お姫様舞踏会2(第六話)
お姫様舞踏会2

 〜新世界から来た東洋の姫君〜
作:kinsisyou
   
庭に出て飛鳥姫は車を出す準備を始める。ボンネットを開けエンジンルームを一通り確認、タイヤの空気圧をエアゲージでチェックして正常範囲内にあるかどうかを見る。因みに姫君たちが乗る4台はいずれも空気ではなく高圧窒素ガスが充填されている。これは窒素が非常に安定した気体であるためタイヤに及ぼす変化が少ないこと、空気と比べて抜けにくいこと、空気と違い高速走行時でも高温になりにくく、また膨張しにくいためタイヤバーストや火災の危険が非常に少ないといった理由が挙げられる。航空機では常識であったが、自動車でここまでやる例は当時まだ殆どなかった。
 高圧なのは高速走行に対応するためである。やや乗り心地が固くなるが、安全性は高くなる。
 車を確かめている近くでは番兵や衛兵が飛鳥姫に視線をチラリチラリと送る。無理もない、あんな格好では。飛鳥姫が身動きするたびにミニスカートの中が見えそうで見えなかったりで非常にもどかしい。それが男たちを反って刺激する。どちらかというと隠すよりも見せるというのが新世界のファッションの傾向かもしれない。尤も、皇国は和装に代表されるように本来は隠す文化の国であるが。
 最後にざっと車の周囲を一回りして特に異常がないかを確かめ傍らでその様子を見ているファミーユ姫を呼ぶ。
「ファミーユ姫、乗れますわよ」
 と言って飛鳥姫は助手席側のドアを開ける。所謂ガルウイングドアで、上方に跳ね上がる。スポーツカーとしての性能を優先し、剛性の高いシャシーを採用した結果、構造上普通のドアは使えないため止む無くこの方式になった。サイドシルが高く、加えて車高が僅か1150mmしかないため(当時の車は軒並1600mm以上あるのが普通だったといえば如何に低いかがわかるだろう)乗り降りはややコツがいる。
「まあ、これは跨いで乗り込まなくてはいけないのですね、よっこいしょ」
 そう言ってファミーユ姫はドレスの裾をたくし上げ跨ぐようにして乗り込む。その際イヤでも脚が見えるのと、一瞬だがドロワーズの裾が見えたような気がした。その様子に女性陣はおろか当然兵士たちもドギマギしてしまう。新世界ならドロワーズの裾が見えたくらいで気にする必要などないだろうが、こちらではドロワーズの下はもうすぐさま絶対領域である。そう考えるとドギマギしないほうがおかしいであろう。 
「んしょ、んしょ、なかなか乗り込むのが難しいですわ」
 車高が低く、サイドシルが高く、また剛性を優先した車体構造のためドアの開口部自体も小さめである。このため跨ぎつつ屈みながら乗り込む芸当が要求される。何とか乗り込み、ドレスの裾を引き込むと飛鳥姫はドアを閉める。ドアは非常に軽くできている上に油圧ステーとスプリングで支えられており、開閉するのにそんなに力は必要ないようにできている。
 そして右側の運転席に乗り込む飛鳥姫。乗り慣れているだけあって事も無げに背中側から乗り込み巧みに脚を上げてスポッと車内に入る。
「それではファミーユ姫、シートにあるベルトを締めてくださいな。そうしないと万が一のとき非常に危険なのです」
 そう言って飛鳥姫は自分が見本を示す。シートの後ろから生えている緑のシートベルトを肩と腰に通しお腹のやや下側に来るバックルに留める。このバックルも軽量化のため鍛造アルミ製だが強度は十分確保されている。両肩と腰を通して全身をシートに完全に固定する、所謂四点式であった。バックルは銀メッキでもしてあるのかと思うほどに磨かれ光っているが、これは1グラムでも余分な重量を削る意味もある。ファミーユ姫も見本を見ながら全身をシートベルトでシートに固定していく。まるでクルマと一体になったかのような感覚。しかし、普段馬車の広々した中で寛いでいるのが常のファミーユ姫には少し窮屈だったようで。
「何だか窮屈ですわ。あまり身動きできないし」
 そういうのを予想していたのか飛鳥姫の返答はしれっとしたものである。
