ネイロスの3戦姫


第8話その.2 エリアスとネルソンの出会い  

 宮殿の端にある庭園の一角で、2つの影が黒獣兵団の兵達の目を避けて物陰に隠れてい
た。
 ネイロス軍との戦闘を前にして戦意を漲らせている兵達を見ながら、2つの影はじっと
声を潜めている。
 「ウォン・・・」
 「しっ・・・静かに・・・今見つかったら全てが台無しよ。」
 そんな会話が物陰から漏れる。2つの影は身動きもせず、ただひたすら兵達の動きを見
計らっていた。そして、兵達が庭園の照明を消して退いて行くと、2つの影はキョロキョ
ロと辺りを見回し、物陰から移動し始めた。
 「もう大丈夫ね・・・出てきなさい。」
 漆黒の闇は全てを覆い隠していた。その暗闇を隠れ蓑に、宮殿へと向かっていく。
 
 「各自、捜索開始だ。全員で庭園内を隈なく探せ。」
 庭園の前からそんな声が響き、庭園に数人の男達が静かに入ってきた。庭園は暗いため、
彼等の姿ははっきりと見えない。
 携帯用ランタンの僅かな明かりを手がかりに、彼等は個々に分かれて庭園内を歩く。
 「隠れるには最適の場所だな。」
 そう呟きながら庭園の奥に歩み寄ってきた男が、石像の後ろに人の気配を感じて立ち止
まった。
 「誰かいるのか?」
 石像にランタンの明かりを向けたその時である。
 「ヴォッ!!」
 鋭い咆哮が響き、石像の背後から1匹の狼が飛び出してきた。
 「むっ。」
 素早く体を翻す男の手からランタンが落ちる。そして地面に飛び散った油に火がつき、
辺りを赤々と照らした。
 男の前に、唸り声を上げて睨む白い狼が立ちはだかった。
 「白い・・・狼、お前は・・・」
 「グウ・・・」
 不意に男と狼の動きが止まった。彼等は顔見知りであるかのように、互いを見ている。
 手に持った剣を収めようとした男の横から、何者かが飛びかかってきた。
 「でやあっ!!」
 男を目掛け、警棒の連打が繰り出された。
 「うおっ!?」
 鋭い連打が幾千もの牙と化して男を襲う。一瞬怯んだ男は、剣で攻撃を弾いて退いた。
 「今の技はラ・バーズ家の最大奥義・・・サウザンド・ファング。」
 男は突如現れた人物を見て声を詰まらせた。
 その人物は若く美しい女であった。プラチナブロンドのロングヘアーをなびかせるその
女性の姿が地面で燃え盛る炎に照らし出される。
 ボロを身にまとったみすぼらしい姿ではあるが、その精悍な顔からは覇気が漲っていた。
 「私の攻撃をかわすとは・・・やるわね・・・」
 「君は・・・いや・・・あなたは・・・エ・・・」
 慌てる男に、美しい女性は手にした警棒を構えて突進してきた。
 「ま、待てっ、私は味方だっ。」
 「問答無用っ、」
 再び警棒の連打が男を襲った。
 「う、うおおっ!!」
 男の全身に警棒の連打が浴びせられる。だが、男は剣を振るう事も無く、警棒の連打に
身を晒した。
 「エリアス姫っ、私はデトレイド民兵軍司令、ネルソンですっ、あなたを・・・助けに
参りましたっ。」
 叫ぶ男に、美しい女性・・・エリアスはハッとして攻撃の手を止めた。
 「ネルソン?デトレイド軍の?」
 エリアスは、ライオネットから聞いたデトレイド軍総司令官の名前を思い出した。ライ
オネットを助けてくれたその人物が、ダルゴネオスにクーデターを決起しようとしている
と言う事も。
 エリアスは警棒を収めて男に向き直った。
 「あなたが・・・ライオネットを助けてくれたという、ネルソンなのね。」
 エリアスの声にその男・・・ネルソンは恭しく跪きエリアスに一礼した。
 「はい、その通りです。私の事をライオネット君に聞いたのですか?」
 「え、ええ・・・あなたがダルゴネオスに反旗を翻そうとしている事もね。」
 エリアスは半信半疑ながら、ネルソンの顔を見た。その眼は30代前半の若さでありな
