お姫様舞踏会2(第二話)
お姫様舞踏会2

 〜新世界から来た東洋の姫君〜
作:kinsisyou
     到着の約4時間前、旧世界の大空を悠然と飛ぶ巨大な翼。その翼には六発の発動機が唸りを上げ、四翅の巨大な二重反転プロペラが軽快に回る。巨大な翼はざっと100mかそこらはあるだろう。その翼が浮き上がらせている胴体も80m近くはありそうだ。
 その巨大な翼の名は、『富嶽』(フガク)という。日本皇国が誇る巨大爆撃機として新世界でその名を知らぬ者はいない。これを敵とする者は巨大な機体が発散する威厳と、比類のない戦闘力に圧倒され畏怖せずにはいられないだろう。日本最大の航空機メーカーである中島飛行機と皇室直属の研究機関である航空技術廠が総力を挙げて開発した日本航空技術の結晶でもあった。
 当初は新開発のレシプロエンジンを搭載する前提で開発が進められたのであるが、中島飛行機が未来のエンジンとして研究開発していたターボプロップエンジンの開発が(中島飛行機の技術者達が)あまりにも優秀なため予想以上に順調に進み実用化、そして量産化の目処が立ったことから途中でターボプロップエンジンを搭載する方針に変更、その結果これまでのレシプロエンジンとは比べ物にならない高性能を得ることに成功し、最高速度は実に820km/hと、当時の最速クラスのレシプロ戦闘機並のスピードを獲得した。
 巨大な機体が当時としては目も眩むような高速で飛行する光景は圧巻だったであろう。
 その富嶽は現在旧世界の高度15000mを飛行していた。目的地ミッドランドまであと2500kmほど。現在巡航速度である600km/hで飛行しているのであと4時間くらいで到着するだろうというわけである。
 富嶽は通常の航空機の5倍以上の高度(当時の旅客機は殆どが高度3000m辺りを飛行していた)を飛行するのだが、これは富嶽に搭載されているターボプロップエンジンにとって成層圏を飛行するほうが最も燃費効率が高いからである。
 この富嶽は皇室専用機で、専用のコールサインを持つほか銀色の外見に日の丸と尾翼には群青色地に金で皇室の紋章である十八文菊が入っている。内部はその巨大さを活かして全室二階建、主に西陣織と漆塗という日本古来の伝統工芸彩られ豪華絢爛な内装を誇った。陛下専用の寝室を始め、皇族、ゲスト用の寝室、和洋折衷のダイニングルーム、大理石で飾られたシャワールームと洗面室、化粧室やバーラウンジ、乗員や侍従などの待機室なども完備していた。調理室も完備しており本格的な食事を味わうことも可能だった。といっても機内は火気厳禁のため当時最新の調理器具であった電子レンジや電気オーブン、電熱調理器などが使われていた。
 それだけでなく国の各中枢機関との通信設備、暗号機、敵機などの望ましからざる勢力を探知するためのレーダー、チャフなどの防御面も充実しており、さながら空飛ぶ司令部としての顔も持っていた。また、与圧設備や発電専用のエンジンを搭載している。仮にこのエンジンが故障してもどちらか残った1基でのバックアップが可能なほか直結にしてメインエンジンから供給することも可能になっているなど二重三重の安全策が採られている。
 加えて空中給油能力も有しており、最大72時間の連続飛行が可能であった。
 富嶽はまさに当時の日本の航空機技術の優位性を世界に対して誇示する最たる象徴であろう。富嶽が初めて姿を見せた時、世界初の六発の巨人航空機に世界の航空関係者は一様に衝撃を受けた。その衝撃の凄まじさは、当時世界的に知られた写真誌『LIFE』の表紙を飾ったことからも窺い知れる。普通LIFEの表紙を飾るのは人物であるが、それ以外で表紙を飾るという稀なケースとなった。
 その皇室専用機に乗り込んでいるのは今回舞踏会に参加する閑令徳院宮家の長女愛璃姫、次女綾奈姫、三女有璃紗姫、四女飛鳥姫と他には彼女たちに仕える侍女と女官が少々である。
 そのうち三女の有璃紗姫は操縦室にいた。彼女はこの世で数少ない飛行機を操縦できる姫君としても世界的に知られていた。寧ろ容姿の美しさよりもこちらの事実のほうが世界の王室関係者や貴族の間では有名である。操縦席でこの巨大な富嶽を事も無げに操縦しながら有璃紗姫は操縦室の外を流れる景色を見つめ、ふと物思いに耽っていた。
