陵辱カタルシス─王国の行方─ 第4話

隠者


【4】
 大聖堂は、深い静寂に包まれていた。老司祭ウゾが仕切る礼拝が終わった後の黙祷
の時間である。
修道士、修道女のみならず、戦場にある夫や子供たちの無事を祈る母親たちや年齢や
怪我などにより自ら戦場に赴くことができなくなった男たちなどによって、聖堂の椅
子は埋め尽くされていた。誰もが無言。音もなく、燭台で燃える蝋燭が揺らめきさえ
しなければ、時間は止まっているようだ。
(…聖キュリアトスさま……お父さまを無事に…)
祈る者、その中にユイリーンの姿もまたあった。腕を胸の前で組み、聖キュリアトス
像の前にかしずく様子は、楚々としていじましく、聖女のそれを思わせた。

「神に捧ぐ黙祷を遮る、我らの不届きを許されたし!!」
突然、信念のこもった強い声が大聖堂内に響き渡る。静寂は一挙に崩壊し、辺りには
声の主を探してざわめきが起こる。
 聖堂の入り口をみたものの目には五人の男が映った。礼拝を取り仕切っていたウゾ
の目が急に細くなった。純白に仕上げた独特の法衣、抱え持った槍、そして揺らぐこ
とのない強烈な信仰に支えられ
た鋭い眼光…。宗教者ならばだれもが知っている存在。
「……い、異端審問官…」
神の教えにそむく者、聖キュリアトスを侮蔑する者、悪魔と結び、魔道を操る者…。
彼らの審問対象は単に悪魔だけではない。そして、強烈な信仰心に支えられた過酷な
審問は容赦なく、一切の妥協を許さない。かつて、教皇直属の神の尖兵として名をは
せた時もあったが、宗教と政治が露骨なまでに密着し始めると教皇は彼らの存在をか
えってうとまれ、いまとなっては日陰に追いやられていた。そのことが彼らを一層頑
なにさせてしまい、各地で行き過ぎた審問による、様々な『事件』を起こしているの
だが…。

「私は審問官ゾマフ…。通告を受け参上した」
ゾマフと名乗った審問官は、その鋭い眼光で、一同を一通り吟味しながら言う。その
強烈な殺気に、さきほどまでのざわめきは水を打ったように静まり返る。
「司祭ウゾと申すが、ここには審問官の世話になるような者は…」
ウゾの言葉を、ゾマフの槍が制す。
「…通告があったのだ。この城の姫が魔と通じているとな!!」
ゾマフの槍はひゅっと空を切り、その穂先でユイリーンを指した。再び起こるざわめ
き。
「…な、なぜ私が!?」
「そ、そうじゃ姫さまは断じて…」
「黙れぃ!! 悪魔とは常に巧妙なもの。たとえ、大聖堂で祈りを捧げ平気な顔をし
ていても、そやつのここまでは読めぬわ!!」
槍が再び空を切り、ユイリーンのドレスの胸部を器用に丸く切り抜いた。ぽっかりと
穴のあいたドレスの奥からは、姫の雪肌が覗く。
「きゃぁぁっ!!」
「ふん、らしくしおって…。この神聖なる大聖堂には黄色い声は不似合いだ! 外へ
引き立てよ!!」
ゾマフの声に四人の部下はすぐさまユイリーンを取り囲み、大聖堂の出口へ向かうよ
う強要する。ウゾを始めとする周囲の者は、その迫力に圧倒され、遠くからその様子
を眺めるしかない。