「クルマは馬車と違って大変スピードが出ますのでこうしていないと非常に危険なのです。場合によっては外に投げ出される可能性もありますので我慢してくださいませ。そのうち慣れますわ」
 シートは着座位置が非常に低く、脚は投げ出したような感じになる。加えて全身を包み込むような形状になっており膝辺りにもバッドがあるのでシートベルトを締めると四点式ということもあって殆ど身動きできない。また、シートはマグネシウム合金で形作られクッションは薄めであり水牛の革を二重張りにしているだけで座り心地はかなり固めだ。シートベルトは肩とお腹部分には食い込まぬようパッドが入っている。助手席側にはフットレストとアシストグリップがありいざというとき踏ん張りが利く。
 内部を見回すと馬車と違い何やら色々な機械で占められているような光景が広がる。低い車高のためトランスミッションとプロペラシャフトが通るセンタートンネルが肘掛のように大きく張り出す格好となりそれぞれの席は完全に独立した一つの区画のようになっている。そのせいか実際以上にファミーユ姫には狭く見えるのだった。走るため以外の機能を一切排除したかのような室内は少なくとも安楽な空間とは言い難い。それでもウィルトンカーペットが敷詰められたフロア、モケット織の天井、水牛の革を二重張りにしたシートとトリムにダッシュボードとセンタートンネル、磨き上げられた装飾用のアルミパネル、二重にした縫製糸による手縫いならではの均等な縫い目のダブルステッチなど超高級車としての定番は押さえている。黒と緑を中心とした内装はともすれば興奮しがちなスポーツカーに於いて感情を冷静にさせる効果をもたらしていた。
 飛鳥姫は運転席のドアを閉めると、周囲が見守る中センタートンネルにあるキーホールに鍵を差し込みONの位置に回す。因みにキーは細い棒状になっていてはさみなどを突っ込んで抉ることができないようになっている。盗難防止策の一つだ。
 キーがONになると隣のマスタースイッチのロックが解除されこれをONの位置に回すことでエンジンの始動準備が整う。更に飛鳥姫はアクセルペダルとクラッチペダルを同時に目一杯踏み込む。こうしないと電気スターターを動かすための回路が接続されない。二重三重の安全策と盗難防止策である。他にもシフトレバーがニュートラルに位置しており、且つサイドブレーキを引いていないと安全装置が解除されない。
「さあ、ファミーユ姫。かなりスゴイ轟音がしますから覚悟してくださいね。別名ケルベロスの咆哮が響き渡りますわ」
 ペダル類を目一杯踏み込むと、ステアリング正面に位置する3連メーターの針がピクン、ピクンとまるで鼓動しているかのように動く。まるで生き物であるかのように思わせる心憎い演出だ。3連メーターは中央に13000回転まで刻まれた回転計、右側に300km/hまで刻まれた速度計、回転計の左側には燃料計、水温計、ブースト計、電圧計が一まとめにされ、ダッシュボードセンターには更に油温計、油圧計、電流計、油量計の4連メーターがズラリと並び、7連メーターとなっている。4連メーターの下にはローターを象った時計が飾られている。しかもストップウォッチ機能まで付属しておりメカ好きを満足させるに十分な内容であった。時計は特に意匠が凝らされローターを象った外周は純銀メッキ、文字盤、長針、短針、秒針は24金、12の位置には飛鳥姫の誕生石であるサファイア、それ以外はダイヤモンドが輝き、秒針の後端にはメーカーのマークが入っている。また、精度を向上させるため当時最先端のクォーツが組み込まれ、ストップウォッチ機能のほかカレンダー、曜日が組み込まれていは100年先まで表示可能だった。ガラスには磨きサファイアガラスが使われている。
 ストイックなほど走るのに不必要なものを徹底して取り払ったこのクルマにあって唯一の飾りとも呼べるもので、この時計だけで数百万円という。後はラジオと車内が非常に暑くなるため空調装置が導入されている程度であった。それでも小物入れのスペースは意外と充実しておりグローブボックスやコンソールボックスを始め車内スペースを可能な限り有効活用していた。小物入れにはカーペット生地が張られている。
