黄金の日輪*白銀の月2〜陰陽の寵賜〜
 第7話/奇蹟

Female Trouble


上空を覆っていた厚い雲が流れ出した。
 そして、広場の真上で巨大な渦を巻き始めたのだ。
 その様子に気がついた人々からざわめきが漏れた。空気が流れ、風が吹き始めた。
 媚香が吹き払われて、ほんの少し正気を取り戻したクレアとアンヌも、冷たい風が吹き
出したのに気づいて不安げに身を寄せて空を見上げた。

 その二人の視線の上、雲の渦の中央がみるみる広がり、遙か高い空が一点、顔を出した。
そしてその穴から、暖かな太陽の日射しがまっすぐ、柱のようになって王女姉妹を照ら
し出したのだ。

 その光の洗礼に、人々から驚きの声が沸き上がった。
 ついさっきまで、最悪の恥辱にまみれていた姉妹が、神々しいほどの光に包まれていた。

 使者たちが、何が起きたのかわからないままいぶかしげに立ち上がる中、どこからか妙
なる調べが響いてきた。この世のものとは思えない美しい音楽。リュートでも、ツィター
でもない、この世の楽器ではない、人の肉声でもない、まさに天上の音楽だった。
 その音色に重なり、突然、遙か遠くから何か絹を引き裂くような音が、徐々に突き刺す
ように響いてきた。

 その高周波音に人々が耳を押さえた刹那、広場の無人の一角にドカンッ!!と大音響と
ともに爆発が起きた。逃げまどう人々を尻目に、もうもうと巻き起こる土ぼこりの中から、
大魔導師シーマがまっすぐ広場の中央に足音荒く歩み来たった。
 あの遙か東の果ての地から超スピードで飛び来たり、減速もせずにこの悲劇の場に突っ
こんできたのだった。

「あれが、魔神を召喚したとかいう魔導師か?」
 使者たちが浮き足立った。
「なんの、あんな小娘に何が…」
 そううそぶいた使者の傍らで、何かが弾ける音とともに、「ぎゃああっ!!」と悲鳴を
あげた男が血しぶきを上げて転げ回った。王女姉妹の秘め事を記録していたあの漆黒の宝
珠が、シーマのひと睨みで魔力が暴走し、それを使っていた魔法使いの男の両腕ごと炸裂
させたのである。

「ひいっ!」
 使者たちが動揺した。
「こ、殺せ!」

 逆上した使者たちの命令に、ならず者の重装歩兵たちが一斉にシーマに襲いかかったが、
こんな連中を相手にするには、シーマの力は強すぎる。
 傭兵たちの厚く着込んだ甲冑が、シーマの魔力を受けて一瞬で白熱した。
「ぎゃああああああ!!!!」
 高熱に全身を焼かれた兵士たちが全員のたうち回る。

「自分たちのした事の意味がわかっているのね?それがどんな報いを受ける事になるのか
も」
 シーマが無表情に言い放った。

「シーマ殿!」
 それまで使者たちの雑言に必死で耐えていた神官長が駆け寄った。
「我らの力が足りず、姫さまたちを辱められたこと、お詫びのしようもございません。…
あれは、シーマ殿のお力で?」

 神官長が指し示す空を、シーマも見上げた。ここに来るまで必死になっていて、周りを
振り返る余地もなく一直線に突っこんできたシーマは、迂闊にも上空の異変に無関心だっ
た。

「…いいえ、あたしじゃないわ。…あれはいったい?」

「なんと!…では、まさかあれは!?」

 その瞬間、渦を巻いていた雲が黄金色に光り出した。そして、羽毛のような無数の光の
粒が、広場に舞い散ってきたのだ。光は眩く輝きながら、やがて茫然と座り込んでいた聖
王女姉妹を祝福するかのように包んでいった。

 そして、妙なる調べが高潮したと同時に、黄金の雲が一気に地上に向かって筋を引きな
がら舞い降りてきた。三つの雲の塊が、王女姉妹の周りを踊るように回転する。
 時間が止まったようなその光景を、シーマも、神官たちも、市民たちも、ただ見つめる
ばかりだった。

 その光の乱舞の中、クレアが立ち上がった。そしてアンヌもそれに続き、愛する妹と手
を取り合った。そして姉妹は、恍惚としながら光の渦の中で微笑んだ。それはまるで、光
の中から愛と美の女神が誕生したかのように見えた。

 光の雲の動きがゆっくりと停まり、姉妹を取り囲んだ。
 そして、人々は見た。

 光の雲が、背に六枚の純白の翼を広げた女神の姿になったのだ。
 そして、三美神はその手に輝く聖布を広げると、王女姉妹の裸身を包むようにそっと差
し掛けた。

 一枚の褥にくるまって、姉妹が肩を寄せながら、宙を舞い踊る三柱の女神たちを晴れや
かに見上げた。

「…これは、神の奇蹟だ…聖女アニュスの奇蹟の再来だ…」
 異教徒の迫害を受け辱めを受けた聖女に、神が天から聖衣を賜ったという遙か昔の伝説
を思い起こし、神官長が滂沱と涙しながら呟いた。