「さて、まずはその衣服を脱いでもらおう!」
大聖堂前。燦燦と太陽が輝く広場に連れてこられたユイリーンにゾマフが命じた。
「な、なんですって?」
ドレスの穴を両手で隠したままのユイリーンが非難の声を上げる。
「衣服の中には、持てる魔性を増幅させるものもある。審問は全裸にて行うのが通例
だ!」
「じょ、冗談じゃないわ! なぜ私が肌を晒さなくちゃならないの!?」
「審問を拒否することは許されないっ!!!」
ユイリーンの後ろから、ゾマフとは別の審問官が怒声を発する。
「…審問を拒否した瞬間、その者は悪魔とみなされる。…それでよいのだな?」
ゾマフの声は感情を押し殺し、冷たい。ユイリーンが「構いません」と答えれば、そ
の瞬間、五本の槍が身体を貫く用意ができている。
「く…。卑怯な…」
「…理解したか?」
ゾマフに対し、ユイリーンは激しく睨むことで答えた。だが、選択肢は一つ。ユイ
リーンは悔しさを滲ませた表情で、背中にあるホックを外す。上質の布地で仕立てら
れたドレスは上半身をしゅるしゅると滑り落ち落ち、白日の下、姫の上半身は一糸纏
わぬ姿を晒した。太陽光に晧晧と照らされる肌はいよいよ白く輝き、神々しいまでの
美しさを放つ。ただ、可愛らしい乳房だけは肌を薙ぐ風の冷たさのせいか、あるいは
興味深くやりとりを見つめる周囲の野次馬の視線のせいか、その先端を硬くこわばら
せている。
「……何を迷っている? 全部だ。手間を掛けるな」
ゾマフの声は容赦なく、酷い。ユイリーンは泣きそうになる気持ちを奮い立たせるよ
うに、大きく深呼吸すると、腰から下、姫としてのプライドを守る最後の砦をいよい
よ脱ぎ始めた。
「なるほど、悪魔に魅入られそうな身体だな…」
審問官の視点は悪魔の痕跡を見つけ出すため、ユイリーンを凝視している。その十個
の目の前で、ユイリーンのドレスは下腹部から太腿、脹脛へと落ちていった。女とし
て最も魔に狙われやすい内腿の付け根が現れると、審問官の目はさらに厳しいものに
変わった。
「……そ、そんなにみては」
広場という野外でとうとう全裸になったユイリーンを急激に襲う羞恥と不安。審問官
を制する声もか細く、弱弱しい。姫と審問官を取り囲む民衆の間からは卑猥な声も上
がり始めている。ただウゾだけはおろおろと、この愚行をなんとか止めなくてはと腐
心していた。

「ふむぅ…差し当たり悪魔の痕跡はないな…」
五人の審問官は、ユイリーンの肌に密着せんばかりに顔を近づけて、観察する。衆人
環視のもとで、男の目にじっくりとその裸体を眺められる恥ずかしさにユイリーンの
雪肌はどんどんと紅潮している。
「あ、当たり前ですっ! いくら探したって見つかるわけないわっ!」
一刻も早く、衣服をまとい、この場を立ち去りたい─。そう願うユイリーンの声は悲
痛だ。
「では、これではどうかな?」
ゾマフが一瞬、不敵な笑みを浮かべた。
「な、なにを?!」
戸惑うユイリーンの前に、ゾマフの槍が突き出される。次の瞬間、槍の先端にぽっと
蒼い炎が浮かび火は瞬く間に揺らめく火焔となった。
「この火は聖焔という…。魔を焼き、聖をたすく…」
ゾマフが槍を一閃させると、蒼い炎は一匹の蛇となって、ユイリーンに襲い掛かっ
た。
「きゃぁぁぁぁっっ!!!」
脹脛から、太腿、腰…。炎は聖女を犯す蛇のようにとぐろを描きながら、ユイリーン
の身体を這い上がっていく。
「熱いと思うから熱く、苦しいと思えば苦しい…。悪魔に憑かれていれば、その負い
目が苦痛を生むのだ…」
ゾマフは、既にユイリーンの細い咽喉までをもからみ取った聖焔を満足そうに眺めな
がら言う。
「…そ、そんな……」
喘ぐようなユイリーンの声。ゾマフの言うことは本当なのだろうか? だとすれば、
このチリチリと肌を焼かれるような痛み、そして徐々に呼吸を奪っていく締めつけは、
一体…。
「痛いんだろう? 苦しいんだろう? だったら泣け! 叫べ!」
聖焔は、既にユイリーンの顔をすっぽりと覆い、満足な呼吸を許していない。ユイ
リーンは、裸体を晒している恥ずかしさも忘れ、焔をはがそうと両手をばたつかせ、
身体をよじる。
「…くぅ…ンン…」
肋骨や咽喉を締め付ける聖焔の強烈な圧迫感。息が出来ない。身体が熱い。額には
うっすらと脂汗が滲む。
「さぁ! 楽になりたいだろう?! 認めろ! 私は悪魔に憑かれているので苦しい
ですと!」
「……あぁ……くっ…」
ゾマフの声が届いているのかいないのか、ユイリーンはその大きな瞳を目いっぱいに
広げる。薄れていく意識の中で、懸命に格闘しているのだろう。だが立っていること
が限界に達し、ユイリーンの膝ががくりと折れ、身体を地面に突っ伏す形となる。
「さぁどうした! 答えは一つだろうがっ!! 」
(…も、もう限界……)
ユイリーンが「助けて」「許して」と叫ぼうとした瞬間だった。