 明らかに興奮気味の瞳でファミーユ姫を見つめる飛鳥姫。その様子にファミーユ姫は何やら尋常ならざるものを感じていたが、しかしその先の未知の領域を知りたいという好奇心のほうが勝ってしまった。というよりファミーユ姫もクルマの持つ魅力に徐々にとりつかれつつあったのだ。
 そしてキースイッチの下に位置するローターの意匠を象った赤いスターターボタンを押すと、刹那、電気スターター独特の回転音が数瞬ほど響き、凄まじい轟音が周囲に響き渡り、車内を包み込む。
 
 このクルマの名は、RX−7SPと言う。と言っても史実のRX−7とは大きく違う。マツダが開発した渾身のスポーツカーであり、当初からレースに出ることを前提にして開発された。つまりはレーシングカーを市販するという、はるか後のスーパースポーツの祖先のようなものであった。
 磨きだしのジュラルミンの車体は低く、地を這うような流線型に成形され、そこに新開発の遠心式インタークーラー付スーパーチャージャー付の2ローターエンジンを搭載し、排気量は僅か1600cc。しかし、1600ccから実に320/400hpを叩き出し、当時としては間違いなく世界の最先端を行くエンジンの一つといっていいだろう。スーパーチャージャーはアクセルを床一杯まで踏み込んだときだけ作動する。エンジン始動時の凄まじい轟音はスーパーチャージャーが作動しているためであり一種の演出である。ケルベロスの咆哮と呼ばれる所以だ。
 ロータリーエンジンのコンパクトさを最大限に活かすよう設計されており、エンジンとドライバーの位置を可能な限り近付け、また従来よりも低くマウントされている。更にスーパーチャージャーはインタークーラーとともにエンジン上に直付けすることで全体にコンパクトにまとめられていた。ボンネット上には専用の吸気口とインタークーラーを冷却するための空気を導入する吸気口を一体にした膨らみがある。そのボンネットにもローターを象った意匠が施されていたが、このプレスラインは軽量化と強度アップも兼ねている。僅か1150mmという車高もこのロータリーエンジンがあってこそだった。
 エンジンが収まるフロント側面には熱気抜き用のヴェントが設けられている。高性能をイメージする飾りのようだが、エンジンルームは冗談抜きで熱くなるため決して飾りではない。
 ハイマウントバックボーンフレームを中心にしたフルモノコック構造は車重を僅か950kgまで抑えており、レース仕様に至っては800kgに過ぎない。このため0→100km/hまで僅か5秒、最高速度は実に300km/h超に達し、当時の水準を考えれば間違いなくモンスターマシンである。
 燃料タンクは155 もの容量がありホイールベース内に収められ重量変化によるハンドリングの影響を最小限に抑え、また追突された時の危険性を大幅に減らしている。重量配分には特に神経が遣われており、カチッとよく決まる好ましいフィーリングの新開発6速ミッションはリアデフと一体のトランスアクスルにされており、これは6速とともに当時望外の高度なメカニズムであった。ミッションはクロスレシオ化されているのと同時にポルシェシンクロが採用されクイックな変速を可能とした。フロントミッドシップと呼ばれるホイールベース内に収められたロータリーエンジンと相俟って前後の重量配分は後輪のほうが僅かに重い49:51となっている。
 エンジンとミッションをつなぐプロペラシャフトは軽量化のため当時採用が始まったばかりのカーボンシャフトで、取付角度を0度にして振動を最小限度に抑えることで余計な強度を持たせることによる重量増加を抑えている。また、エンジンとトランスアクスルはパワープラントフレームで直結にされダイレクトなアクセルレスポンスに貢献していた。