「久々の旧世界ですわね……皆さんどうしてるかしら」
 ギネビア姫から舞踏会への招待状を受け取ったのが概ね一ヶ月前。日本は未だ戦時下ではあったがここ最近は戦局も比較的安定しており所謂平穏期であった。この先また大攻勢を予定しているのだが、陛下の粋な取り計らいによりしばらく骨休みせよと舞踏会への参加を促された。そういえばここ1年ほど碌に休んでいない。そして京都から深夜小型輸送機で北海道へ飛び、そこで皇室専用の富嶽に乗り込み出発したのが早朝のこと。そこから極秘の飛行ルートを飛び続け新世界と旧世界をつなぐゲートを潜り旧世界へ入って既に4時間。ここまで概ね10時間を超える飛行であるが、もとより富嶽に乗り込んでの長距離ミッションが多い有璃紗姫にとっては慣れたものであった。因みに皇室専用機の飛行ルートは極秘である。
 と、物思いに耽る有璃紗姫に隣の操縦席にいるパイロットから労いの声をかけられた。
「姫さま、そろそろ客室にお戻りくださいませ。ここからは我々が操縦しますので」
「じゃあお言葉に甘えて、後はよろしくね」
 姫君に労いの声をかけたのは有璃紗姫に仕える数多い侍女の一人で筆頭侍女でもある近衛 若菜少将であった。因みに近衛公爵家は皇族を除けば日本で最高の名家とされ、近衛家から皇室に嫁いだ者も少なくない。加えて日本の華族は諸外国の貴族とは比べ物にならないほどステータスが高く、近衛家は世界でも五指に入る名家でもある。
 日本最高の名家と詠われる近衛家からの空軍入りは創立してまだ日が浅く軍部でもその評価や地位がようやく確立し始めたばかりの空軍にとっても軍部での地位を磐石なものとする上で決して悪い話ではなかった。
 若菜も幼少期から有璃紗姫に仕え、当時諸事情で何かと親の監督が甘くなりがちだった有璃紗姫にとっては良き遊び相手であり、良き理解者であり、そして良き指導者でもあった。というのも若菜はともすれば浮世離れしがちな皇族や華族にあって珍しく庶民的な道理も弁えた常識人としての一面もあり駄菓子屋などでの大人買いを注意するなどワガママに育ちがちであった有璃紗姫を諫める役目も担っていたのだ。今では空軍将校の一人として直言も憚らない性格であるが有璃紗姫もそんな彼女を買っていた。
 長い付き合い、互いにわかっているのでそれほど言葉は必要ない。有璃紗姫は若菜ほか自分に仕えている侍女たちに操縦室を委ね後にした。有璃紗姫の侍女には無論身の回りの世話をする通常の侍女もいるが、このように航空機の操縦を任せられる者もいた。
 操縦室から乗員用の次室を経て螺旋階段のある通路を介しラウンジに足を踏み入れるとそこではすっかり寛いでいる姫君と、甲斐甲斐しく世話を焼く女官の皆さん。因みに女官は平安風装束である。
「皆寛いでいるわね」
「思い切り楽しませてもらってるわよ。にしても成層圏は景色が変わり映えしないのが難点ね」
 そう言って女官からグラスを注いでもらっているのは綾奈姫であった。綾奈姫は陸軍総司令官であり伝統ある陸軍ということもあって皇室でも花形的存在の一人である。皇族も人間なので花形に行きたいと思うのは当然の心理だろう。なので軍に志願する皇族のうち陸軍は特に志願者が多かった。その激しい競争を勝ち抜いて総司令官の座に収まっているのだから例え閑令徳院宮家という武門の名門の出自であることを考慮しても並大抵の姫君ではないと言える。
 他には控えめな螺鈿細工の施された漆塗のテーブルを挟んで真向かいに座っている愛璃姫も空の旅を満喫していた。そして長女として綾奈姫を嗜めることも忘れない。
「まあ、綾奈ってば、そんなことを言ってはいけませんわ。今こうして成層圏の旅を楽しんでいるのは我々だけなのですよ。こんな贅沢な旅はありませんわ」
