旭陽帝国皇帝大元帥大勲位成一級歓待序列第一位 今上 静瑠(きんじょう しずる) 旭陽(きょくよう)帝国第12代皇帝。帝国初の女帝である。僅か10歳で即位。親友でもある日本皇国の皇帝、将臣陛下とは同い年である。身長183cm、体重67kg、上から94・60・92。血液型は個性的なリーダーが多いといわれるB型。 旭陽帝国は、当初共和制の移民の国として、日本皇国が買い取った土地を防衛上、外交上の観点から独立させて誕生した、建国からまだ300年余りの若い帝国である。 人口は1億7千万。今では種種雑多な多民族国家となり、豊富な資源と技術力とでかつては皇国に頼っていたのが旭陽帝国が皇国を支えるまでになった。そして、建国当初の目的通り、多民族の融合国家として順調に発展を続けている。 ただ、予定外だったのは建国当初、もう一つの日本という位置付けもあり共和制を目指したのだが、民衆の大多数が帝政を望んだため皇室の分家が行なわれることになり、皇帝の直系の子孫の一部と、八つあった親王家のうち三つが、18あった宮家のうち七つが旭陽帝国に渡った。 そして、混血政策を積極的に推進め、また帝室も他の国の王室から姫君を積極的に迎え入れた結果、今では皇室の血筋から大分遠ざかっている。 現在の皇帝の母親はオルストレア帝国エスターライヒ家から迎えいれた。 そんな彼女は一男二女の末っ子として産まれ、幼少期から利発で才気煥発な女の子で、両親はよく、『この子が何故皇太子でないのか』と言う程だった。 もし、あの悲劇がなければそれでもごく普通の皇女として一生を終えていただろう。しかし、歴史は彼女を遊ばせてはおかなかった。 そして、悲劇が起こる。 彼女が10歳の時、諸外国を訪問中の皇帝と皇太子、第一皇女が飛行機事故でこの世を去ってしまう。遺された母親と彼女は当然悲しみに暮れた。だが、こうなってしまった以上、もはや彼女が帝位を継承する以外に選択肢はなかった。こうして、僅か10歳で即位し、暫くは母親が摂政となって支えた。皇国でいうところの即位の礼にあたる登極式及び郊祭式が行なわれ、正式に皇帝となったのはそれから2年後のことである。その時、大元帥姿で式に臨み、これが後の将臣陛下の即位の礼にも影響を与えている。 イラストは即位から5年後の御姿で、今や皇帝としての貫禄と力量も十分。政務も立派にこなしている。 母親譲りの明るい性格で、そのため多くの人から慕われ、やがて悲しみも癒えていく。 ビリヤードと絵、鉄道模型を趣味にしており、また乗り物好きでもあり、スポーツカーから、クルーザー、果ては自家用機、更にまだ登場したまかりのヘリコプターも操縦するほど活動的な一面も持っている。 時折一、二週間程度の休暇をとっては自家用機で離島に行き、そこの別荘で喧騒を離れ静かに過ごすのが激務三昧の彼女の今のところ唯一の息抜きとなっている。 |