 サスペンションはフロントダブルウィッシュボーン、リアがスイングアクスルを大幅に改良したマルチリンクで、当然四輪独立懸架。マルチリンクサスペンションは当時間違いなく世界の最先端を行くものであった。当時リアサスペンションは駆動軸が通る関係上フロントサスペンション並の性能を得るのは難しく、このためスポーツカーでもスイングアクスルで妥協するのはいいほうで、板バネ支持の固定車軸も少なくなかった時代だ。しかし、敢えて妥協を排したことによってスポーツカーとして比類のないハンドリングを獲得できた。
 ドライブシャフトには当時開発されたばかりで非常に高価だったオフセット等速ジョイントが使われていた。通常の等速ジョイントと違い、大きく角度を取れるのみならず左右方向にも動くようになっており動力伝達が非常にスムーズなのが特徴であった。前後とも当時最新のコイルスプリングと一体になったテレスコピックダンパーとスタビライザーに支えられ、サブフレームに発泡ウレタンを充填して剛性を高めたサスペンションは鍛造アルミ製であり、一部にはチタンも用いられていた。コイルスプリングユニットマウントにはストラットタワーバーがットされ前後ほぼ均等な重量配分、低い重心と相俟って狙った通りのラインを走り抜けられるシャープなハンドリングを生み出していた。しかし、それだけに限界付近が極めてナーバスになってしまったが、その限界が当時としては非常に高いレベルにあった。
 タイヤは当時最新のチューブレススチールベルトラジアルを用いており、ホイールには当時主流だったワイヤーホイールではなくブレーキ冷却用の孔を明けたハイテンション鋼製ディスクホイールを採用していた。ハイテンション鋼はそのままでは錆びるので防錆のためダーク調のハードクロムメッキが施されている。タイヤには窒素ガスが封入されており、全ては時速300km/h超での走行を可能にするためであった。また、意外に思うかもしれないがハイテンション鋼製ホイールは強度が高いためアルミホイールよりもはるかに軽量である。シンプルにホイールはマツダの七宝焼エンブレムの入ったセンターロックで留められている。
 ブレーキには当時レーシングカーでも採用は稀だった四輪ヴェンチレーティッドディスクであり、鍛造アルミ製ディスクローターにはブレーキダストを排出するための溝が切り込まれ、更に軽量化と放熱性向上を兼ねた孔が無数に明けられている。これにより100km/hから完全停止するまで僅か35mしか必要ない。当時のクルマは軒並100m以上必要だった時代である。
 外見は磨きだしのジュラルミンで銀色に輝き、緑色のラインが入っただけのシンプルな外装であり、その上から保護用のクリアコートが施されているのみである。フロントのホイールアーチは上側に眉毛状のフィンが付けられているが飾りではなくホイールアーチ周りの空気の流れを整えるのとフェンダーの剛性向上と軽量化をも兼ねていた。
 全体にティアドロップ形状の流線型に成形され、テールの中央には左右に分割するように直進安定性を高めるテールフィンが追加されている。フロントガラスは左右に湾曲して空気を受け流し、更に下を流れる空気を整えるためジュラルミン製のアンダーカバーが取り付けられ、リアホイールはスパッツと呼ばれるパーツで覆われている。このスパッツは空力は無論、クルマを低くスマートに見せる効果もある。
 ワイパーは高速走行時の浮き上がりを抑えるためスポイラーが取り付けられており、テールフィンによって二分割されたリアウインドウにもワイパーがある。
 ヘッドライトには当時最新のハロゲンが使われ、4灯のうち、内側の2灯はステアリングに連動して左右に動く。またフォグランプも装備しており、テールにもローターを象ったフォグが装備されている。
 ルーフ中央は滑らかに凹ませてあり、空力向上と強度向上、そして軽量に仕上げるのに貢献している。これをパゴダルーフという。