がら、勇猛さと慈悲を兼ね備えた風格ある眼をしている。
 ネルソンの眼を見たエリアスの心に、何かが過った。
 それは、今は亡き父王、エドワードの若き日の姿であった。
 似ているのだ、勇ましく優しい父の眼に・・・
 「父上・・・」
 そう言いそうになったエリアスは、暗闇から数人の男達が駆け寄ってくるのに気が付い
て身構えた。
 「司令ーっ、ネルソン司令っ、どうなされたのですか!?」
 「みんな喜んでくれ、エリアス姫が見つかったぞ。」
 「本当ですか・・・おお、エリアス姫っ、ご無事で何よりであります。」
 ランタンの明かりに映し出されたエリアスを前に、一同は膝をついて一礼した。
 「あ、あなた達は?」
 「ご安心をエリアス姫、この者達は私の部下です。皆、仁義熱き猛者ぞろい、どうか我
等と共にネイロスにお戻りください。」
 「ネイロスに?待って、今ネイロスは黒獣兵団に攻撃されてるんじゃあ・・・」
 「大丈夫ですよ。」
 驚くエリアスに、ネルソンは今までの経過を詳しく話した。
 「それでは、あなた達がネイロスを助けてくれたのですね。ネイロスの民を代表して御
礼を申します。本当にありがとう。」
 「いえ、我等もネイロスの方々に助けていただきました。彼等の助力無しには黒獣兵団
を撃破する事は出来ませんでした。感謝しなければならないのは私達ですよ。」
 ネルソン始め、一同はエリアスに礼を述べた。
 「ウオン。」
 エリアスの脇から姿を見せたアルバートが、ネルソンの前に座って尾を振った。
 「おお、アルバート、元気そうだな。」
 「クーン・・・」
 さっきは悪かった・・・アルバートは、ライオネットと自分を助けてくれたネルソンに
襲いかかろうとした事を詫びた。
 「いいさ、気にするな。」
 ネルソンはそう言いながらアルバートの頭を撫でる。
 「まあ、アルバート。信じられないわ、アルバートが見ず知らずの人にこれほど懐くな
んて・・・」
 エリアスは笑った。久しぶりに微笑むネイロスの女神に、ネルソン始め救出隊の一同も
笑顔を見せた。
 「ではエリアス姫、我等と一緒にここから逃げましょう。」
 ネルソンに言われたエリアスは、救出隊の顔を見ながら、申し訳なさそうに目を伏せた。
 「ありがとう皆さん・・・でも私は逃げるわけにはいかないんです。妹が・・・エスメ
ラルダとルナがまだ捕らえられているんです。あの子達を助けに行かなければ・・・」
 「お待ちを、我等の仲間が妹君を助けにいっております。ネイロスの民達もあなたの帰
りを待っているのです。どうか我等と一緒に・・・」
 頭を上げたホーネットがそう言ったが、エリアスは静かに首を振った。
 「あなた達の御好意には感謝しております。でも、これは長姉である私の使命なんです。
誰が何と言おうと、私は妹達を助けに行きますっ。止めないでください。」
 その声は有無を言わさぬ強い意思が込められていた。困ったような顔をするネルソンと
ホーネットは、フッと溜息を付いて笑った。
 「判りました・・・あなたがそう言われるのでしたら仕方ありません。その代わり、我
等も御一緒させていただきます。」
 一同はそう言って頷いた。ネルソンの部下達も同じ気持ちだ。
 「ありがとう・・・」
 そして立ちあがった彼等はエスメラルダとルナを助けるべく庭園を出ようとした、が・・
・
 庭園の入り口を見た一同は、何者かが入り口に立っている事に気付いた。
 「グフフ・・・茶番劇はそこまでだ、アホども。」
 入り口に立っている不審人物は、不敵な笑いを上げてネルソン達を見据えている。
 「何者だ、お前はっ!?」
 ネルソンと部下達は一斉に剣を抜いて身構えた。
 「てめえ等に用はねえ、用があるのは・・・エリアスお前だっ!!」