 尚、成層圏を飛行しているときも富嶽は与圧されているので地上と何ら変わらない快適な旅が可能だ。でなければ零下50度以下の極寒と極めて薄い酸素濃度のため人間は死んでしまう。尤も、地上と同じ1気圧だと機体にかかる負担が大きいため人間が平常でいられるギリギリの気圧である0.8気圧である。これは高度2500m付近の気圧と等しい。このため慣れていない者は耳に痛みを感じるのでその際飴玉を口にすることを薦められる。このため富嶽でも各所に自由に取れる飴玉の籠が設置されている。なので姫君や女官も時折飴玉を口にする。有璃紗姫は既にこうした環境には慣れているので別段飴玉を口にしなくとも平気だ。
 愛璃姫から少し離れたところでは末っ子の飛鳥姫がお菓子を摘みながら侍女とトランプで遊んでいる。因みにこの侍女の名は宮脇 花代(みやわき かよ)。宮脇男爵家の令嬢で実家は写真屋をしており日本における写真屋の先駆者の一人として知られ、西洋の豪邸と見紛う写真屋とその隣に併設された豪華な写真館は一見の価値があり。写真館には皇族や華族、歴史上の有名人を始め諸外国の王族や貴族、有名人などのVIPの写真が数多く陳列され貴重な資料ともなっている。無論写真屋は一般の人も利用可能で、主に入学式や成人式など人生の節目となる時期を記念しての撮影依頼が多かった。
 実は花代は偶然というか奇跡というか、顔立ちは言うに及ばず体格、髪質まで飛鳥姫と瓜二つであった。数少ない違いといえば声と瞳の色(飛鳥姫は右蒼左翠のオッドアイなのに対して花代は両目ともアンバー)、そして聡明な飛鳥姫に対して花代はドジッ娘であることだった。一方で、世界的にもその名を知られた写真家である父親の影響を受け写真家としての腕前はプロ級であり皇室の御用写真家の一人としての公認も受けており、このため特に飛鳥姫の行くところには必ず彼女が同行する。カラーコンタクトをして大人しくしていれば完璧な影武者としても通用するであろう。
 プロの写真家としての父親の才能だけでなく、カメラのフィルムを入れ忘れるなど日常茶飯事であった父親のドジ振りも遺伝してドジッ娘になってしまったと考えられる。今回は旧世界での舞踏会の様子を写真と映画フィルムに収めるため同行しており、写真のほうは写真帖としての出版が決定しているほか再来月発行されるグラビア誌の先駆的存在とも言える日本工房制作の月刊『NIPPON』にも一部が掲載される予定で、このため当時としては大変貴重でまた高価であったカラーフィルムが使われる。
 余談ながらこの皇室専用機は最高機密に属するため撮影禁止である。

 (※花代ちゃんの設定についてはムーンライズ様から御提供頂きました。この場を借りて篤く御礼申し上げます)

「さあ、花代さん、貴方の番ですわよ」
 などとババ抜きを楽しんでいる飛鳥姫。あとは如何にしてババを引かせるかであった。勝利は目前である。しかし……
「はあい、それでは引かせていただきますよお〜」
 といって迷うことなく引いて、飛鳥姫の手にはババが残ることに。これには飛鳥姫も唖然。何故なら飛鳥姫はババ抜きで姉たちを相手に負けたことは一度もないのだ。
「な、な、何で私がこのババ抜きで負けるのおお〜?」
 そして敗因をさり気なく指摘する花代。
「姫様、だって残り二枚になったときババを僅かに上に出して私に引かせようとしてたではないですか〜」
 何と、飛鳥姫自身でさえ気付かなかったクセを花代は見抜いていた、というより邪推がなく何処か純粋な面のある花代には僅かな変化が見えてしまうのであろう。このためババを引かせようと見えてしまったのかもしれない。ドジッ娘恐るべしである。その様子をクスクスと笑って微笑ましく見ている有璃紗姫。
 コーヒーやお菓子で姉妹としばらく歓談していた有璃紗姫だったが、到着1時間前となり再び操縦室に戻る。
 姉妹たちの悲喜交々の中、間もなく着陸態勢に入ることがスピーカーを通じて知らされる。その知らせを受け座席に着いてシートベルトを締める皆さん。
 高度を下げていると、対地レーダーに何か大きな反応があった。それを見て何かを確信する有璃紗姫。
「これは位置からしてオランかグランディアの船ですわね。ミッドランドへの到着は距離からして帆船の速度も考えると明日の早朝あたりが妥当ですわ」
