りに来た王子ジークフリートをたぶらかし,何やら楽しんだようではないか? ん?違うか」

「…………」

「ふん」

ロットバルトはつかんでいたオデットの下あごを投げすてるように離した。

「そなたもなかなかに罪なおなごよな」

悪魔はくっくっと無気味な笑いを洩らす。

「そもそも,そなたは永遠の乙女でいたいがためにわが呪いにかかった身。どんな男とも けっして結ばれることはないのだ」

「…………」

「それを知りながら,あのような純情な貴公子に誘いをかけるとは……悪魔顔負けよ」

「わたくしは別に誘いなど……」

オデットはつかまれた下あごをそむけようとする。

「してはおらんか?ふっ」

ロットバルトは唇を歪めた。

「では,これを見るがいい」

その言葉とほぼ同時に,ロットバルトの前の光の塊があらわれた。

それは見る間に広がって,ジークフリート王子とオデットの立体的な映像となる。

それは本当に二人がその場にいるかのような,鮮やかな映像だった。

「!」

それを見たオデットの顔色が,みるみるうちに青ざめる。

「そなた自身の眼で,昨夜のおのれの醜態ぶりをとくと確かめるがいい」

オデットが,おもわず眼をそむけようとすると,ロットバルトの指先から光がはなたれた。

それがオデットに当たると,彼女の首はむりやり引き戻され,眼を閉じようとしてもまぶ たが下がらなくなってしまった。

「見るのだ,オデット」

悪魔は言った。

「その上でそなたにはたっぷりと罰を与える」

映像の中のジークフリート王子が言った。

『姫……わたしはもうがまんできぬ』


次ページへ 前のページへ MENUへ