 全体に曲線美が際立ち、可能な限り継ぎ目は滑らかにされ、七宝焼のエンブレムを取付部に凹みをつけて半埋め込みにするなど、アンダーカバーも相俟ってこうした一連の空力処理によって現在でも非常に優秀なCd値0.24をマークした。それでいて視覚効果を狙って付けられた余分な虚飾は一切なく、空力のため張り出したフェンダーはスプリンターの張り詰めた筋肉質の大腿部を思わせる。一切の無駄を削ぎ落とした曲線美の中に筋肉質さが同居していた。その美しいフォルムをカットするのは躊躇われたのか、燃料給油口は運転席側のガルウイングを開けたサイドシルに設けられている。
 トランクルームは意外にもこのテのクルマとしては広いほうで、スペアタイヤと工具一式は低く収められその上からフラットになるカバーを被せている。トランクルームにもウィルトンカーペットが敷詰められていた。少なくとも二人が2、3日程度の旅行をするには十分な容量で、余った革とジュラルミン、ウィルトンカーペットを使って作られた旅行カバンが大小一つずつ付属している。
 4本出しのエグゾーストはこのクルマの持つ性能を無言のうちに物語る。
 ステアリングは停止から低速走行時はパワーアシストされ、ペダルにもサーボアシストが組み込まれ操縦感覚は軽い。それでいて適度な手応えを残すためステアリングシャフトにはカウンターウエイトが組み込まれている。
 安全面では正面衝突したときステアリングとペダルが引き込まれる他、車体にはロールバーが内臓され、万が一横転、転覆した際に前後のガラスとガルウイングドアのヒンジには火薬が組み込まれており、いざというときは火薬を爆発させて破壊することで脱出できるようになっている。また、マグネシウム合金を内装に多用しているため消火器も備えられている。
 当時間違いなく世界最高性能のスポーツカーであったが、その代償として価格はとんでもなく高価であり、飛鳥姫が購入した当時3億円もした。何しろロータリーエンジンのみならず高価なジュラルミンで流線型に成形し、その上当時採用が始まったばかりのラジアルタイヤを始め軽合金や新素材など最先端技術を惜しげもなく注ぎ込んだのである。その上超高級車のお約束として内装を切り詰めるつもりは微塵もなく、当時間違いなく世界で最も高価な市販車であった。
 いつの世もそうだが、皇国のお姫様も例外ではなく王族はまだ大衆車の普及が始まったばかりのときにこうした最高レベルのクルマに乗ることができるのが特権と言えば特権かもしれない。日本皇室は質素なほうだが、こうした超高級車を買えるだけの財力はある。

「そ、それにしても何て音なんだ。これじゃ馬が怯える」
 リシャールもさすがにこの轟音には唖然とするほかない。にしてもスゴイ音である。荒々しいエンジン音に加えてその低いシルエットと相俟ってしっかり調教され飼い馴らされた大型犬というよりもまるで深い森を棲家とする野獣を連想した。案の定、近くの馬小屋で怯えるようにブヒヒ〜ンと叫ぶ声が聞こえる。他にも何事かと来る番兵や衛兵まで集まりちょっとした見世物になる。
「こ、こんな代物にファミーユ姫を乗せて大丈夫なのか!?」
 トパーズもさすがに心配になる。ましてやファミーユ姫は大国グランディアの王女。もしも何かあったときは大変だ。
「ファミーユ姫って、意外と物怖じしないタイプなのかもしれませんね」  
 オーロラ姫もあまりの轟音に耳を塞ぐ。
「新世界では馬車に替り自動車が道路を埋め尽くしていると聞いたことがありますが、こんなにうるさいのが道路を走っていると思うとゾッとしますわね」 
 ギネビア姫の理解はある意味正しいのだが、こんなに荒々しい轟音を発するのは無論例外である。それに、新世界でもまだ完全に馬車にとって替ったわけではなかった。

 飛鳥姫がエンジンの調子を確かめるかのようにアクセルを軽く踏み込むだけでも回転計の針が凄まじい勢いで跳ね上がる。そのたびに周囲を脅かす甲高い轟音が響き渡る。
「さあ、ファミーユ姫、参りましょう」
 気がつけばファミーユ姫はすっかりこのクルマの魔力の虜になっていた。ワクワクしているファミーユ姫。