 このとき帆船の位置はまだミッドランドから100km前後は離れている。帆船の速度は大体平均で7〜8ノット前後。となると現在夜の帳が下りたばかりなので半日後にあたる明日の早朝というわけだ。富嶽なら僅か10分の距離だが、帆船では12時間前後。これが新旧世界のギャップであろう。因みに舞踏会の開催はその翌日からであった。
 
 空港側へ間もなく到着することを告げる有璃紗姫。
「こちらライジングサン211(皇室専用機のコールサイン)。ミッドランド空港へ、あと10分弱で到着する。滑走路の状況を報告せよ」
 すぐさま空港側からの返信。
「こちらミッドランド空港管制室。今貴国の機影を確認した。現在滑走路の状況は良好。天候は晴れ、雲一つなし、西方面から風速2mの風が吹いているが着陸には支障なし、こちらはいつでも受け入れ可能」
「了解」
 やがて10分が経過、操縦席からは光に浮かび上がる滑走路が見える。富嶽が離着陸に必要とする滑走距離は最低でも5000m。安全を考えれば最低でも7000mの距離が必要であった。このため旧世界は滑走路の用地確保に苦労することが多かった。ミッドランドも荒地となっていた広大な僻地を王室領としてそこに滑走路と運用に必要な設備を費用は日本が負担する形で建設した。その際大量の農民が臨時動員されたのだが主に農閑期の仕事であったため農民にとっても貴重な臨時収入であった。
 滑走路建設と併行して滑走路を運営するための人材育成も行われ候補者が日本に送られて教育を受けた。魔法が主体の旧世界にあって近代設備を扱う空港職員の仕事はある意味憧れの的でもある。
 滑走路を確認するかのように有璃紗姫は富嶽を緩やかに旋回させ、そしてアプローチに入る。ランディングギア、フラップ、エルロンは全開、慎重にスロットルを絞りながら機首上げ角を浅い角度に保ったまま失速ギリギリのスピードで滑走路に文字通り滑るように進入していく。その際視界には滑走路が巨大な壁のように見える。実は着陸が難しい理由の一つに、この壁のように迫る滑走路がある。このためぶつかるのではと錯覚を覚え初心者のうちは恐怖してしまう。パイロットの誰もが通る最初の関門だ。尤も、慣れても着陸は緊張の一瞬だ。というのも今昔を問わず航空機事故では離陸時に次いで着陸時の事故が多いのである。
 緊張の一瞬も無事終えて見事着陸した富嶽は管制塔の指示に従い指定された駐機場に向かう。
 空港の周辺施設は景観を壊さぬよう管制塔は城の見張り台に見られるような石造り、ターミナルビルも宮殿を思わせるような作りになっている、。
 地上作業員に誘導され駐機場に停止した富嶽。すぐさま馬が牽引するタラップ車が扉に横付けされる。この辺が旧世界らしくて面白い。にしても巨大な飛行機だ。周囲の職員は圧倒されつい見上げてしまう。手空きの職員もその様子を見守っている。
 扉が開かれ衛兵二人が立ち並ぶ中、登場したのは4人の姫君。日本という異国の地から来た姫君の容姿の美しさに居並ぶ者は息を呑んだ。所謂典型的な美しさではなかったが、特有のエキゾチックな美しさがあった。
 グランドパレスでギネビア姫がお待ちになっているとの衛兵からの報告を受け、すぐさま向かう準備。後部貨物室の扉が開くと、現れたのは旧世界の者が馬なし馬車と呼ぶ所謂自動車であった。多分姫君が乗り込むと思われるリムジンと、それをエスコートし侍女や女官が乗り込むセダン、そしてもう一台、とても変わったシルエットの自動車が1台。これはどう見ても2人しか乗れそうにない。更に、後部からはとても変わった形の馬車が一台。それも銀色に輝いている。
 リムジンには姫君3人と随行する侍女や女官が乗り込み、エスコートするセダン2台には身の回りの世話をする侍女と女官、もう一台二人乗りのほうには飛鳥姫と花代が乗り込む。周囲を驚かせたのは、何と飛鳥姫自らが車を運転することと、周囲に女性の数が多いことであった。勘のいい衛兵の一人はこう思ったという。
 日本はきっと女性の地位が非常に高い国なのだろうと。
 馬車のほうは最後尾につけるセダンに牽引されてグランドパレスまで運ばれることに。後は富嶽を取り囲むように衛兵が警護するのであった。