 その男はそう叫ぶと、傍らから両手を縛られた年若い娘を引っ張ってきた。その娘はエ
リアスと共に黒獣兵団の慰み者として囚われていた娘であった。
 「あひっ・・・た、たすけて・・・」
 泣き叫ぶ娘を捕まえているのは、エリアスに逆恨みを抱く特攻隊の小隊長であった。そ
の顔を見た途端、エリアスの顔から微笑みが消える。
 「あなたは・・・その手を離しなさい卑怯者っ!!」
 「フン、卑怯者だ?ほざきやがれ、少しでも抵抗してみろ、こいつの命はねえぞっ。」
 「うっ・・・」
 声を失ったエリアスを見てニヤリと口元を歪める小隊長。
 「何のつもりかは知らんが、たった1人で我々と勝負するつもりか?痛い目にあいたく
なければ、その娘を離せ。」
 ネルソンの言葉に、小隊長は目を吊り上げた。
 「その言葉、そっくり返してやるぜ。その頭数で俺たち黒獣兵団に歯向かえるもんか、
俺が一声かければ仲間が集まってくる。そうなりゃ、お前等全員イチコロだ。そうなりた
くなかったら大人しくエリアスをこっちによこせ。さあ早くしやがれっ!!」
 「くそ・・・」
 娘の顔にナイフを付きつけ、唾を飛ばしながら喚く小隊長に、ネルソン達は悔しそうに
唇を噛んだ。
 「わかったわ・・・あなたの言う通りにするからその子を放して。」
 ネルソン達に守られていたエリアスが前に出てきた。
 「エリアス姫っ、いけませんっ。」
 「これは私の問題です。あなた達は手を出さないで。」
 うろたえる救出隊達に振りかえる事無く、小隊長の前に進んだ。
 「フフン、観念したかい?エリアスちゃんよぉ。この前と同じだ・・・お前は手も足も
出ないまま俺様にいたぶられるのさ〜。」
 陰湿に笑う小隊長は、手にしたナイフの先端を娘の目に付きつけた。
 「あなたのふざけた顔には反吐が出るわね。いたぶりたいのは私でしょう?その子は関
係ないわ。」
 「ああ、関係ねーぜっ!!」
 小隊長は憎しみを込めてエリアスの腹を蹴った。
 「あぐっ。」
 地面に転がったエリアスの顔を踏みつけると、飛び出そうとしたネルソン達を睨んだ。
 「動くんじゃねぇっ、クソども!!」
 小隊長の怒声に、ネルソン達は足を止めた。
 「アホめが、まんまとひっかかりやがって、すぐに仲間を呼んでやるぜ。」
 勝ち誇った小隊長は、背後から近寄ってくるアルバートの姿に気がついていない。
 「ヴオンッ!!」
 油断した小隊長目掛け、アルバートが襲いかかった。
 「んわっ!?ぎゃああっ!!」
 突然の事にナイフを落として転倒する小隊長。
 「この・・・」
 飛び起きたエリアスは、拳を振り上げて小隊長の顔面にパンチをお見舞いした。
 「いまだっ。」
 倒れた小隊長に、ネルソン達が一斉に動いた。人質の娘がホーネット達によって助けら
れる。
 「ひえっ。」
 ジタバタと足掻いた小隊長は、ネルソン達を振り切って逃げようとした。
 「逃がさないわよっ。」
 「あわわ・・・」
 小隊長を取り押さえたエリアスは、警棒を握り締め怒りを込めて殴りすえた。
 「いてえ・・・!!」
 「よくもネイロスを、よくも私をっ、よくも妹達をーっ!!」
 声の限りに叫んだエリアスは、すごい形相で小隊長をメッタ打ちにする。全ての怒りと
憎しみを込め、手にした警棒が血で真っ赤に染まるまで小隊長を殴った。
 「ひいいっ・・・やめ、やめてくれ・・・ゆるして・・・」
 「許すもんかっ、思い知れーっ!!」
 泣きながら許しを請う小隊長に、容赦ないエリアスの怒りが叩きつけられる。
 「もういいっ!!やめなさいっ・・・それ以上殴ったら・・・」
 「わああーっ、くたばれっ、クタバレーッ!!」
 半狂乱になっているエリアスは、ネルソンの静止も聞かず、なおも警棒を振りまわした。
 「エリアス姫っ!!」
 バシッ