 さっきまで王女姉妹を見限りそうな心になっていた者までも含め、その場にいた市民全
員が、一人の例外もなく、その光景を目に焼き付けながら涙を流し、神々の御業に魂を震
わせていた。

 やがて三美神は名残惜しそうに二人から離れ、微笑みながら再び天に舞い戻っていった。
 その姿がもとの光る雲に戻ったと見るや、黄金の雲はまるで新星のように輝き、一気に
空のさらに上に向かって弾けるように消え去っていった。
 そして、もとの雲一つ無い快晴の青空がまぶしく地上を照らした。

 まだ夢見心地のクレアとアンヌに、いつの間にかシーマが近くに寄っていた。

「…アンタたち、よく耐えたわね。でもスゴイわ、まさか神の奇蹟を呼ぶほどとは思わな
かったわよ」
 そう言ってニッコリ笑いながら、姉妹に手を貸して藁の寝台から降ろす。

 シーマが姉妹をエスコートして市民の前に進み出る。
「…真実は今、みんなが見た通りよ!どう?アンタたちの王女さまをどうする?」

 神官長と全神官がその前に駆けだして、一斉に平伏した。
「神に仕える身でありながら真実を見抜けなかった愚かなこの身で、まさか神々の奇蹟を
目の当たりにする僥倖に巡り会えるとは思いませんでした。我らが王女は淫女どころか、
まさに殉教の聖女にふさわしいお二人!我ら一同、このような秘蹟に立ち会えました事、
身に余る光栄でございます!おそらくは市民ことごとく我らと同じ思いでございましょ
う!」
 そう言って神官長は、地を這って姉妹の足元に投地し、聖なる褥の裾から見える二人の
素足に忠誠の口づけをした。

 それと同時に、満場の市民たちは、ある者は涙ながらに同様に平伏し、ある者は歓声を
上げ、またある者は力の限り手を振った。一瞬でも姉妹に悪意を抱いてしまった者は、そ
んな事を考えた自分を呪って、血を流しながら地や石壁に額を打ちつけて懺悔しさえした。

「アーヴェンデールばんざーい!!!」
「クレアさま、アンヌさま、ばんざーい!!」
「神々の祝福あれ!!!」

 歓声は広場どころか、城下全てを轟かすほどに反響し、いつまでもこだました。

「静粛に!!」

 シーマがさっと手をかざし、人々の声を制止した。そして、静まりかえった広場に、起
き上がった神官長が二人に告げる言葉が響き渡った。

「…五柱の善神と、四大の精霊と、三鼎の大地と、二極の陰陽と、そして唯一の真理たる
愛の名の下に、未来の女王クレア・ボーソレイユ・デル・サン・アーヴェンデール聖王女
と、竜退治の英雄アンヌ・クレセント・デル・サン・アーヴェンデール護国公との婚姻を、
ここに改めて認めます」

 神官長の宣言に、割れんばかりの大歓声が再び地鳴りのように沸き起こった。紙吹雪が
舞い、祝福の花火が打ち上がり、無数のブーケが乱れ飛んだ。

 その光景に、クレアはアンヌの手をとって涙を流した。

「お姉さま、私、幸せです…」

「わたしもだよ、クレア…」


「さて、お仕置きタイムね」
 満足したシーマが、杖を手にして振り向き、なすすべもなく右顧左眄するばかりの各国
の使者たちに向きなおった。

「シーマ、彼らを殺したら、この国に不幸を招きます。だからこそ私たちも…」
 クレアがシーマを止めようとするが、シーマは嗤うばかりだった。

「だいじょうぶ、そんな事はわかってるって。でも、クレアちゃんとアンヌちゃんをいぢ
めることができるのは、飼い主のあたしだけなんだからね。その罰は…」

 そう呟いて、シーマは邪悪な笑みを浮かべながら杖をかまえて、怯える使者たちの顔を
覗き込んだ。

「…本当ならお前たちなんか魔物のエサにでもしたいんだけどね。でもそうしちゃったら、
せっかく我慢してお前たちの難題に耐えたあの二人の苦心をムダにしちゃうから、命だ
けは助けてやるわよ。だけど…」
 いきなりシーマが杖を掲げ、忌まわしき禁呪を唱えたとたん、使者たち全員の口の中に
無数の蛆が湧いた。

「むごお、うごおおお!」
 全員が止めどなく蛆を吐きながら転げ回る。

「ほら、とっととこの国から出て失せな!それと、あの二人の事を二度と貶めるような事
をその口から吐いてごらん!また今みたいに蛆を食らう呪いをかけたからね!キャハハ!」

 這々の体で蛆を吐きながら、使者たちが転がるように逃げ出していく。その後ろから怒
った市民たちが石を投げつけた。当たり所が悪かった者もいたようだが、そんなことはも
うシーマの知った事ではなかった。

「これじゃ、しばらくアンタたちの飼い主、辞められないわね」
 人々の祝福に包まれる姉妹に、シーマがそっと囁きかけた。
 恥じらいに顔を赤らめる二人を見て、シーマは愉快そうに笑った。




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