 本来ならミッドランドが馬車を用意するというのもありだったのだが、各国から馳せ参じる姫君などの多くは自前で馬車を用意しているのと、新世界の乗り物である自動車を人目見てみたいというリクエストが存外なまでに多いためわざわざ自動車を持ち込むのである。馬車を見慣れている者からすれば馬がいないのに動いているとさぞかし混乱することであろう。
 一行はグランドパレスまで約10キロの道をひた走る。
 
 
 ここで、姫君たちが乗る自動車をさっと紹介しておこう。
 リムジンとセダンは中島飛行機が開発したもので、およそ10年くらい前から自動車にも進出し、自動車部門は現在中島車輌として独立している。航空機で培った技術が惜しげもなく注ぎ込まれ、セダンにはオールアルミ合金ブロックX型12気筒DOHC直噴6000ccエンジンにインタークーラー付遠心式スーパーチャージャーを、リムジンにはオールアルミブロックX型16気筒DOHC直噴8000ccエンジンに同じくインタークーラー付遠心式スーパーチャージャーを搭載している。最高出力はそれぞれ330/410、420/490となっている。
 二種類の馬力を表示しているのは通常はスーパーチャージャーが作動しないようになっており、アクセルを床まで急速に踏み込んだときだけ作動するためである。スーパーチャージャーが作動したとき、『鳳凰の雄叫び』と呼ばれる凄まじい音を発するのが特徴。急加速したいときにしか聞けない音は必聴だ。因みに当時の自動車は高級車でもOHVどころか原始的なサイドバルブさえ散見される時代であり、DOHCと直噴、スーパーチャージャーの組み合わせはレーシングカーどころか航空機に採用される技術であった。
 そのスーパーチャージャーも構造が単純なルーツ式が主流で複雑精緻な遠心式は主に航空機で採用されている。このことからも既に普通のエンジンではなく航空機の遺伝子が受け継がれているのとやはり航空機メーカーならではの最先端技術への拘りであろう。他にも軽量化のためレーシングカーでさえ稀であった鍛造アルミピストンやチタンコンロッド&クランクシャフトといった削り出しで作られた軽金属部品が積極的に使われていた。いずれも高度な加工技術が要求され、中島飛行機の高度な技術力なしには作りえない。必要とあらばスーパーチャージャーは運転席のスイッチで作動しないようにすることもできる。
 因みに中島飛行機は生産に必要な工作機械なども自製しており、その過程で開発された工作機械は一部門である中島工機で販売されていた。
 また、当時は中級車から大衆車クラスで30馬力から50馬力前後、高級車になるとピンキリあるが大体80馬力から150馬力、超高級車クラスでも200馬力を超えるものは数えるほどしかない時代であり、300馬力を超えるエンジンを積むこの車は当時最新のメルセデスベンツやロールスロイスといった超高級車と何ら引けを取らない。
 その巨大な出力を受け止める変速機は7段のセミオートマティックで、発進時以外はクラッチペダルを踏む必要がなく、そのクラッチペダルも油圧によるアシストがあるため軽く、走行時のクラッチは油圧の助けを借りて自動操作される。変速はステアリング裏にあるセレクターレバーで行い、走行時はアクセルペダルを離しセレクターレバーをゆっくりと動かせばいい。他にもラックアンドピニオン式のステアリングは油圧によりアシストされ適度に軽く、また正確でもあった。ブレーキペダルもサーボアシストされており、巨大な車体に慣れれば運転は非常に楽な車でもあった。
 足回りに目を移すと、サスペンションは前輪がダブルウィッシュボーンにコイルスプリングと油圧ダンパーの支持、更にスタビライザーが組み合わされ、後輪はデフ側と車輪側にそれぞれ新開発の等速ジョイントを用いた改良スイングアクスルにコイルスプリングと油圧ダンパーとスタビライザーが組み合わされていた。所謂四輪独立懸架であり、当時採用例は非常に少なく最新のメカニズムだったと言えよう。高級車でさえ馬車時代から続く板バネによる車軸懸架がザラであった。というのも当時四輪独立懸架は非常に高価だったことに加え調整が難しく、しかも後輪は大抵の場合駆動軸のため当時は角度がついてもスムーズに出力を伝えられるジョイントの開発も困難で、その上当時後輪独立懸架の主流であるスイングアクスル(というか当時はこれしかないのだが)はジャッキアップ現象を引き起こす欠点があり、高速走行時に何の前触れもなく横転したり、或いはタイヤの空気圧に問題があると特にスピードを出していない状態でカーブに入っても突然スピンする危険性があった。