 エリアスの頬を、ネルソンが平手打ちで叩いた。
 「う・・・?」
 頬を押さえ、ヘナヘナと地面に尻餅をついた。
 我に返ったエリアスは、自分の手が血まみれになっている事に気が付いた。
 「わたしは・・・いったい何を・・・」
 自分が何をしようとしていたのか、地面に転がってうめいている小隊長を見て驚愕した。
怒りと憎しみに任せて小隊長をメッタ打ちにした事実が、彼女に深い悲しみをもたらした。
 「そんな・・・」
 呆然とするエリアスの前に、ネルソンが深く頭を下げて謝罪を示している。
 「お許しくださいエリアス姫、我を失っているあなたを止めるにはこうするしかありま
せんでした。あのまま止めなかったら、引き返せない過ちを犯すところだったんですよ。」
 「私は・・・」
 エリアスの目に涙が流れる。そんな彼女の涙をネルソンは指でそっと拭った。
 「もう泣かないで、あの状況では誰でも同じ事をしましたよ。私にはわかります、あな
たがどれだけ妹君を愛しておられるかを。その妹が酷い目に会わされたんだ、怒り狂うな
と言うほうが無理です。」
 ネルソンの言葉に、エリアスは静かに頷く。
 「う、う〜ん・・・」
 不意に漏れた呻き声に、ネルソンとエリアスが振りかえった。
 地面に倒れていた小隊長が、顔中血だらけにして起きあがってきたのだ。
 「貴様っ。」
 ホーネットが、起きあがった小隊長を持ち上げてネルソンの前に突き出した。
 「ネルソン司令、こいつはどうしますか?」
 力無くうなだれている小隊長を見ていたネルソンは、彼の胸倉を掴んで睨んだ。
 「おい、お前は助けてやる、一応な。でも今度ふざけた真似をすれば只では済まんぞ。
わかったら我々の前からとっとと消えろっ!!」
 「ひっ、わ、わかりましたあ〜。」
 ネルソンに罵声を浴びせられた小隊長は、ヨロヨロと歩きながら庭園の外へと逃げてい
った。
 「さあ、我々も早くここから出よう。おいジョージ、あの娘さんを安全な所まで案内し
てやれ。」
 「はいっ。」
 ネルソンに指示された部下の1人が、人質の娘を安全な場所まで連れていった。
 「ネルソン・・・私は逃げませんよ。妹を助けに、う・・・」
 よろけるエリアスの肩をネルソンが掴んだ。
 「わかっていますよ。さ、私の背中に乗ってください。妹君の所までお連れ致します。」
 そう言うと、体をかがめて背中を向ける。
 少しためらっていたエリアスだったが、疲労の極みに達している今はそうも言っていら
れなかった。
 「じゃあ・・・失礼するわ。」
 ネルソンの背中におぶさったエリアスに、ホーネットが黒いロングコートを被せる。そ
の格好は、一見すれば負傷兵を運んでいる様にしか見えない。
 「じゃあ行きますよエリ・・・エリアス姫?」
 ネルソンに背負われているエリアスは、緊張の糸が切れたのであろう、スヤスヤと眠り
込んでいた。
 「可愛そうに・・・よっぽど疲れてたんですね。」
 「ああ。」
 ネルソンとホーネットは眠っているエリアスを起こさぬ様、声を潜めて頷きあった。
 エリアスは夢を見ていた・・・
 幼い頃のエリアスが、今は亡き父と母におんぶしてもらっている夢であった。
 それは彼女の最も古い記憶だった。
 幼かったエリアスは、いつまでも両親に甘えていたいと思っていた。でも、王位継承者
という責任を実感した彼女は、妹達に両親の背中を譲り、誰にも甘える事無く生きてきた
のだった。
 そんなエリアスが、ネルソンの温かい背中に深い安らぎを見出していた。両親以外に甘
える事の出来る背中、頼れる背中・・・長く忘れていた安らぎであった。
 母に歌ってもらった子守唄を口ずさみ、父と同じ匂いのする背中に身を預け、エリアス
は束の間の安息に浸っていた。




次のページへ BACK 前のページへ