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日本皇国皇帝大元帥大勲位功一級歓待序列第一位

 今上 将臣(きんじょう まさおみ)

 日本皇国第300代皇帝。先帝だった父が在位僅か10年で崩御されたため15歳の若さで即位。身長186cm 、体重70kg、上から95・62・91。血液型は歴史上、国家元首クラスの大物が多いといわれるB型。日本人には珍しく長身のため外国の国家元首と並んでも遜色がない。
 日本皇国を統べる皇室は他の国の王室とは比べ物にならないくらい古く、その歴史は実に一万年余り。これまでに彼女を含め300人の皇帝を輩出してきたが、その内女帝は今回で80人目。約4人に一人が女帝である。
先帝には男子が産まれず、やっと授かった子供も結果として女の子だった。しかし、何か思うところがあったのだろう。病弱なため無気力だった彼は彼女に皇帝の座を、というより日本皇国の命運を託すことに決めたのだ。
 その瞬間から鬼も裸足で逃げるといわれる超厳格教育が課せられることに。だが、彼女は見事に期待に応え、成長していった。
 尤も、二次性徴を迎える辺りから徐々に監督は緩められていき、最終的には自分一人で決断できるようあくまで自主性を尊重する方針に転換されていった。この頃、先帝は在位10年を目処に退位することを決めており、若き女帝の誕生は既定の事実として皇室内部で認知されていた。彼は徐々に政務を執るのが難しくなっていたのである。
 彼女はその頃日本そのものが見たいといって密かに全国行脚の最中だった。先帝が崩御されたのは一年余りをかけた全国行脚が終わって帰ってきた直後のことである。
 既にこの年退位することが決まっていたから即位の礼の準備は完了していた。だが、退位は一転して大葬となってしまった。
 そして迎えた即位の日。ここで彼女は思いがけない行動に出る。何と、洋装で式典に臨むと主張したのである。
 これには周囲が猛反対した。それもそうで、女帝の場合は十二単で臨むと古来より決まっていたのだから。しかし、最終的には彼女の主張が通る結果に。閣僚となる姫君たちの賛成に加え彼女たちも洋装で式に臨むと主張したこと、更に宮家が賛成に回ったためである。
 これには彼女なりの主張があった。新生日本をアピールするには洋装が相応しいとの判断からだ。だが、もう一つ理由があった。それは、自身がただならぬ困難に直面するであろうことを悟っていたから。そうした困難に立ち向かうためには何処かでケジメをつけなければならない。その儀式を洋装に求めたのである。それまで彼女は和装ばかりで洋装は着たことがなかった。
 しかし、即位を境に寝巻は別にしてその後和装に袖を通すことはなくなった。
 案の定、建国以来最大の危機に彼女は対峙することになる。
 イラストは即位の日を迎え、初めて洋装を纏い姿を現したその瞬間である。この日に合わせ、前髪も変えた。また、大勲位菊花章頚飾と大勲位菊花大綬章の組み合わせが皇帝のみに許されているのだが、その際大綬を右肩掛けか左肩掛けにするかを選択する。西洋に倣った賞勲制度が整備されて以来、大綬は右肩掛けが多く、左肩掛けは彼女が初めてとなる。というのも、右か左かには意味があり、相撲でいうところの横綱の雲竜か不知火かの違いに相当しており、所謂不知火型に相当する左肩掛けは相当な度胸を要するのでこれまで誰もやらなかったのだ。つまり、相当な覚悟を以って臨むと世界にアピールしたのである。.
 因みに即位の日に左肩掛けを見たとある女官は卒倒したという。そのくらいの禁じ手であり大変なことなのだ。
 彼女自身戦略的才能に恵まれており、そうしたアピールに恥じない稀代の名君として歴史に名を残すことになる。
 政務と私生活にはっきりとした区別をつける性格で、休日には皇国初の南国植物園風の温水プールで泳いでいることが多い。
 この他、全国行脚で味をしめたらしく、即位後も大衆食堂にお忍びで一人足を運んでいる。その意味では庶民的な人柄ともいえる。
 最後に、即位の礼で放った第一声。

『汝ら、我は日出ずる国を統べる皇帝なるぞ!!』
 


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