 このために乗り心地やハンドリングは抜群であったが四輪独立懸架の採用例は少なく、前輪を独立懸架としていた高級車でも後輪は板バネによる車軸懸架としていたことが多かったのである。
 その四輪独立懸架を敢て採用していたのは最先端技術に対する拘りと、このスイングアクスル特有の問題が解消されていたからである。サスペンションには鍛造アルミが使われて積極的に軽量化され、当時最新のコイルスプリングと油圧ダンパーの組み合わせは一体型で、このユニットがそれぞれ4本ずつ、計8本使われており走行安定性は非常に高かった。
 ブレーキは液圧式四輪ディスクで、航空機の降着装置に使われているものをそのまま応用したものだ。とはいえ自動車用に改良されており二枚のディスクの間に溝を設けたベンチレーティッドディスクである。重量がありまたスピードの出るこのクルマを確実に停車させるためであるが、レーシングカーでさえ採用例はまだ稀であった。因みに当時のブレーキはロッドやワイヤーを用いた機械式ドラムが一般的で、大衆車クラスとなると後輪のみにしかブレーキがついていないケースもまだあった。機械式は四輪均等に利かせるために常に入念に整備しておく必要があった。このディスクブレーキもローターのみならずキャリパーやピストンも鍛造アルミ製で、通常の鉄よりも放熱性能が高く当時高速走行するクルマを大きく悩ませたフェード現象も殆どなかった。しかし、その代償として非常に高価でもあった。
 ホイールは鍛造アルミ製で、軽量化とブレーキ冷却を兼ねた穴が明けられている。これに当時最新のチューブレスラジアルタイヤが組み合わされていた。タイヤ内部には航空機と同じく窒素ガスが充填されている。
 楕円閉断面を持つ鍛造アルミ製の強固なラダーフレームにクロスメンバーを組み合わせ、その上に載る車体は航空機同様のジュラルミン製で、涙滴を思わせる流線型に成形されている。後輪はスパッツで覆われ空力対策であると同時にクルマを優美に、低く見せる効果もあった。航空機を真似た車体は優美で銀と蒼にペイントされていた。威厳を現すマスコットを始め光物は全てクロムメッキである。エンブレムは七宝焼であった。
 可能な限り重心を低くするよう設計され、その結果流線型による空力効果も相まって走行安定性は抜群で停止から100km/hに達するまで僅か7秒、最高速度は250km/hに達し、これは当時としては最高レベルの性能であった。因みに当時は停止から100km/hまで達するのに19秒台であれば高性能とされた時代である。大衆車などは30秒以上かかるものも珍しくなかったというより100km/hに到達することすらできないモデルがザラであったが。最高速度も高級車でさえ160km/hに達するものは稀だった時代である。160km/hを超えることが高性能の証とされていた時代でもあった。
 標準的な箱型の場合は空力性能を表すCd値が0.6前後なのに対して流線型仕様はジュラルミン製のアンダーカバーも相俟って0.27という低さだった。箱型仕様で最高速度200km/h程度だが、それでも当時を考えれば速いほうだ。
 肝心の内装は豪華なリムジンに相応しく贅が尽くされ、通常は牛の革を用いるところ柔らかく張りのある最高級の水牛の革(通常の牛革の倍以上する)を二枚重ねにして使い、また高級車の定番であるウッドパネルには高級木材として知られる最上級のチーク材が用いられていた。当時からチーク材は非常に貴重で、後には保護の観点から使用及び輸入禁止となる。 ウッドパネルには控えめな螺鈿細工と七宝焼のエンブレムが飾り付けられている。床と天井には西陣織の分厚いビロードのカーペットが敷き詰められていた。縁取りを始め金属部にはクロムが使われている。客室にはキャビネットを始め控えめな螺鈿細工を施したチーク材の高級家具が飾られていた。チーク材は森に囲まれた静かな国であるオラン公国からの輸入品だ。更には薩摩切子の一輪挿しにティファニー調のランプシェード。まさに走るリビングルームである。内部には5人が乗ることができ、更にキャビネットに格納されている補助席を引き出せば7人が乗ることができた。つまり合計で9人が乗ることができる。