 ローターを象ったシフトレバーを2速に入力し、アクセルを吹かしつつクラッチペダルをゆっくり離していくとクルマはスルスルと発進していく。因みにシフトには磨き出しのアルミ製のシフトゲートが取り付けられ、リバースはツメを上げないと入らないようになっているほか1速は停止時を除いて2速に入っているときだけゲートが開くようになっているなどここにも安全策が施されている。通常、急な坂を除いて1速は発進に使わない。エンジンのトルクがあまりにも強大なためホイールスピンを起こす恐れがあるからである。
 飛鳥姫とファミーユ姫を乗せたRX-7は中庭から正門前の広い石畳に出て外に向かって走り出して行く。耳を劈くような甲高い音を周囲に響かせながら。
「飛鳥姫、ファミーユ姫、お待ちくださいませ」
「リシャール殿、こちらへ。我々も参りましょう」
 と言って飛鳥姫の筆頭侍女である花代がリシャールを護衛用のセダンに手招きする。その手招きに大急ぎで乗り込むリシャール。既にエンジンがかかりいつでも発進できる体勢に整えられていた。因みにこちらもV型12気筒エンジンを搭載し、性能的には文句なかった。しかも流線型である。但し、4ドアセダン故に重く、ジュラルミンや鍛造アルミフレームなどで軽量化はされているがそれでも車重は1.9トンもあった。そのため動きは緩慢である。

 折りしもグランドパレスを出たところで幹線道を馬車の一団が埋め尽くし始めていた。当然のことながらあまりの轟音に何事かと馬車から身を乗り出す今回舞踏会に招待された王族や貴族たち。旧世界の馬車と新世界の自動車、それも最先端を行くスポーツカーがすれ違うのは実に対照的な光景だ。しかも地を這うように低いシルエットはそれを見た多くの人の瞼に強烈な記憶となって焼き付いただろう。案の定、その轟音に暴れる馬や怯える馬がいて、御者が何とか宥めすかしている。他にも一般人も何事かと指差して大騒ぎ。
「ママー、あれ見て。馬なし馬車が走ってるよ」
「これ、見てはいけません!!」
 馬がいないのに走っているのを見て何やら不吉なものを覚えたのか子供の目を塞ぐ母親。馬が牽引するのが当たり前の世界で馬がいないのに走っているのは異様な光景以外の何物でもなかっただろう。

「スゴイ、景色があっという間に流れていきますわ」
 未体験のスピードに幼女のようにはしゃぐファミーユ姫。因みに現在70km/h程。馬でも全速力で走ってようやく出るか否かである。馬車だと平均で10km/hくらい、速くても30km/hがせいぜいだから旧世界の感覚からすれば如何に速いかがわかるだろう。
「このくらいはまだ序の口ですわよ。開けた場所に出たところでもっと出しますわ」
 ファミーユ姫の御満悦の様子に満足げに微笑む飛鳥姫。それにしても何処まで続くのだろうかと思う馬車の行列。どれも豪華な細工が施されているのがよくわかる。馬車はこうした細工が似合うが、自動車には似合わない。外見はシンプルなのが自動車のアイデンティティなのである。とはいっても高級車になると軒並七宝焼のエンブレムなどがピンポイントで飾り付けられているあたり、やはりかつての馬車時代の名残であろう。そして内装になるとこの限りではなく馬車時代から引き継ぐ絢爛豪華な内装を持つものも少なくない。
 馬車の行列を横目で見ながら、もう少し出るのが遅かったら馬車の行列が作る渋滞に引っ掛かって、更に好奇の視線にも晒されるので脱出も容易でなかったであろう。飛鳥姫はそう思った。馬車の行列は船着場からと、国境から続いているものの二本あるようだ。それが幹線道で合流してあっという間に身動きできなくなっているわけである。船着場には大型の帆船が投錨して桟橋を埋め尽くしている。馬車と同じく絢爛豪華に飾り立てられ、マストの頂には王家の家紋を染め抜いた旗が飾られ時折弱い風に靡いている。と、そのときファミーユ姫が不意に指を差した。
「あっ、あれが私たちが乗ってきた船ですわ」
 ファミーユ姫が指差す先には一隻の絢爛豪華な装飾を全身に施した船の姿が。飛鳥姫も見た記憶があった。グランディア王国の船である。案の定、大国らしく豪華さは他国の船と比べると際立っている。しかも側面にはいくつか大砲が並んでいるのが見えた。そういえばグランディアは大型の商用船は海賊対策のために大砲を載せているのが普通であることを思い出した。
