陵辱カタルシス─王国の行方─ 第5話

隠者



【5】
 日も届かぬ城の地下。ユイリーンが投獄されたのは、天然の岩盤に囲まれた巨大な
洞穴を利用した牢獄であった。姫ということもあり独房を許されたが、雑居房の囚人
たちが発する怨嗟の声が不気味なうねりとなって牢獄に響き渡り、独りで居ることは
かえって不安を増幅させた。
「私は……どうなってしまうのかしら…」
ユイリーンにとって絶対的理解者である父アンブローズは今、遠い隣国の地で戦闘を
繰り返している。
ウゾもまた審問官の審問を妨害したかどで義母アプリクシャに咎められ、謹慎を命じ
られたそうだ。
孤立無縁。この恐ろしげな声がやまない牢獄からユイリーンを救い出してくれる者は
いないといえた。
(うぉぉぉん……あぉぉぉぉおぉぉ………)
ひときわ大きくなる囚人たちの唸り声。正常な精神は三日と持たないだろう。耳を覆
い、簡素なベッドでブランケットを被っても、怪しい低音は骨を通して、身体の隅々
に浸入してくる。「…だれか…」
審問官は、幾日か後に、本格的な異端審問を行うという。それまで自分の心はもつだ
ろうか……。

「……さま…。姫さま……」
唸り声の中に、微かながらはっきりとした人間の声が交じっていた。ユイリーンは
ゆっくりと頭を上げ声の主を探す。薄暗い、いやほとんど暗闇に等しい視界に、ぼう
っと人影が映った。
「………だれ?」
「私です。ヌーグです」
ひげ面と不釣合いな、囁くような声でヌーグが言う。
「ヌーグ! よくも!」
ユイリーンは、自分をこのような境遇に貶めた張本人を前に非難の声を上げた。思わ
ず鉄格子まで駆けよる。
「ま、ま。そう怒らないでください。あの場ではこうするしかなかったのです」
ヌーグもまた鉄格子の側までくると、恭しく礼をした。
「姫さま。聞いてください。私を始め、国内のだれもが姫さまが悪魔だとは思ってお
りません」
「だったらなぜ!」
「ま、ま。思ってはいませんが、なにせ相手はあの、審問官です。あの場で怒りでも
されたら、白でも黒と力づくでも認めさせる雰囲気でした」
確かにその点は否定できない。ウゾを責めるつもりは毛頭ないが、彼の機転は却って
審問官の態度を頑なにさせた。
「そこで、あの場を収集させるため、あえて姫さまを投獄するという選択肢を取った
のです。こうすれば、時間が稼げますし、なにより審問官と距離が置けます」
「……」
ヌーグの説明は言い訳じみていたが、真っ向から否定することもできなかった。
「ヌーグ…私は、いつまでこんなところに居続けなくてはないの?」
今度はユイリーンが口を開いた。
「いつまで…。そうですな審問官が審問を行う時、というのが原則でしょうな」
「…そんな……」
絶望的な答えだった。一刻も早くこんな場所は出たいが、出るときは審問が待ってい
るという。このままでも地獄、出ても地獄だ。
「ただ…」
「ただ?」
わずかな期待を込めてユイリーンはヌーグを見上げる。
「審問官にさえ、牢獄から出たことがバレなければいいのです」
「……それって?…」
「そうですね。たとえば私がこの独房の鍵をこっそりと壊す。姫さまはこっそりとお
城にお戻りになる」
「やれるの?」
「…鍵を壊すぐらい造作もないことです」
「じゃあ外に出られるのね!」
鉄格子をつかみ、揺するようにしてユイリーンが叫ぶ。
「しぃっ! 姫さま声が大きい。ここは牢獄ですぞ。外に出たくてたまらない奴がわ
んさといるのです。『外に出られる』などと聞こえたら奴らに妙な期待をさせてしま
います」
「ご、ごめんなさい」
「それと、鍵を壊すのは簡単ですが、私が鍵を壊し、姫さまを連れ出したとあっては
問題なので、私が去った後、しばらく経ってから脱獄してくださいね。獄卒には話を
つけておきますから」
「わ、わかったわ」
「では」
ヌーグはユイリーンに鉄格子から離れるように要求すると、懐から短剣を取り出し、
その刃先を錠前に滑り込ませた。テコの原理を応用して、短剣を二、三度左右に動か
し、最後に「ふんっ」と気合いを込めると、錠前はボロリと外れた。
「……さすが将軍ね」
「ありがとうございます。怪しまれるといけないので錠前は形だけ元に戻しておきま
す。私が去った後、ここを左にひねって出てくださいね」
ヌーグは錠前の扱い方を説明すると、再び恭しい礼をして去っていった。
(…あぉぉぉぉおおおぉん…ぬぉぉぉぉぉぉむぅぅぅ………)
また巻き起こる囚人たちの唸り声。再び独りになったユイリーンであったが、先程よ
りはもう恐くなかった。牢からはいつでも出られる。もう少しの辛抱なのだ。闇黒に
差し込んだ光は彼女を強く勇気づけていた─。



「ユイリーンはどうだった?」
牢獄から戻ったヌーグに、テラスの上から声をかけてきたのは王妃アプリクシャだっ
た。
「お元気でしたよ」
ヌーグは人目を憚って、当り障りのない返事をする。
「大丈夫よ。誰もいないわ」
アプリクシャの喜悦に満ちた表情に、ヌーグは軽く咳払いする。
「お指図通りにしてきました」
「そう。ご苦労さま。これであの小娘を貶めることができるわ」
「左様で…。しかし、今度のは少しきつうございませんか?」
「きついなんてことがあるものですか。どうせ本格的な審問であの娘はボロボロにな
るのですから」
うっとりと酔うようなアプリクシャの表情。そこには自分よりも美しい姫に対する嫉
妬が裏返されていた。
「はやく上にあがっていらっしゃい………身体が火照ってしょうがないの」
「……はい。王妃さま。ただいま参ります!」
ヌーグは舌なめずりをしながら、テラスに駆け上がっていった。「誰もいない」。ア
プリクシャはそう言ったが、カーテンの奥が微かに揺らめいたのに、彼女がヌーグを
要求しなければ気が付いていたかもしれない。
【5】(了)


 
 





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