 ガラスには金が溶かし込まれ不快な紫外線をカットし柔らかな陽射しが入ってくるようになっているのと、ドアは優雅な印象を与える観音開きになっている。室内の断熱と遮音は航空機並で、リムジンの常で運転室と客室の間は昇降式になっている窓ガラスで仕切って完全な密室とすることができる。
 その他チタンビスや軽合金などを用いて積極的に軽量化に努めた結果、通常ならリムジンで3トンを優に超えるところを2.4トンまで抑えることに成功していた。それでもこの重量なのは内部を切り詰める考えなど微塵もないからである。


 最後に、中島車輌は見てもわかるとおり製造しているのは高級車ばかりであり、価格はとんでもなく高価であった。何しろ16気筒のリムジンで最もシンプルで安価なオープンタイプでさえ当時最新のグローサーメルセデス770Kの倍近く、流線型仕様に至っては3倍以上であり、ジュラルミンで製作しているとなると更に撥ね上がる。世界で最も高価なクルマの一つに疑いはなかった。ただ、最先端技術を惜しげもなく注ぎ込んでいることを考えれば高くないと見る向きもある。
 参考までに、グローサーメルセデス770Kのプルマンリムジン仕様が55000RM(ライヒスマルク)した当時、Kdfタイプ1(後のフォルクスワーゲンビートル)が1100RM。それに対してこのジュラルミン仕様の流線型リムジンは240000RMもした(ドイツに輸出したときの参考価格)。
 余談ながら、構想当初2ドアしかなかったKdfタイプ1は要請により全長を延長し排気量を拡大してエンジン出力を強化した、家族向けにより実用的な4ドアも作られ、こちらのほうが主流となった。従って史実のフォルクスワーゲンビートルとはやや異なる。2ドアは1100RMに対して、4ドアは1550RMとやや高かったものの目論見通り家族向けに支持された。
 
 周囲の好奇の目を避けるため夜間を選んで幹線道を通りグランドパレスに向かう一行であったが、通常の馬車とは明らかに違う音に周囲は何事かと家から出て来て馬なし馬車が走っていると指差して大騒ぎ、更に馬車の蝋燭や油を使ったランプと違い、夜間走行のための自動車用ライトは旧世界ではあまりにも明るすぎて閉じられた戸板の隙間などから光が入ってしまうためこれで起きて何事かと外に出て来てまた大騒ぎとなるのであった。更に聞きなれぬエンジン特有の轟音に小屋の馬がブヒヒ〜ンと怯え暴れだす始末。結局好奇の視線から逃れることはどうやっても不可能だった。
 カーテンでプライバシーが保たれ周囲は暗いためどんな人が乗っているか伺うのは外からではほぼ不可能であるものの、突き刺さる好奇の視線が痛い。
「旧世界では自動車は思いの外目立ちますわ」
 有璃紗姫の独白に誰もが頷く。旧世界の住人からすれば、馬がいないのに走っている様子は異様極まる光景に違いあるまい。中には不気味に感じる者や、何か不吉な前兆なのではと思う者もいることだろう。
 石畳の上は四輪独立懸架を以ってしても走りにくく、時折ガタゴトというショックは姫君たちが乗る客室にも伝わる。新世界でアスファルトやコンクリートの路面と贅沢な乗り心地に慣れている身にはキツイ。
「こんな具合だから板バネの馬車など乗れたものじゃないわね」
 綾奈姫の独白に誰もが納得するのであった。因みに馬車は後輪が前輪と比べ極端に大きいがこうすることで段差をショックなしに乗り越えられるからである。とはいっても自動車のサスペンションと比べると伝わるショックは大きい。
 そうこうしているうちに、一行はグランドパレスに到着したのであった。

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