 船尾はこの時代、というか旧世界の船の定石として特に豪華に飾り立てられている。豪華な船尾部分は高級船員や、多分この場合はファミーユ姫たちの乗り込む区画に違いない。船尾には船長室や航海士官室などの高級船員の部屋のほか、一等客室があるのが普通である。グランディアの船のことだ、多分ファミーユ姫たちの乗る区画は更に豪華に仕立てられているであろうことは容易に想像がつく。大きさからして多分5000トンはあるのではないだろうか。5本マストの威容は何処から見てもそれとわかる上、実はこのグランディアの帆船は日本に発注した鋼製帆船であり、進水から主要な艤装を経て本体完成後にグランディアへと曳航され、本国で装飾などの艤装が行われた。因みに建造を担当したのは呉海軍工廠であった。既に確立されていた得意のブロック工法と電気溶接を用いて建造され、浸水時の安全性を高める隔壁構造を採っており隔壁が最上甲板まであるため容易には沈まない。発注から進水まで僅か半年、そして艤装を経て正式に完成したのが3年後であり、装飾艤装にほぼ2年を費やした。
 舵取り装置も後部で人力で動かすのではなく前部に設けられた操舵室から操舵輪を使って水圧を介して動かす方式である。このため従来の船に比べると操舵は非常に楽であった。
 これだけの大きさの船なら様々な娯楽が設けられ退屈しないようにできているはずだし、また船上の散歩もそれなりに時間を費やせるはずだと思ったが、それでもファミーユ姫の退屈を紛らわせることはできなかったらしい。余談だがこれだけの大きさがあり船内に余裕があるので大型の調理室が設けられており、果物を水に沈めて冷やす原始的な青果物用の冷蔵庫も完備していた。だから先にも述べたようにガチョウのローストや手間暇のかかるゼリーなどを出すこともできたのであった。調理には石炭コンロを使う。
「ファミーユ姫、もしかして、これだけの船に乗っていて退屈されていたのですか?」
 飛鳥姫は退屈していたという言葉を思い出し、ファミーユ姫のほうを見つめる。
「だって、オーロラお姉さまは図書室に篭って本ばかり読んでるし、トパーズは他の侍女とチェスに夢中になってるし、船員の方も誰も話し相手になってくれませんもの。後は食事と散歩と天体観測くらいしかありませんでしたわ」
 話し相手を見つけたかのように一気に捲くし立てるファミーユ姫。彼女の退屈はあれだけの大型船でも紛らわせることはできないほど活発な姫君ということか。ある意味ロゼッタ姫といい勝負かもしれない。尤も、ロゼッタ姫の場合は退屈凌ぎの方法を色々と考え付くタイプだろう。まあ悪い方向に傾くこともしばしばだが、ロゼッタ姫の場合はそれなりに知恵を働かせるのに対してファミーユ姫は育ちの影響もあるのだろう、どうしたら退屈を紛らわせられるかまでは気が回らないらしい。普段の生活も誰かが必ず遊び相手になっているであろうことは容易に想像がつく。
(ファミーユ姫なら我が国自慢の浅間丸に乗っても退屈するのでしょうねえ……)
 飛鳥姫はふとそんなことを思った。因みに浅間丸とは太平洋航路と極東航路、欧州航路にそれぞれ就役している浅間丸級豪華客船のことである。浅間丸のほかに姉妹船として秩父丸と鎌倉丸がいる。排水量11万トンを超える超大型客船であり、内部には様々な施設が完備され植物園まであった。
 
 船着場には未だ荷降ろし中の馬車やこれから幹線道に出る馬車でごった返していた。まだまだ渋滞はこれからが本番といったところか。他にも乗用馬車の他に彼(彼女)らの身の周りの世話をする侍従侍女を乗せた馬車や恐らくは舞踏会のために調達されたと思われる食糧などを搭載した貨物用馬車の姿も見受けられる。これらが加われば大渋滞が起きても何ら不思議はないだろう。そんな馬車の列とすれ違う間も好奇の視線がずっと突き刺さる。その上ロータリーエンジンにとってはこうした場所をノロノロ運転するのが一番マズイ。ある程度の回転数に持っていかないと燃費が悪くなるのだ。