「黙ってみておればっ! 審問官! そのやり方は卑怯であろう!!」
衆人の中からウゾの声が響いた。ウゾは叫ぶと同時に手にした錫杖をゾマフ目掛けて
投げつける。
「くっ!」
ゾマフは飛んできた錫杖を槍で薙ぐしかなかった。おかげで聖焔は途切れ、ユイリー
ンの身体から蒼い炎が去っていく。
「姫さま、大丈夫ですかな」
ウゾは自らのローブを脱ぐと、咳き込むユイリーンにそっとかけてやる。
「司祭!! 一体なんのつもりだ!!」
怒りを隠さず、ゾマフが大きな声を上げながらウゾにつかみかかる。
「聖焔が、審問に使えるとは聞いたことがござらぬぞ」
「…む……」
押し黙るゾマフ。ウゾはゾマフの手をはらうと、落ち着いた口調で続けた。
「そもそも聖焔は、魔を封印する際に使う強力な攻撃術法なはず。その術法を使われ
れば、聖キュリアトスさまですら、苦悶の声をおあげになるだろう」
ウゾの指摘は事実だった。ゾマフら五人の審問官は激しい憎悪の目でウゾを睨む。異
端審問のやり口が衆人の前で暴露されてしまったのである。「善き者なら無痛、悪し
き者なら有痛」。そういっておいて、その者の善悪に関係なく、痛みの伴う仕打ちを
加える。仕打ちの痛みに善き者であすら「自分は悪しき者なのでは?」という疑念を
抱かせ、その者自身の口から「痛み」を告白させる─それが最近の審問官の手法だっ
た。
「さぁ姫さま参りましょう」
ウゾはユイリーンを抱き起こすと、群集をかき分け、大聖堂へ戻り始めた。
「……まて! まだ姫の潔白が証明された訳ではないぞ!!」
ゾマフの悔し紛れの叫びが飛ぶ。ウゾとユイリーンは振り返ることなく進もうとした
が、その先に立っていた兵士が突然、剣を交差させ、ユイリーンたちの行く手を阻んだ。
「な、なんの真似です! そこを通しなさい!」
今度はユイリーンが兵士を一喝する。だが兵士たちは無言のまま、ユイリーンたちの
背から、さらにその後ろへと視線を送った。
「………お通しする必要はないぞ。審問官殿の言う通りに、残念ながら姫さまが悪魔
と無縁であるという証明はすんでいない故な…」
声の主、そして兵士の視線の先に立っていたのは将軍ヌーグだった。
「はなはだ不本意ではあるが、証明がすむまで姫さまにはおとなしくしていただこ
う」
「ヌーグ…あなたいったい…」
驚きと戸惑いの表情をみせるユイリーンに、ヌーグは容赦のない命令を発した。
「……姫を投獄せよ!!」
【4】(了)




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