魔戦姫伝説異聞〜白兎之章〜


 白い少女 第32話 
Simon


「――うりゃ!」

わざと大げさな動きで、男がリンスに飛び掛る
ガチガチに硬くなっていたリンスが、弾かれるように男の腕の下を潜り抜ける
そのまま一気に反対側の壁まで逃げようとして――ギクッ足を止めた

既に黒くなりつつある染みの真ん中に、膝立ちのまま上体を突っ伏しているのは
――
逃げないといけないのに、目が吸い寄せられて、足が動いてくれない

「――つかまえちゃうぞ」
「――ひゃう!?」

突然うなじに吹きかけられた生暖かい息に、リンスは文字通り飛び上がった

――あっ!――いやだっ!!

足が付く瞬間、リンスはぎゅっと目をつぶって――

――ニ…チャ…

「――いやああぁぁぁぁ!!!」

叫んでも消せない、爪先の粘ついた感触――

「――オラ」

――のしっ

――ニチャ……ニチュ……

伸し掛かってきた重さに、足の裏全体に擦り付けられた

「――あ……あぁぁ……――あああーーー!!」
「――うわっ――こいつ!」

夢中で男の腕を掻き毟って、泣きながら飛び出した

後はもう立ち止まることはできなかった
一瞬でも止まれば、あの感触を思い出してしまう

「速ぇ!――おい、そっち回れ!」
「くっ――この!」

息を弾ませて、小柄な体を目一杯生かして走り抜ける

全身がもう汗でびっしょりだった
薄い寝着が汗で張り付いて、息が苦しい――喉が痛い

足が震え、膝が砕けそうになる――疲れからか恐怖からなのか、リンスにも分か
らなかった

――ユウナぁ――ユウナ…たすけて

どんなときでも傍にいてくれるはずなのに――体はこんなに疲れて、こんなに熱
いのに――どんどん心が寒くなっていく

「――――あっ!」

涙で目が曇ったから――目の前の男をかわそうとした瞬間、足がもつれた

「捕まえたーっ!!」
「きゃあぁぁぁ!」

抱きかかえられたまま、メチャクチャに振り回される

「――あっ……きゃ!――あぁ!」

ぐるぐる振り回されて――伸し掛かられて――ぎゅっと抱きしめられて

――やめっ――いき……くるし!

「――おらぁ!」
「きゃっ!?」

突き飛ばされて――別な男の胸に抱きとめられる
立ち昇る男の汗の臭いに、顔を背けようとしたが、後頭部に回された腕がそれを
許さない

「――ぅ……うう〜〜!」

何とか潜り込ませた手を男の胸について、何とか隙間をこじ開けようと――

――ム……ギュウッ

「――あ…あああっ!」

込められた男の力に、中途半端に伸ばしかけたリンスの手が震える
嬲られてる――分かっていても、抵抗をやめることはできない

疲れても、泣いても――ぜったいに、あきらめないから

「――だ…から!」


―――ユウナ……はやく…きて!


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