 しかし、渋滞でなかなか景色が変わり映えせず退屈しがちな王族や貴族からすればちょっとした退屈凌ぎにはなったはずで、晩餐会辺りからきっと馬なし馬車の話題で持ち切りになるだろう。
 にしても、これからギネビア姫はこんなに大勢の人間と謁見せねばならないのか?否、あのように自室に呼んで直接謁見するのは王族のみであり、貴族たちは晩餐会が正式な謁見を兼ねる。さすがに王族の数は知れているから心配はいらない。

 やがて景色が開けてきた。いよいよこのクルマの本領発揮である。飛鳥姫がアクセルを床一杯まで踏み込むと、スーパーチャージャーが作動し、また高回転でこそ威力を発揮するロータリーエンジンと相俟ってスムーズに回転を上げ、ケルベロスの咆哮と呼ばれる甲高い高音が車内を包み込む。背中がシートに押し付けられるような加速は馬車や馬に乗っていたら味わえない感覚だ。その感覚にファミーユ姫も、
「きゃああ、すごい、すごいですわああ!!」
 すっかりはしゃいでいる。
 気が付けば辺りに民家も少なくなり、徐々に木々が多くなり始める。間もなく森に入ろうとしていた。
「まだまだこのくらい序の口ですわよ。それっ、それっ、きゃーははは!!」
 曲がりくねった山道を攻める飛鳥姫。自動車だからこそ可能な芸当であり、重心が高く板バネで支えられた固定車軸の馬車では不可能であろう。あっという間に横転するのがオチだ。
 そして二人してスリルを楽しんでいる。非常に危険な行為だが、そんなことすら忘れさせるのだからクルマの魔力は恐ろしい。
「楽しいでしょう?ファミーユ姫。これがクルマの魔力ですわ」
 などと飛鳥姫自身がクルマの魔力の虜になっている。
 森に入っていく一行。暗いのでヘッドライトを点灯する。当然馬車に備えられているオイルランプよりもはるかに明るい。このため森を歩いていた行商人があまりの眩しさに腕で顔を覆ってしまった。無論飛鳥姫はちゃんと目的地をわかっていて森に入ったのだ。
 普段は交通ルールに縛られこんなことはできない。何もルールのない場所で思い切り走ってみたかった飛鳥姫にとって、念願の叶った今、その時を思い切り楽しんでいる。

 その様子を随行のセダンから見ていたリシャール。
「飛ばすなあ、飛鳥姫。怖くないのだろうか」
「姫様はスピード狂ですから。これでもまだ抑え目で、高速道路などではこんなものではありませんわよ」
 と後ろの席から飛鳥姫の走る姿をカメラで撮影しながら説明している花代。因みに現在スピードは未舗装路に入った関係で幾分落としたとはいえ80km/h近くは出ているだろうか。このセダンも高速走行を前提にしているだけあってこのスピードでも安定しているが、なにぶん舗装されておらず固く突き固めただけなので時折ガタガタとショックが伝わってくる。尤も、四輪独立懸架だからまだこの程度で済んでいるのだが、馬車ならこんなスピードで走れば舌を噛みそうなほどの突き上げが襲ってくるだろう。
 それにしても飛鳥姫の護衛のため引き離されないように随行している運転役の侍女も大変だ。
「スピード狂って、一体どのくらいまで飛ばすの?」
「私が随行しているときでも100km/hかそこらは飛ばしているうちにも入らないですわね。200km/hを超えることも珍しくないですわよ」
 などと当たり前のように話す花代。普段乗っている馬車でせいぜい10km/hくらい、馬に乗って飛ばしているときでも30km/hくらいだと言われ、あまりの差に言葉も出ないリシャール。最早感覚が違いすぎる。というより、国防大臣という国の重要人物にあるまじき行為だが、飛鳥姫にとっては必要不可欠なことなのかもしれない。
 急な坂でも四苦八苦にしている荷馬車を横目に悠々と登っていく二台。荷馬車の御者も見たことのない姿に唖然としている。
 
 森を抜け、開けた場所に出るとそこは湖であった。そこでクルマを停め、一行は一息つくことに。



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